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第10話
木漏れ日が森の小道にまだらな影を描き出す。
二頭の栗毛の馬たちの
いくぶん明るい栗毛の馬に乗ったヴァラは、フード付きの乗馬マント姿で後ろのヒューを振り返る。
「この森に来たことはある?」
濃い栗色の馬に乗ったヒューは木漏れ日を見上げて目を細める。
「小さいころはバルやイギーとよく遊びに来たな。まさか、魔女が住んでいるとは知らなかったけれど」
小鳥たちのさえずりや時折聞こえる小動物たちの移動する音。
時折、木々の間を服抜けるやわらかな風が、木の葉動詞をすり合わせてゆく。
それにしても、とヒューはヴァラの慣れた様子に苦笑する。
先刻。
ごく自然な口調で城を抜け出すと言い、ヴァラはヒューの手から小さな毛玉のようなふわふわ雪を受け取り、草の上にそっと置いた。そして右手の人差し指と親指をぱちん、と鳴らした。すると小さな毛玉の彼女の使い魔は、ひと瞬きもしないうちにあるじの姿に変わった。
ヒューは驚いて目をみはる。ヴァラが二人。
本物は彼女に化けた使い魔に、いつものようにお留守番をお願いね、と言うと、言われた偽物はしずしずと塔のあるほうに向かって歩き出したのだ。
あの兄たちにして、この妹ありか。
常歩のまま半刻ほど進むと、小さな庵が見えてきた。庵の脇には屋根ほどの高さの楢の木が立っている。庵の南側には小さな畑があり、何種類かの薬草やハーブたちが栽培されているようだ。
ヒューは二頭の馬たちの手綱を楢の木の下の木製の柵に縛り付けた。
「ばばや」
トントントン、と軽く三回ノックしてヴァラはドアを押す。ぎちぎちに軋みながらそれは開く。
「おでましか」
まるで訪問を知っていたかのように、老魔女は木のテーブルの上に三人分のお茶の用意をして待っていた。
ヴァラは慣れた様子でテーブルの魔女のそばに行き、背後のヒューを傍らに引き寄せて魔女に言う。
「こちらは北家のご嫡男のマイヤー卿。バルの命令で私の解呪の手伝いをしてくれているの。ヒュー、彼女は私の乳母のひとりで魔術の師でもあるアルダギーサよ」
ヴァラの紹介で二者は挨拶をしあう。青鈍色のシンプルなドレス姿の痩せた老婆は、シワの奥の薄い青色の瞳に好奇の光を浮かべてヒューを見た。
「思っていたよりも、よほど邪悪で強力な呪に捕われていらっしゃるようだね」
にやり。老魔女は目元だけで笑んだ。ヒューは目を見開く。
「わかるのですか?」
「わかりますとも。しかし、エドセリク殿の呪に守られてもおられる。さあ、おかけなさい。姫よ、ばばに何を尋ねにいらっしゃったのか」
ヴァラが夢の中で見た古代文字の意味について老魔女に尋ねている間、ヒューは老魔女が言ったことについて考える。
彼女はヒューに呪いがかけられていることを簡単に見抜いた。どうやってわかるのかヒューには見当もつかないが、力の強い魔女や魔術師には見ただけでわかるのかもしれない。
この庵に入ったとき、魔女はすでに三人分のお茶の用意をしていた。
ヴァラがくることはもちろん、彼女がもう一人連れてくることもすでに知っていたようだ。逆に考えれば、魔女だからこそ、あらかじめ感知できていたのかもしれないが……もはや、格別不思議だとも思わない。
先ほどはふわふわ雪がただのペットの犬ではなく、ヴァラの使い魔だということを知ったし、それがヴァラの姿に変身する瞬間もしかと見届けた。
普通でも呪われているだろうとうわさされるのだ。
本当に呪われていると言われてもやはりそうかと思うだけだ。ここ数日、ヴァラとともにいるので感覚がずれてきているのかもしれない。
老魔女から求めていた答えを聞き出せたようで、ヴァラは満足した。用事が終わり二人はもと来た道を城へと戻る。
往路と同様に
ヴァラがねだるので、留学中のいろいろな見聞きしたことをヒューは話した。
ヴァラは時々目をみはったりくすっと笑ったり、ええ? とあきれたりして熱心に聞き入る。
自身でこっそりと抜け出してくる森と魔女の家のほかは、兄たちが時々連れて行ってくれるおしのびの城下町以外は知らないヴァラにとって、外国でヒューが見聞きしてきたことは、驚いたり興味深かったりすることだらけのようだ。
ヒューも自分の話にいろいろな表情を見せて聞き入るヴァラの反応が楽しくて、彼女が関心を示しそうな様々な体験談を話した。
復路の半分ほどに差し掛かったあたりで馬たちの様子が少しおかしくなった。しきりに耳を四方に動かし、息も
「どうした?」
「ヒュー」
ヴァラが緊張した硬い声でヒューの名を呼ぶ。彼女は彼のほうを向いて呼びかけたわけではない。ヒューが顔を上げると、彼女は前方を凝視している。
「あ」
ヴァラの視線をたどったヒューは思わず声を漏らす。
彼らの行く小径の十馬身ほど先に、五人の男たちが立ちはだかり、こちらを見ている。四人は腰に長剣を帯びているし、立っている姿勢からして武人だ。四人の少し後ろには、黒っぽいローブを着てフードを目深にかぶった男がいる。
「あのローブの男……魔術師ね。相当力が強くて、私の力を抑え込んできている。妨げられて、何も魔術が使えない……」
ヴァラが柳眉をゆがめる。彼らは明らかに二人を見ている。
「そうか」
ヒューは頷いてゆっくりと馬の背を降りる。
さて。
帯剣しろと皇太子命令を受けて、まさかその翌日に剣を実際に使うことになろうとは。
彼の
「一対三はちょっとずるいだろう……」
ヒューは苦笑する。四人のうち三人が近づいてくる。三人とも、見るからに
見るからに武人ではない、奥のローブ姿の男がヴァラの魔力を封じているとすれば、彼らの目的は明らかに彼女だ。
「ふわふわ雪を連れてくればよかったわ」
ヴァラのつぶやきにヒューはさらに苦笑する。あの小さな毛玉犬では、いくら使い魔でも私より役に立ちそうもないな。
ヒューはソードホルダーに掛かる
その姿は、どう見ても素人でとてもそんな大きな剣の使い手には見えない。
男たちはにやつきながらゆっくりと近づいてくる。二人が抜刀している。ヒューはぐらぐら揺れる下段の構えで半歩ほど後退った。
その構えを見て敵ではないと判断した男たちは、余裕の笑みを浮かべながらさらに近づいてくる。
長い刃先が十分に届く距離まで彼らが近づいてくると、ヒューはふいに本来とるべき構えに体勢を変え、身を屈めて相手が構えるより速く彼らの手元を狙って斬りこんだ。
彼らの持つ長剣より細く長い剣身は、油断しきっていた男たちが騙されたことに気づいて構えようとするよりはるかに速く、彼らの剣を空中に弾き飛ばした。
二本の剣はそれぞれが回転しながら大きな弧を描き、十馬身以上かなたの藪の中に消えていった。
ヴァラは両手で口元を覆って悲鳴を飲み込む。
あっ、と大口を開け目をむいて自分たちの剣が飛び去るのを見ていた男たちが気を取られている間、彼らの背後に回り込んだヒューは、一人の利き腕の上腕ともう一人の左の横腹に刃を滑らせた。
あまりの素早さのため、彼らが斬られたことに気づいたときには、ヒューはすでに上段に構え、次の攻撃に出る体勢を整えていた。
男たちが斬られた部位に手を当ててうめき声をあげる。彼らは本能的に退却を選び、ローブの男ともう一人の兵士風の男のもとまで走り去った。
二人の男たちが仲間のもとに合流したとき、対峙する男たちと二人の間におよそ森の中には不似合いな、秀麗な近衛騎士の制服姿の若者が三人、騎馬で現れて割って入ってきた。
馬上のヴァラと地上で彼女を見上げるヒューは、同時に驚きの声を安堵で飲み込んだ。
「何者だっ! この森を禁域と知っての狼藉か!」
抜刀した長剣を掲げ持ったイギーが男たちに
「大丈夫だった?」
ヴァラとヒューのもとに近づいてきたバルが、自分の馬の手綱を引きながら尋ねてきたきた。
「ちょうど視察の帰りに森を抜けていて、刃物の音がしたから来てみたんだ。今日は魔女の庵に行くときいていたから、もしやと思って」
「バル……」
ヴァラは呆然とする。
「バル、どうしてそんな恰好なんだ?」
ヒューが近衛騎士の制服姿のバルを見て眉根を寄せる。
「いやちょっとね。変装したほうが視察は早く順調に済むんだよね」
はは、と笑うバルの背後で男たちに向かうイギーとフランツは、出方によっては馬上でいつでも攻撃できる構えを取っている。不利を悟り、彼らは馬に乗って走り去った。
ヒューはほう、と息をつき剣を鞘に納めた。
「何だったんだ? あの男たちは」
イギーも剣を収めながらこちらに近づいてきた。
「ローブの男、相当な力の強い魔術師だった。私の力を封じていたみたい。何もできなかった。でも、ヒューがいてくれてよかった……」
ヴァラは胸を押さえて安堵の吐息を漏らした。
「つまり、あの男たちの目的はお前だったのか」
イギーの言葉にヴァラはこくりと頷いた。
「最近、悪意の視線を感じると言っていたでしょう? 誰かに狙われている気はしていたけれど、まさかこんな城の近くでさらわれそうになるなんてね」
「ヒューがいてよかっただろう?」
バルが片目をつぶる。ヴァラはヒューを見て苦笑する。
「及び腰だったからはらはらしたけれど……演技だったのね」
「武人を複数相手にするなら、多少の策は講じないとね」
ヒューは肩をすくめた。
「傭兵や
バルが笑う。
「たしかに、お前は俺たちには思いつかないような汚い手を使うからな」
イギーが肩をすくめる。
「いや、その長いバスタードソードを思い通りに使いこなす技は素晴らしいですよ」
フランツがほめる。ヒューは悪びれず口の端を上げる。
「相手が騙されるくらい単純だからよかったけれどね……あぁ、もしや」
細かく上下に頷きながら、ヒューは何やら考え込む。四人はその様子を見守る。
するとヒューはひとり納得してくすりと笑う。
「実は今朝、城内であるお方から嫌味を言われたんだ。王太子から第七王女殿下をお守りするように仰せつかったのか、剣もろくに振るえなそうな文官候補を護衛にするとは、王太子も何をお考えなのであろうかってね」
バルはふうん、とつぶやいてにやりと笑む。
「そんな失礼なことを言ってくるのは誰なのか、すぐにわかるな」
「クラム侯でしょう」
イギーが腕くみしながら頷くと、フランツがくすりと笑う。ヴァラは薄はげの赤毛の中年太りのふてぶてしい顔を思い浮かべて目を細める。
「そうだよ。剣もろくに振るえなそうな私がいても、余裕で
「あはは。ずいぶんと彼には舐められたものだね、ヒュー。いや、キミのことだからそれをまんまと逆手に取ったね」
「あえて舐められていたほうが都合がいいからね」
「策士だなぁ、相変わらず。でも、ヴァラを守ってくれてありがとう」
バルは親友にお礼を言った。
馬上の五人は
「クラム侯がヴァラを狙うのはどうしてなんだ?」
ヒューの疑問にバルはうーん、と言ってから答える。
「おそらくは、王家の呪いを解かせないよう邪魔をしたいのだろう」
「なぜだ? 噂では自分の娘を王太子妃にしようとしているらしいじゃないか。それならむしろ、呪いが解けてバルが安心して妃を迎えられるようになったほうが都合がいいだろう?」
「ヒュー、彼にはね、二つの策略があるのだと思うよ。一つ目は今キミが言った通り。もう一つは、ヴァラに呪いを解かせない。呪いが解かれずに進行すれば、私たちの何人かがまた死ぬかもしれない。私が死んでもまだイギーもイェルもフーもいるし、誰が王太子になっても娘を王太子妃にはできるだろう? あるいは、王家の血統が途絶えれば、謀反を起こして自分が王位につけるかもしれないね」
「なるほど。そういうことも考えそうなお方だな」
ヒューが納得して頷くと、ヴァラもありえるね、と苦笑した。
「もしヴァラが呪いを解くほうが早かったとしても、私に王太子妃を差し出して、自分は次代の王の舅として
「わかったわ。気を付ける」
「うん。そうして。そういうことでヒュー、さらによろしく」
西家のクラム侯は、見るからに腹黒い。
侯爵位に飽き足らず、王位を狙っていたとしても不思議はないくらい貪欲で思い上がりがはなはだい。
先々代の王のひ孫。しかし彼の出自には黒いうわさがある。
彼の祖母は隣国の侯爵家の姫君で、若いころから多くの男性との浮名を流した妖婦だった。先々代の王の王子であった祖父が臣籍に下り侯爵位を叙爵されて結婚したとき、彼女はすでに身ごもっていた。
つまり、生まれた息子――クラム侯の父――は、王家の血を引いていないのではないか。当然、息子のクラム侯しかり。
だから遺伝的にも彼には王家の男子に顕著な痩身、長身、淡い髪の色、青い目の色などの特徴がいずれも当てはまらない。
王家の血が流れていないが、王家に近い血筋の家に生まれてはいる……だからこそ、王座への執着がことさら強いのかもしれない。
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