七番目の息子の七番目の娘

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第2話

208年後。



やわらかな春の日差しがとけ込んで、真っ青な空を映した海面が銀色のラメを散らしたように輝いている。


王都を見下ろす小高い丘の上の古城では、今宵この国の第七王女の十六歳の誕生日を祝うごく内輪の夕食会が開かれようとしていた。しかしながら、王女の誕生祝の夕食会とはいっても出席するのは父王と異腹の兄弟たちくらいだ。


なにせ主役の王女が極端な社交嫌いであるからだ。それでも、本館ではいつもより少しせわしげに使用人たちが準備に追われていた。



ほんの四日ほど前に留学先から二年ぶりに帰国したばかりのヒューは、幼馴染である王太子とその弟の第四王子への挨拶のために城に上がっていた。


彼の父親は四代前の王の孫にあたる侯爵で、ヒューはその嫡男として将来はその爵位を継承することになっている。彼の母は隣国の王女で、父が留学しているときに恋に落ちて大恋愛の末、結ばれた。貴族にしてはまれな恋愛結婚だったといえる。



穏やかな日の光に彼のダークブロンドの髪がふわりとなびき、自然光の下では屋内よりもすこし明るめに見える。


十五歳で成人の儀を終えて子爵位を賜ったときは、そのあまりの美少年ぶりがあらゆる世代の貴婦人がたをかたっぱしから魅了した。


三年たった今ではそのころよりも頭二つ分は背が伸びて幼さが抜け、特に留学先から戻ってからは知的にぐんと大人びた。


同い年の第四王子と並ぶと、ヒューのほうが年上に見られるだろう。


光の加減や感情の変化によって微妙に色味の変わる切れ長のブルーグリーンの瞳は冷たくも優しげでもあり、彼が特別何も意図しなくても、それらをむけられた異性はさっくりと心を射抜かれてしまう。


完全には大人になり切ってはいないあやうさと、少年ではない大人の男性としての色香も漂わせ始めている。細い鼻筋と細いあご、薄い唇。中性的でもあり、男性的でもあり、とにかく美しい。



彼に話しかけたい、話しかけられたいという令嬢は留学先でもとにかくたくさんいた。しかし一方では、生まれながらの気品が気軽に話しかけづらい雰囲気を醸し出していた。


城内ですれ違う使用人も侍女も、ちらちらと熱い視線をむけてくる。



 あれはどなた? 

 どこのご子息かしら。

 なんてお美しいのでしょう。

 なんてすてきな方なのでしょう。

(ひそひそひそ……)

 きゃあぁ、今、こちらをご覧になったわ!

 はぁ? あなたなどご覧になっていらっしゃらないわ。わたくしをご覧になったのよ。 

 何をおっしゃるの、図々しい。わたくしよ。

 いいえ、わたくし!



ダダ聞こえなのだが、涼しげな表情のまま何も聞こえないふりをして回廊をゆっくりと大股で歩く。 


 

ふん。



ヒューは心の中で平静なまま冷笑する。


私が何者なのか名前を聞き、その名にまつわる忌まわしい噂を知れば、誰もが青くなってかかわらないように逃げていくさ。


それは他者への蔑みでもなく、自嘲でもない。


ただ単に、事実だからそう思うのである。




本館パラスから回廊でつながった王太子の居住宮へ向かう。


人影のなくなった曲がり角付近で突然、十歩ほど目の前になにか小さな白いかたまりが、ぴょこんと庭園から飛び込んできた。


「な、なんだ?」


ヒューは反射的に足を止める。ウサギ?


片手のひらに乗るほど小さい。しかも真っ白な長毛に覆われている。ネコ? 


丸いけむくじゃら本体から小指の先ほどのモノが出ていて、ふりふりとちぎれんばかりに左右に振られている。


よく見ると丸い黒点が三つ見える。目と鼻のようだ。


「いぬ……?」


首を傾げるヒューめがけて、はじかれたボールのようにそれは駆け寄ってきた。


ヒューはしゃがみこみ、右手の甲を小さなもこもこにそっと差し出した。子犬は湿った黒い鼻をヒューの手の甲に近づけて匂いを嗅いだ。彼がてのひらを上に向けると、子犬はその上に華奢なあごをちょこんと乗せた。 


やわらかな長毛とその体温に目を細め、ヒューは小さな顎をこしょこしょとくすぐってやった。


「どこから来た?」


そっと慎重に両手ですくって抱き上げると、驚くほど軽い。子犬はヒューのブルーグレイの上着の肩のくぼみあたりから彼の首筋を登り、その左頬を小さな舌で舐めてきた。


ヒューは頬を緩める。彼のてのひらの中で身をよじって回転した子犬は石の床にぴょんと飛び降りて、しっぽを振りながらヒューを振り返る。


子犬ははじかれたように駆け出し、十歩ほど先でヒューを振り返りキャン、と鳴く。


「ついてこいということか?」


まるで会話をするように子犬がもう一度キャン、と鳴いた。ヒューが歩き出すと子犬は彼を振り返りながらどこかに誘導する。


ちゃんと後をついてきているかを確認しているようだ。




庭園の中を、「こっちだよ」とでもいうような子犬についてヒューは歩いてゆく。


噴水の脇を抜けバラの垣根のなかをジグザグに進み、生け垣の曲がり角を抜けると目の前に白い木製の四阿あずまやが現れた。子犬はその前でヒューを振り返り、嬉しそうにしっぽを振る。


四阿に近づいた時、ヒューは中の人の気配にはっと息をのんだ。


籐でできた寝椅子カウチに生成りのクッション。


座った姿勢のまま背もたれに体を預けて、一人の少女が眠りこけている。



ヒューとさほど変わらないくらいの年ごろか。


透き通るように白い肌、細く長い腕、小さな顔に小さな顎。ちょこんと顔に乗った小さな鼻、淡いバラ色の頬。ゆるくうねるアッシュブラウンの髪は腰のあたりまである。


長い茶色のまつ毛に縁どられたまぶたの下の瞳はどんな色なのだろうか。


熟れた木の実のような赤い唇は少しだけ開いている。シンプルで飾り気のない赤いドレスを着ているが、一目見て上質な生地だとわかる。


誰が見ても彼女を美しいというだろう。


絶世の美女だ。



キャン、と子犬が足元でヒューを見上げて鳴く。誇らしげにしっぽを振っている。


「お前の飼い主か?」


子犬は返事をするようにもう一度鳴いた。


ヒューは首を傾げる。



それにしても……



たぶん彼女はその雰囲気からして王女の一人か、あるいは高位の貴族の娘で王太子妃候補かもしれない。


しかし、周りには護衛も侍女も姿が見えず、こんなところで一人寝ているのはいくら王城内といえども無防備すぎるのではないか?


こんな状態で目が覚めて何か誤解されては面倒だ。もっと鑑賞していたいと名残惜しくはあるが、ヒューはその場を離れることにして子犬の上にかがみこみ、その頭をそっと撫でた。


「ご主人をしっかり守れよ」


ヒューがすぐ近くにいるのに、彼女は目覚める気配がない。危なっかしい。


ヒューはゆっくりと四阿を離れ、来た道を戻っていった。

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