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第7話
北家リヒテンシュタイン侯爵家嫡男は呪われている。
生まれた時から今までに合計五人の婚約者が、事故死や病死を遂げているのだ。
初めは、生まれる前に決められていた同じ年の岬の伯爵家の令嬢。彼女は生後七日で高熱で亡くなった。
二人目は五歳の時婚約した
三人目は八歳の時。二つ年下の西の辺境伯の四女。乗馬の練習中に突然暴れだした馬から落馬死。
四人目は十二歳で婚約した一つ年下の鈴ヶ森の伯爵家の令嬢。湖で舟遊びの最中に、眠るようにボートの上で亡くなった。
五人目は十五歳の成人の儀のすこしあとに。三つ年上の緑岡の伯爵の次女。半年もしないうちに風邪をこじらせてそのままはかなくなってしまった。
そしてさすがに外聞も悪くなってきたと思っていたら、留学中の本人の知らぬまに六人目の婚約者が決定されていた。同じ年の鷹の谷の伯爵家の二番目の令嬢で……彼女は少なくとも今の時点ではまだ生きている。
生きてはいるが彼女は今までの五人の婚約者が亡くなっているいるという事実に恐れ脅え、社交シーズンが始まってからも領地に引きこもっていつ突然失うかもわからない命の危機におびえ続けているらしい、とここまではイェルから聞いた情報である。
北家は西家と勢力を二分するほどの名家だ。その嫡男であるヒューは将来は外務大臣か宰相かと大いに期待される逸材であり、内面もすばらしく容姿も格段に麗しい。
普通ならば彼の婚約者に選ばれるなどとてつもなく幸運で名誉でしかないはずだ。しかし、三人目の婚約者が亡くなったあたりから不穏なうわさが流れ始め、五人目が亡くなると誰とはなしに彼に困った通称を使い始めた。
「呪いの若君」
これも初めは「婚約者殺しの呪われた侯爵家の若君」だったのがいつしか省略されて「呪いの若君」となったようだ。王家の呪いとはまた別だが、彼にもまた、何らかの呪いがかけられているのでは、と人々はささやきあうようになっていた。
「バルが言っていた、一石二鳥。そのことでしょう? 私の解呪に協力してもらう代わりに、私にはヒューの呪いを解いてあげなさいって」
「王家の呪いはきみが解くとしても、私の呪いはどうなのかなと思うけれど」
「本当に呪いなの?」
「おそらくは。うちに恨みを持つ誰かがかけた…異国の邪教の呪いらしいけど」
「異国の邪教ね……それは手に余りそう」
ヴァラは苦笑する。
「とりあえずは王太子命令だから、きみの手伝いをするよ。あ、そういえば、昼間きみのペットを見かけたんだ」
「ペット?」
「白い犬。バルのところに行く回廊の途中で飛び出してきた」
「あの子、そんなところまで行ったの……」
「ウサギかと思った」
「えっ?」
ヴァラは目を丸くしてヒューを見上げる。ヒューはその時の様子を思い浮かべて目を細める。
「こんなだったから……」
右の手のひらを上に向け、指の関節をまげて見せるヒューに、ヴァラは首を傾げ、何か考え込む。
「……」
「ちぎれるかというくらいしっぽを振ってきた。抱き上げたら思っていたよりはるかに軽すぎて驚いたよ」
「それが…どうして私のペットだと思ったの?」
「その子犬がきみが眠っているとろまで私を案内したから。あの子の名前はなんていうの?」
ヴァラはちょっと何かに呆気に取られて黙ってしまったが、ふっと口元をほころばせて笑った。
「ふわふわ雪」
「え?」
「あの子の名前よ」
「ふわふわ雪っていうのか、あの子の名前は」
ヒューはふっと笑った。あの毛玉みたいなのがぽとぽと空から降ってきたら…とヒューが言うので、それを想像したヴァラは思わず吹き出してしまった。
「みんな、変な名前だって笑うけれど……それよりも、あの子が初対面の人になつくことに驚きだわ」
「昔飼っていたから、犬好きはわかるのかもね」
そういうことではなく、とヴァラは心の中で苦笑する。
「あれはペットではなくて、私の護衛なの」
今度はヒューが苦笑する。
「あのちびが護衛? ありえない。いくら王城内でも、あのちび犬だけを連れて庭園で一人で眠りこけていては危ないよ」
「あの子がいれば大丈夫」
昼間バルも「彼女はひとりでも大丈夫」と言っていたが、あんなちび犬一匹を護衛だなんて、やはり危ないと思う。そのことを言おうとしていると、イギーが手招きをして二人をせかす。彼らはすでに北の塔の入り口の前で二人を待っている。
バルが恭しくヴァラに騎士の礼をする。
「姫君。これより我々は変装して城を抜け出し、友の歓迎会を開いてまいりますのでこれにて失礼いたします、ごきげんよう」
ヴァラは自分の手を取り指先に口づける兄ににっこりと笑みかける。
「はい、美しい花々を鑑賞して楽しい時をお過ごしください、王太子殿下、みなさまも」
塔の階段を上がる扉が閉まりヴァラがカギをかけたことを確認すると、彼らは塔の脇の道具小屋に入っていった。
ゆっくりと石のらせん階段を上がっていたヴァラは、途中の小さな明り取りの窓から地上を覗いて、四人が夜陰に紛れて裏門から城を抜け出していくところを見た。
M夫人という、とある伯爵の愛妾が身分の高い人たちだけを顧客に持つ『アイリスの館』という娼館にでも行くのだろう。
王侯貴族の男子は十五歳で成人の儀を終えるとそこへ行くことを許される。青い血を受け継ぐことは彼らにとって大切な役目の一つである。
そのためそこで、閨房に関することを実践で学ぶ。特に成人の儀の後の最初の来館は高位貴族の令息たちにとっては絶対の義務である。
たいていの場合は一度と言わずその後何度でも通うようだが、ヴァラの弟のイェルは一度でこりごりだと言って行こうとしない。行きたくないというのに無理につき合わせるのも酷なので、兄たちはイェルは誘わない。
イェルの一度目の翌日、ヴァラはハイデと二人でイェルに感想を聞いた。好奇心いっぱいに詰め寄る姉二人にイェルはげっそりとした表情で深いため息をついて言った。
「なんだかもう、なんていうか、しばらくはいい、かな……」
子供には刺激が強すぎたんだねと、二人は爆笑してしまった。
塔の上の自室に戻ったヴァラを出迎えたのは、子牛ほどの大きさの巨大な真っ白いオオカミだった。
「ただいま、ふわふわ雪」
彼女の頭などすっぽりと入ってしまいそうな大きな口元に手を伸ばし、その頬や首をわしわしと撫でまくる。
大きな丸テーブルの上には、大小さまざまな箱が積みあがっている。父王やきょうだいたち、そして代母となってくれている王妃からの誕生プレゼント。
部屋には大きなオオカミの姿の使い魔のほかは誰もいない。
ヴァラには侍女の代わりに、「目に見えないものたち」が身の回りの世話をしてくれている。ドレスを脱ぎ髪を解いて湯あみをし、ナイトドレスに着替えることも、すべては「見えない者たち」が手伝ってくれる。
ベッドに入ったとき、ぴょこんとひざに飛び乗ってきた小さな毛玉のような姿に変わったふわふわ雪が、黒い丸い目でヴァラを見上げてきた。
「お前はよほど、彼のことが気に入ったのね」
ヴァラは優しく子犬の姿の使い魔の小さな背中を撫でた。
祖父である魔術師エドセリクが、ヴァラが誕生したときに付けた使い魔。巨大なオオカミにも小さな子犬にも、時には鳥やヴァラ自身の姿にも化けることができる。
ヴァラに悪意を持つ者に対してはただ巨大なだけではなく、
「初対面で無邪気な姿をさらすなんて、初めてだよね?」
きゅ、と小さく鳴くとふわふわ雪はぷりぷりとしっぽを振った。
「お前もバルも、どうかしてるわね……」
呪いの若君。
シーツの間に横たわったヴァラは、枕に頭を預けるとそう頭の中でつぶやいて、そっと目を閉じた。
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