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第22話

「魔女姫」と呼ばれ恐れ忌み嫌われている第七王女の住まう北の塔には、使用人たちはめったに近づかない。


第七王女の身の回りの世話をしているのは「目に見えないものたち」で、その点も彼らにとっては恐怖でしかない。したがって、彼女に用事があるときは兄弟たちは直接訪ねてくる。


バルの場合は王太子という立場上、近衛騎士のイギーやフランツ、彼らがいないときにはイェルに命じて呼びに来させる。




地上まで降りてイェルと並んで歩き始めるやいなや、彼はヴァラに言う。


「訊かれる前に行っておくね。ハイデは輿入れ先の国のことをいろいろと学ぶ勉強が始まってしまって当分は自由時間がないから一緒に来られなかったんだ。部屋に監禁されてふくれているよ」


「そう」


ヴァラは苦笑する。仕方がないことだと、本人もわかっているだろうけれど……ちょっと気の毒だ。二人は歩き始める。


「今日で三日くらいかな。子爵はまだ見かけないね」


「まだ家の用事が終わらないのね」


「そんなにかかる用事ってなんだろうね」


「そうね」



二人は本館の通路を歩く。


王太子の居住宮へ続く回廊に入る曲がり角の手前で数人の男たちに出くわして、彼らは足を止めた。


ヴァラは「あっ」と小さく声を上げる。イェルはとっさにヴァラの手を引いて、自分の背後に彼女を隠す。


「おや、これはこれは。第五王子殿下に第七王女殿下ではありませぬか。お珍しいですな」


太いだみ声が通路の高い天井に響く。声の調子に傲慢さがにじみ出ている。


「クラム侯」


イェルは四人の男たちの中でも一番恰幅の良い中年の男に目礼する。クラム侯は、二人にかたちばかりの臣下の礼を取る。


「ここを通られるということは、王太子殿下のもとへ参上されるのですか? 相変わらず兄弟仲がよろしいようで。解呪のご準備は順調でしょうかな、第七王女殿下」


クラム侯は両手を後ろ手に組み、大きな腹を突き出す格好でイェルの背後のヴァラを覗き込みながらにやにやと笑む。


彼はイェルよりも背が低いため、鼻の下を伸ばしてあごをそらしながらイェルの背後のヴァラの表情を何とか伺おうと背伸びをする。


イェルの肩に緊張が走る。ヴァラはイェルの腕にそっと触れて大丈夫だとなだめるようにやさしく撫でる。


「……」



クラム侯の視線を避けようと、さらに異母弟の背に身を縮め何も答えないヴァラに、クラム侯はムッと顔をしかめる。鼻をふん、と鳴らして不機嫌そうに言う。


「王女殿下はお加減でもお悪いのか」


イェルは悟られない程度の冷笑を向ける。


「姉は人見知りなもので」


ヴァラはイェルの腕の隙間から、クラム侯の背後の男たちを見る。



一人は川下かわしもの伯爵といって、クラム侯の腰巾着の一人だ。小柄で痩せていて神経質で気の弱そうな、長いものには進んで巻かれる人物。


そして、護衛らしき三人の男たち。三人とも見覚えがある。森でヒューが追い払った男たちだ。


イェルの腕をつかむヴァラの手にきゅっと力がこもる。



「やれやれ。成人されても相変わらず人見知りとは。そのようなことで、王家の呪いが本当に解けるのですかな」


「あなたの御心配には及びませんよ、閣下」


いつもは幼さが勝り何か言われればすぐに唇を尖らせ頬を膨らませるイェルが、あごを上げてキッとクラム侯を見据え胸を張ってヴァラを守っている。ヴァラは感動して胸が熱くなる。


クラム侯も普段とは違うイェルの様子に圧倒され、口をぽかんと開けて一瞬固まった。そして我に返りへっ、と吐き捨てるように嫌味を繰り出した。


「大いにありますな。呪いが解ければ、我が娘を皇太子妃として差し上げるという長年の願いが果たせますゆえ。第七王女殿下の解呪は常に我が関心ごとの上位を占めておりますぞ」


しかしイェルも負けてはいない。ふん、と鼻で笑い飛ばして嫌味を返す。


「お急ぎならば、呪いなどお気になさらずに今日明日にでも差し上げたらいかがでしょうか? まだ正妃はいらっしゃいませんから、今ならどなたよりも先にお世継ぎが授かるかもしれませんから」


ぐう、とクラム侯の喉が鳴る。明らかに不快そうに、彼は口をへの字に曲げる。


背筋を伸ばし相手を威嚇するイェルにヴァラは感心する。


「ふん、今のままだとさすがに安心して娘を差し上げることには不安がありますのでな。第七王女殿下に解呪が困難であれば、差し出がましいようですが、我が侯爵家で適任者を探してまいりましょうぞ」


もう見つけて囲っているくせに、とヴァラはあきれた。しかし、やはりクラム侯は「七番目の息子の七番目の娘」という解呪の条件は知らないようだ。


「無礼な……」


カッとしたイェルが半歩踏み出そうとこぶしを握り締めた時、廊に足早な乗馬ブーツの音が響き、よく通る低い声が高い天井に通り抜けた。




「王女殿下、王子殿下! こちらにいらっしゃいましたか」


その場にいた全員が声の主を振り返った。


ヴァラは濃い青の瞳に安堵とうれしさを浮かべ、自然と口元をほころばせた。


イェルは口をぽかんと開けて「あ」と呟く。


クラム侯はうぬぬと唸り忌々しそうに、近づいてくる足音の主を睨む。腰巾着の伯爵はぽかんとして、護衛の三人には緊張が走る。


「これはこれはマイヤー卿、しばらくぶりですな」


渋い表情のクラム侯が先に声をかける。


ヒューはイェルとヴァラを背後に隠すように立ち、目の前のクラム侯に丁寧なお辞儀をした。


「お話し中、失礼をいたします閣下。王太子がお二人をお呼びですので」


「ふん、相変わらず卿も愛想のない方だ。今、めったにお目に掛かれない第七王女殿下に、解呪についてお尋ねしていたのだ。我が家にとっても重要な案件ゆえな」


ヒューは腰巾着の伯爵と三人の護衛を一瞥いちべつした。護衛たちはヒューのいた両手兼用長剣バスタードソードと今にもそれに掛かろうとしている彼の右手に意識を集中させる。



「閣下。あの者たちに見覚えがあるのですが、はて、どこであったかよく思い出せないのです」


「ど、どこであろうと私の護衛だ、あちこちですれ違っているだろうに」


「そうかもしれませんね。さあ、王女殿下、王子殿下。王太子殿下をお待たせしてはいけませんので、急ぎましょう。閣下、卿、失礼させていただきます」


クラム侯とその腰巾着の伯爵に礼を取ると、ヒューはヴァラとイェルを先に歩かせてその場を離れた。回廊へ曲がり、三人は足早にもう一つ角を曲がった。


そこから先は王太子の住居宮へ続くのみ。王太子に呼ばれない限り、部外者は通らない。


「助かった!」


イェルは安堵のため息をついた。


「いつ来たの、ヒュー」


ヴァラはうれしさに目を見開いてヒューを見上げた。


「少し前。ちょっと本館パラスに用事があって。終わってバルに呼ばれて行くところで、きみたちを見かけたら……あれだったから」


ヒューは苦笑した。


「それですべて済んだ?」


「うん、思ったより時間がかかったけれど。それで、大丈夫だった?」


あからさまなわけではないけれど、嬉しげに見つめあう二人を少し後ろから見て、イェルはやれやれと肩をすくめた。

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