めでたしめでたしなんて、誰が言ったの? ~Who said we had lived happily ever after?~
しえる
プロローグ
第1話
鬱蒼とした黒い森の
陽の光が分散されて、深い瑠璃色の水がきらめきに揺れているのをぼんやりと見つめていると、ふいにある考えが頭の中をよぎりました。
これは神様がわたくしにお与えくださった、たった一度きりの機会にちがいない。
焦らずにそっと周囲をうかがうと、侍女は部屋の奥でわたくしの着替えの準備をしています。護衛は、午後の出立までにわたくしの乗る馬車の点検に出ているようです。
わたくしの唇には思わず歓喜の笑みが浮かびました。
ああ。ここ数年のうちで本当に久しぶりに心の底から嬉しさがこみあげて、自分のために微笑むことができました。
今日、わたくしはすべてを捨てます。
そして、わたくしだけの自由を手に入れます。
森の奥の湖畔の別邸。療養に来た時には、まったく考えてはいなかったことですが。
きらめきたゆたう深い瑠璃色の冷酷そうな水に、強く引き付けられてしまったのです。
明日になればまた、王宮での生活が待っています。
淡々と繰り返される日々。公務に追われ、人々の声を聴いて過ぎてゆく日々。
あの方は私を変わらずに愛してくださるけれど、いつ心変わりされるのかわかりません。
もう六年もの間、わたくしはお世継ぎをお生みすることができないのですから。
「殿下、もうすぐ本日最後の客人が参ります。お召し替えなさいませ」
侍女の呼びかけに、わたくしはのんびりと……いつものように答えました。
「ええ。そのドレスに合わせたいので、寝室の宝石箱の中からエメラルドの腕輪を持ってきてもらえるかしら」
「承知いたしました」
侍女の足音が遠ざかっていきます。わたくしはまるで、いたずらを仕掛ける子供のように胸が高鳴りました。するりと、肩に掛けていた白
構わず、わたくしはゆっくりとバルコニーの先に歩を進めました。
まるで……劇場の桟敷席からすばらしいオペラに拍手を送るときのように。胸を張り、一歩ずつ、最後の威厳を持って。
バルコニーに出ていた
空が、抜けるように真っ青でした。
水面は鏡のように澄み切って、周りの黒い木々や空を映し出しています。
「殿下、お持ちいたしました」
侍女の声が奥に聞こえます。王宮に上がって七年、王子妃になって六年。わたくしにとても親切にしてくれたひと。
「ありがとう。……さようなら」
わたくしは感謝の言葉をはっきりと大きく伝え、別れの言葉を侍女には聞こえないほど小さな声で囁きました。そして、眼下に広がる冷ややかな美しい水面を見下ろしました。
さようなら。
これでわたくしは、やっと解き放たれるのです。
わたくしは静かな安堵感に包まれました。
目を閉じたまま、体重を前に傾けました。
もうなにも、考えなくてよいのです。
落下して、全身がバラバラになるような激痛を受け止めて呼吸ができなくなった瞬間……
わたくしは、そのまま意識を失いました。
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