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第20話
公務で多忙なバルは夕飯の席で話そうと言い、イギーを同席させてヴァラとヒューを呼んだ。
晩餐室の六人掛けのテーブルにはすでに料理が並べられていて、使用人さえも人ばらいされていた。バルとイギーはすでに席についていた。
ヒューはヴァラの椅子を引く。ヴァラを着席させてヒューがその隣に座るのを見ていて、バルは何かに目ざとく気づいて、ふっと笑みをこぼした。
「それで、どうだったの? 三つの紅玉は。合っていたのかい?」
「合っていると思うわ」
ヴァラは小さく頷いた。ヒューは隣で苦笑した。
「宝物庫で、森で会った魔術師に襲われたよ」
バルとイギーはえっ? と声を上げて驚く。
「どうやって? 結界があって、城内には入れないはずじゃ……」
「入れないわ。でもね、実体じゃなかったの。どこか別の場所から
「ええっ?」
二人はさらに大きな驚きを声にする。
「幻影がそんなことをできるのか?」
イギーが眉を顰める。
「それで、キミたち、今は大丈夫そうだけど……けがはなかったかい?」
「どうにか切り抜けたよ。生まれ変わっても
「ヴァラの毛玉犬は連れて行かなかったのか? あいつもバカでかい猛獣に変身できるだろう?」
イギーの問いにヴァラは肩をすくめる。
「それが……その男に先手を打たれて本当にただの毛玉にされちゃって……戦闘不可能だったの」
「ぷっ……なんだそれ」
イギーが笑いだす。
「冗談はさておき、ねえバル、その男は雇われていることをあっさり認めたの。そのうえで、私の代わりに王家の呪いを解いて、さらに報酬を要求しようとしているみたいなの。自分は二百年前にこの国の王家に呪いをかけた魔術師の血筋だ、って」
「は? 何だって?」
「だからね、その男が何者なのかわかる? 結構魔力の強い魔術師でお金のためならば何でもするような人」
「うーん、二百年前の魔術師の血筋は絶えたといわれていたのに、エドセリクがいたからな。他にも存在しないとは言い難い。エドセリクの出現から、父上の命令でかの魔術師の血筋の再調査が大々的に行われたはずだ。もっとも、外国の情報が確実とは言えないからね。そうだ、調査書があるから、夕食後に書庫に行こう」
夕食後、四人は王太子居住宮の書庫にいた。
「あ、ヒュー。これ、先ほど使いが来てキミにと、執務室にお父上の侯爵から届いたんだった。忘れないうちに渡しておくよ」
バルは書庫に来る前に執務室に寄ってきたらしく、一通の封書をヒューに手渡した。蝋封がされたシュタインベルク侯爵家の透かし入りの封筒だ。受け取って懐にしまいながらヒューは首を傾げる。父から封書などとは珍しい。
イギーがバルに指示された棚から一冊の分厚い書物を運んでくる。羊皮紙で製本されているそれは大きくて重い。広い閲覧用の机の上にそれを置くと、バルは慎重にページをめくった。
「この書き込みの最終ページに記されているのが、エドセリクとアーヴァ、そしてヴァラだよ」
確かに、本のなかほど、白紙のページの手前に自分と母と祖父の名が記されているのをヴァラは認めた。
「エドセリクはもとの魔術師の三番目の娘と一番弟子の家系。これはエドセリクが夢のお告げを得て父上に謁見を申し入れた時に詳細を正して記されたものだから、過去の書物と合わせても信憑性は高い。一番目の娘の家系は百五十年以上前に断絶している。二番目の娘の家系は細々とつながっていたけれど、魔術師も魔女も輩出していない」
「けれど……あの男はかなり魔力の強い魔術師よ」
「先祖返りってやつかもしれないよね。突然この二番目の娘の家系で突然、魔術の突出したものが生まれてしまったのかも。エドセリクとともに近隣諸国の血筋の調査をしたものがメモを書き残しているようだね。それによると……ここ十数年、近隣諸国でうわさがあるらしい。我が国に呪いをかけた魔術師の子孫と名乗り、金さえもらえればどんな邪悪な術もかけてくれる魔術師がいるとね」
「本人も……そのような感じのことを言っていたわ」
「うん、ほぼ同一人物のことだね。クラム侯が怪しい動きをしているだろう? 先日キミたちを森で襲った男たちを彼が雇っていると突き止めて、いろいろと探りを入れていたんだ。すると、最近、彼の屋敷に出入りしている中に、外国の有名な魔術師がいるという情報があったじゃないか。その男はカジミアと言って、かなりの魔力を持つ魔術師だということだ」
「カジミア……」
「でも、あいつはエドセリクの夢のお告げは知らないみたいだったよ。七番目の息子の、ってやつ。だからヴァラの力が足りないなら自分が代わりに王家の呪いを解いて、莫大な報酬を要求すると言っていたな」
ヒューの言葉に腕くみをしたバルはゆっくりと頷いた。
「なるほど、興味深いね。つまりクラム侯は、二百年前の王家にかけられた呪いについては知っている。そして、バラがその血を受け継いでいることも知っている。しかし、呪いを解けるのはヴァラしかいないということは知らないわけか。それならばヴァラ、キミが先に呪いを解けばいいわけだね。クラム侯に邪魔されないように、徹底的に彼を見張っておいてくれ、イギー」
「御意御意。早速部下に監視させるよ!」
イギーは矢のように素早く書庫を出てゆく。
バルはヒューを振り返って、にっこりと王太子スマイルを浮かべた。
「さぁてヒュー。今日は危ない目に合わせてしまったね。ヴァラを守ってくれてありがとう」
「いや、ヴァラがあいつの幻影を鏡に吸い込ませてくれなかったら、危なかったと思う」
ヒューが苦笑して首を横に振る。そしてヴァラを見る。
ヴァラは困ったように苦笑を浮かべてヒューを見上げる。
おやおや? とバルはまた何かを感じるけれど、あえて突っ込まずに受け流す。
「とりあえず、お疲れさま。ヴァラを送って、そのあとゆっくり休んで」
王太子の居住宮を出ると、あたりはすっかり青い夜の闇が降りていた。
二人は北の塔に向かい、ゆっくりと庭園を横切って歩いている。
オールドローズが香しい庭園に差し掛かったあたりから、ヒューはヴァラに手を差し伸べた。
微笑むヒューの手にそっと自分の手を重ねて、ヴァラは花が
空には半月よりも太った十二夜月が銀色の光を放っている。青白い光が白いバラの花たちの上に降り注いでいる。
月の光に照らされたヴァラの横顔は魅惑的であまりにも美しくて、ヒューはこっそりと
その視線にずっと気づいていたヴァラは、今気づいたかのようにヒューを見上げ、あえかな微笑を浮かべてなに? と小首をかしげる。
その笑顔を向けられているのが自分だと自覚して、ヒューは叫びだしたいくらい幸せな気持ちで苦しくなる。
「今日みたいなことがまたあるかもしれないけど、怖いとか不安とか感じる?」
ヒューの問いにヴァラは首を横に振る。
「祖父の加護があるし、バルやイギーもいてくれるから。それに、何よりもヒューがいてくれるから、怖くない」
くすり、と笑い彼女はヒューの手首をぐいっと引いて彼を
「あ、そういえばちょっと、見てもいいかな」
ヒューは先ほど父からだと言って一通の封書をバルから手渡されたことを思い出し、懐から取り出した。月の明かりでも文字は十分に読める。封書の表には「マイヤー卿」と書かれている。
「どうぞ」
ヴァラは唇の端を上げて穏やかに頷いた。
ヒューは蝋封を開け、中の手紙を取り出す。あまり多くは書かれてはいないが、とりあえず文面に目を走らせると彼は手紙を折り、元の通り封筒の中へしまい懐に戻した。
「今夜はバルのところに泊まろうと思ったけれど、家に帰らないといけなくなった」
「その様子では、なにかよくないことね」
「うん、まだよくわからないけれど、詳しいことは家に戻ってから話すって」
「そう……では、早く帰って。私はここからは一人でも大丈夫。なんなら、ふわふわ雪を呼ぶから、ヒューは行って」
「それはダメだよ。塔の前まで行って、扉が閉まるまで見届けないと」
「バルに怒られるから?」
「心配だからだよ」
真剣な表情のヒューに、ヴァラはくすっと笑う。
「私は魔女なのに……」
「そんなことは何の安心材料にもならないよ」
ヒューは立ち上がり、ヴァラに手を差し出す。ヴァラはその手の上に自分の手をのせる。強い力でぐいっと引っ張られると、すごく頼もしく思う。立ち上がった二人は再び、バラの庭をゆっくりと歩きだす。
このまますっと塔までたどり着かなければいいのに、と思う。
ヴァラの手とヒューの手は絡めた指でつながっている。
「ねえヴァラ。父上の用事で、もしかしたら三日くらい城に来られないかもしれない。私が来られない間はふわふわ雪と離れないで、一人でどこかに出かけたりしないで。あ、バルにも言っておかないとな……」
「わかったわ」
とうとう北の塔の前まで来てしまう。二人は手をつないだまま向かい合っている。
青白い月影の、静寂の中。
「それでは、用事が済んだらなるべく早く戻るから」
ふわりとヒューは身を屈めてヴァラを抱きしめる。
ヴァラは体の内部のあちこちを、鳥の羽毛でくすぐられる拷問を受けているような気分になる。
今までに感じたことのないこそばゆさに、自然と笑みがこぼれる。
「では、なるべく早く戻ってきて……」
肯定するかわりにヒューはヴァラに口づけた。すぐに唇が離れ、今度は瞳と瞳が合う。
鼻先が近づいてきて、ヴァラは目を閉じる。上唇に、下唇に、唇の左端に、右端に。
ヴァラはうっそりと微笑む。ずっとこうしていたい。
名残惜しそうに唇が離れて、体の向きを変えられて扉の前に立たされる。カギを開けて中に入り、閉める。ヒューの立ち去る足音がかすかに聞こえる。
ドアの内側にもたれかかり、ヴァラは深く吐息する。
生まれて初めて知る感覚。唇に触れる。やはり、自分で触れるのとは違う。ヴァラはくすくすと笑う。
自分ではどうしようもない。
体の中のあちこちで蝶が暴れているみたい。
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