いねむり姫 ~魔女姫と呪われた若君~
しえる
The bigining
第1話
約200年前。
大陸の西のはしに、陸海ともに諸外国との貿易によって栄えている大国があった。貧富の差はあれど税制は整えられ必要最低限の生活は保障されていたので、地方都市に至るまで国民は生活への不安や不審、負担を感じることはあまりなかった。
背後を深い森に囲まれた小高い丘に石造りの大きな城がそびえ、大河を隔てた王都を見下ろしている。
城下の都には様々な人種の人々が行きかい、周辺の国々では最大の国際都市として賑わいを見せている。
東西に立つ
港は整備され、外国の商船が昼夜ひっきりなしに出入りしている。港の付近には商人目当ての食堂や居酒屋、宿場が集まり活気づいている。
国境を隔てる近隣諸国との関係も良好で、その繁栄は長く続いていた。
ある年、海峡を隔てた対岸の国が侵攻してきた。
真夜中の海からの奇襲によって、月のない星夜に煙や火の手が上がった。何十という大きな軍船から放たれた数十発の大砲や数千本の火の矢は瞬く間に港や町のあちこちを焼いたり破壊したりした。逃げ惑う人々は軍船から上陸してきた武装兵たちに無差別に殺された。
当時の王は真夜中の奇襲になすすべなく、夜空に立ち上る煙や火の手を王城から呆然と眺めていた。そして傍らの魔術師に、この悲惨な状況をどうにかできないかと苦痛の表情を向けた。
魔術師は王の幼いころからの友人であり、長年の良き相談相手でもあった。かねてから海を隔てた向かいの国の動きには注意するようにと王に進言していたが、王はあまり重要性を感じずに受け流していた。
魔術師は泣きすがる王に、国を救うための対価を求めた。
魔術師や魔女に願い事をするときには対価を用意しなければ、願いは聞き入れられない。ましてや国一つを救うほどの対価である。それはどんなに親しい間柄であっても違えることはできない。
魔術師は王に答えた。
もしもお前の命を対価として差し出せば、私はこの国を救おう。お前にはその覚悟はあるのか、と。
王は二つ返事で承諾した。
私はこの国を、この国の民を救えるならば喜んでこの命をお前に差し出そう、と。
魔術師はぱちりと指を鳴らした。すると彼の手には一枚の羊皮紙が握られる。彼はそれを開き王に差し出す。
それは契約書だった。王の命と引き換えに魔術師は国を救う。王は差し出されたペンで自分の名を書き込んだ。魔術師がそれそ受け取りまた指を鳴らすと、それは青白い炎い包まれて宙に消えた。
約束を違えば友人であっても容赦はできない、と魔術師は王に言った。王が神妙に頷くと魔術師は灰色のローブの裾を翻してどこへともなく姿を消した。
それからすぐ、星の夜空には煙とは違った暗雲が立ち込めた。
風が野獣のようにうなり始め、遠くからおどろおどろしい雷鳴が聞こえてくる。
天から
あまりのその明るさに王は顔の前に手をかざす。すさまじい破壊音がするやいなや、海上の大きな軍船の一つが真っ二つに割れた。
王は口を開けたまま呆然とそれを見つめる。そしてその次の瞬間には頭上に響く別の轟音に恐れおののく。何か巨大なものが彼の頭上を移動していった。火の海と化した都の上を悠々と滑空し、それは海上の軍船の群れを目掛けて突っ込んでいった。
星影の夜に浮かび上がるその
それは口から火炎を吐いて、軍船という軍船をことごとく焼き払っていった。
瞬く間に海上は火の海と化し、燃えて崩れ落ちてゆく軍船たちはまるでかがり火のように見えた。
雷鳴とは明らかに違う獰猛な咆哮を聞いて、王は恐怖でひざが笑いその場に崩れ落ちた。やがてそれは軍船を一隻も残さずに焼き払い、旋回して城をめがけて飛んでくる。
王は城の上をかすめ飛ぶ巨大な影に悲鳴を上げた。それはそんなちっぽけな王を嘲笑うかのように、ひとつの咆哮を残しどこかへ飛び去った。
呆然とうずくまる王の傍らに、いつのまにか戻ってきた魔術師が立っている。
約束は明日果たしてもらう、と言い残して魔術師は去った。
翌日の昼に魔術師が王のもとを訪れた。
二人は惜別の盃を交わした。
しかし王は開き直って、自分はもはや死ぬつもりはないと魔術師に告げた。
魔術師は長年の付き合いから、王がそう言うかもしれないことを予想していた。彼は冷笑を口元に浮かべ、約束は
王は恍惚の笑みを浮かべた。
一国を救うほどの価値のある命ならば、自分でなくともよいはずだ。魔術の対価とは、必ずしも望んだ者が差し出さなくてはならないわけではない。私はこれからこの国を復興していかねばならない。お前は素晴らしい魔術師だが、一国を統べる私に比べれば取るに足らない存在だ。だから私の代わりに、お前が命を差し出せばよい。
王は口元に満足の笑みを浮かべながら魔術師に言った。
お前の酒には毒ニンジンが混じっている。やがてお前は足元から徐々に壊死が始まり、心臓が止まるであろう。だが苦しむことはない、眠るように逝ける。
それが長年の友としてのお前への私からの思いやりだ。
魔術師はすでに感覚をなくしたつま先で、王の言葉が真実であることを悟った。そして彼も口の端に笑みを浮かべた。
お前がもしやこういう狡猾な選択をするかもしれないと思っていた、だから万が一のために手を回しておいた。
お前の血筋は今後八割方、何代にもわたり私への
こんなこともあろうかと、昨夜のうちに紅い石たちには血の
そう言い残すと、魔術師はどこへともなく忽然と姿を消した。
何かを言いかけて身を乗り出した王は、ただ魔術師が消えた空間をぼんやりと見つめていた。
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