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第13話

「それにどうせ……半人前の魔女が作っても、効くかどうかわからないじゃない!」


「……」


「……」


すぐにハイデの瞳には後悔の色がにじむ。


ヴァラは呆然と固まっている。


ハイデは意地になっていて、暴言を放ってもすでに引くに引けない状態になっている。



生まれて初めての姉妹のケンカ。


ヴァラの唇が小さく開く。何かを言いかけるが声にできない。


それはハイデの苦々にがにがし気な表情に、拒絶の色が見て取れたから。


ハイデはテーブルの上の二つの小瓶をつかむと、戸口へ向かって駆け出した。


「あ、あっ、ちょっ、ハイデ!」


横をすり抜けて外に飛び出していったハイデを見送って、イェルが焦って立ち上がる。


ヴァラはまだ固まったまま立ち尽くしている。




ああもうっ! と小さく呟き、イェルはヒューに焦って言う。


「私はハイデを追いかけるから、きみはヴァラをお願いっ!」


そしてヴァラのほうに叫ぶ。


「ヴァラ! きみは何も悪くないからねっ!」


イェルは外に駆け出し、ドアが乱暴に閉じられた。


「……」




下唇をかんだままの悲痛な表情のヴァラは、ゆっくりとソファに戻りヒューの向かい側にすとんと腰を下ろした。


ぼんやりと宙を見つめるヴァラには聞こえないように、ヒューはひそやかなため息をついた。ヴァラは傷ついている。


ハイデが血のつながった彼女にではなく老魔女に薬を依頼し、ヴァラのことを「半人前」となじったことは、彼女を傷つけるには十分だったようだ。




さて、どうしたものか? 


その一。真剣に慰める。


その二。軽く笑い飛ばしながら慰める。


その三。第六王女殿下はひどいなと言って慰める。


その四。何も言わない。




ばん! と、いきなりヴァラはテーブルを両手のひらで叩いた。


もっとも、彼女の華奢な手ではそんなに迫力のある音は出せなかったけれど、ヒューは不意を突かれて驚いた。


ヴァラをそろそろと見ると、少し前は悲しいような苦しいような複雑な表情であったのが、今は怒りの強い感情がその深い青い瞳に炎のように燃え上がっている。


「ヴァラ……?」


「……私だって、あんなものくらい作れる」


「あんなものって……?」


すっと立ち上がり、ヴァラはさらにひとつ奥の部屋へ入って行った。



そこは作業室で、壁にはびっしりと薬草や鉱石、薬品がガラス瓶に入れられて並んでいる棚が、中央には大きな作業用テーブル、窓辺には大きめの流し台と井戸のポンプが取り付けられている。


魔女の厨房、いわゆる作業部屋である。


ガチャガチャとガラスがぶつかる音が聞こえてくる。



ヒューも席を立ち、そっとヴァラが消えた奥の作業部屋へ向かう。


薬剤の棚から十何種類かの瓶を作業台の上に並べ、空いているところに羊皮紙を広げる。その上に短剣をかざし切先を紙に向け、触れるか触れないかの宙にさっと魔法円を描き出す。


その手際の良さに作業部屋の入り口のドアに腕を組んでもたれかかったヒューはしばし見惚みとれた。


もはやヴァラにはヒューの存在は意識外にある。彼女は目の前の作業に集中している。


小瓶の触れ合う音、器具がガラス容器の中で動くときに立てる音、そして彼女が時折呟くかすかな呪文だけが聞こえる。



どれくらい経ったのだろうか、すべての材料を棚に戻し、ヴァラはふう、と息をついた。


ごわごわの羊皮紙の上の魔法円の中心部分にはひとつの小瓶が載っていて、その中には透明の薄紫の液体が入っている。



 ぱちん。



彼女が指を鳴らすと、小瓶の下の魔法円の線が青白く発光して燃え上がり、羊皮紙ごと霧散した。


魔術で何かを作り出す作業を始めから初めて目のあたりにしたヒューは、目を見開いたままその過程に見入っていた。


ヴァラがすべての作業を終えたと確認して、彼は彼女に近づいた。


「それは?」


「あの子が私のことを半人前だって、私の作るものなんてって言ったけれど……私にだって作れるのよ。これは、混合液よ」


「混合液?」


「そう。ほれ薬と媚薬のね」


「……」


なるほど、先ほどのふたつはそれぞれ赤い液と青い液だった。たしかに、混じっているから紫色なのか。いや、でも……



「それが効くのかどうかは、どうやってわかるの?」


ヒューは腕くみをして首を傾げる。


「誰かで試せばいいのよ」


「わ、私は本気で遠慮しておくよ」


ヒューは先回りして苦笑して断っておいた。 


ヴァラも苦笑し返す。




トン! と何かが作業台の上に落ちてきた。ヴァラは「あ」と声を漏らす。


真夜中月まよなかづき……」


にえう、と真っ赤な口を開けてヴァラに返事をしたのは、黄金色に輝く大きな瞳に艶めく漆黒の毛並みの、まだ子猫とも思われる小柄な黒猫だった。


「普通の猫?」


「いいえ、ばばの使い魔」


やはりか、とヒューは思う。


使い魔というものたちが本来の犬や猫とはちがう雰囲気をまとっていることを、なんとなくわかってきたかもしれない。



「出かけるときに連れて行かなかったのか」


「そうみたい。でも、ばばの使い魔はこの子のほかにもいくつかいるから。今回はこの子が庵を守るために置いて行かれたのかもね」


「なるほど」


ヴァラの言葉を肯定するように、真夜中月はにええぇ、と鳴いた。


ヒューは首をひねる。いったい、どこから現れたのか? 


今まで猫の使い魔の気配など、家の中のどこにもなかったのだが。


突然、真夜中月の機嫌が悪くなり、フーッ! と威嚇音を発する。


背中を丸めて身を縮め、全身の毛を逆立てて鼻にしわを寄せ、紅い小さな口の中からは細いキバがのぞいている。



敵意がギラついているシトリンの瞳の先には、いつのまにかイスの上に乗っている、小指の先ほどの小さなしっぽをぷりぷりとうれし気に振り、好奇心いっぱいの黒いつぶらな瞳で黒猫を見上げるふわふわ雪がいた。


両者の温度差は一目瞭然であるが、互いへの関心は対等なものだった。


「あー、ちょっと、お前たち……」


困惑したヴァラがふわふわ雪を抱き上げて二者の衝突を回避しようとするよりも少しだけ早く、ふわふわ雪は作業台の上にぴょこんと飛び乗った。


そしてあろうことか、真夜中月に突進していった。


「こらっ、やめ……」



フギャーッ! 


シャーッ! 



威嚇の声を上げた真夜中月は、背中の毛を逆立ててふわふわ雪が飛びかかるのをよけた。


華麗なる猫パンチが二度ほど繰り出されるが、ひらりとよけたふわふわ雪はさらにじゃれつこうとする。


「だめよ、ふわ雪っ!」


前足を伏せ、お尻を高く上げ、しっぽをぷりぷりと興奮気味に振ったふわふわ雪は、もはやあるじの制止を聞かない。それでもヴァラがふわふわ雪を捕獲しようと手を伸ばした瞬間、ヒューが短くあっと叫んだ。



ゴトゴト、ガタン! 



作業台から高く飛び上がった真夜中月が、後ろ足のそばにあった混合液の小瓶を蹴った。


小瓶は倒れてスピンしながら作業台の上を横滑りし、ヴァラは青ざめて必死に手で堤防を作り瓶が台の上から落下しないようにしようとする。



「あっ!」



ほんの一瞬、ヴァラは出遅れた。


ヴァラの手がスピンする小瓶を留める少しだけ手前で、ふわふわ雪が小瓶にじゃれついて前足でそれをはじいてしまった。


そしてそれは怒り心頭の真夜中月の足元まで転がってゆく。



小瓶をふわふわ雪からの攻撃とみなした真夜中月は、再び素早いパンチを繰り出して小瓶を払いのけ、ふわふわ雪が追って来られないように棚の高いところに飛び乗り、どこかへ姿を消してしまった。


小瓶は到達予測地点からはるかに軌道をずらし、あらぬ方向へと滑っていく。


作業台のふちに両手をかざして瓶のいくほうへずれようとおろおろするヴァラと、作業台から落ちようとするところを長い腕を伸ばして受け止めようとしたヒューはごつん! と額同士をぶつけて互いに悲鳴を上げた。


「きゃっ!」


「痛っ!」



 ……ぱしゃん。



小瓶のふたが外れ、透明な紫の液体が飛び散った。


額を抑えながら少し上を向いたヴァラはその数滴を顔に浴び、床にへたり込んで額をさするヒューは二、三滴を手の甲に浴びた。

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