死にたがりの自称出来損ないは、死ねない体で“皆”を救って自分を殺す

夢見戸イル

出会い

1.死ねない体と過去の記憶

 特別不幸な人生ではなかった。命の危機に怯えることもなければ、特別お金に困る事もない。寧ろ、他の人よりも惠まれている部分もあるはずだった。

 なのに、こんなにも苦しいのはどうしてだろうか。それはきっと、自分が出来損ないだからだろう。


 元々、人より頑張らなければ“普通”にすらなれなかった。いや、頑張っても“普通”になれているのかすら怪しかった。欠陥品という言葉が、ぴったり似合う存在だった。

 ふと思う。そんな自分が、生きている意味なんてあるのだろうか。欠陥品は、ただのゴミだ。残していても邪魔にしかならない。将来のためを考えると、早く捨てた方がいい。


 そんな事を思いながら、ゼツは高い崖の上に来ていた。ここから落ちたら、確実に死ねるだろう。遥か下に見える暗い森に震えながらも、自分は死ななければならないのだとゼツは言い聞かせた。

 死ぬことで、誰かに迷惑をかけるかもしれない。けれども、これから生き続けることでかける迷惑の量と比べたら、わずかなものだ。そう思いながら、ゼツはそこから飛び降りた。

 瞬間生まれたのは、少しの後悔と恐怖。そしてそれ以上の、ホッとした気持ち。この重くて苦しい感情からの開放感。軽くなっていく心に心地良くなりながら、ゼツは静かに目を閉じた。


『おまえを死なせるわけにはいかない』


 突然、そんな声が聞こえた。聞いたこともない、知らない声。その意味を理解する前に、体に衝撃が走った。

 本当は、その瞬間を感じる前に死ねるはずだった。


「なんで……」


 痛みすらない。流れるはずの血すら流れていない。ただ背中に感じるのは、殺してくれるはずの硬く冷たい地面。重くて苦しい感情が、再びゼツにのしかかった。その重さで、暫くそこから動くことができなかった。




 何も動けない中、どうしてか幼い頃の記憶がゼツの頭に蘇っていた。ある日偶然見つけた、痩せ細った黒い子犬の記憶。お世辞にも可愛いとは言えない、どちらかと言えば醜いという言葉が似合う犬に、ゼツは迷わず手を差し伸べた。今にも死にそうなその犬を、ゼツは何としても助けたかった。

 けれども幼いゼツには、家に連れて帰って大人である親に助けを求める事しかできなかった。


「なんてものを拾って来たんだ!」


 第一声、聞こえてきたのは父親の怒鳴り声だった。


「あの、この子凄く弱ってて……」

「そんな汚い犬、病原菌でも持っていたらどうする! もし私や母さんが病気になったら、どう責任を取るつもりだ!」

「それなら、とりあえず獣医さんの所に……」


 ゼツがそう言えば、父親は強く机を叩いた。


「口答えをするな! 獣医さんに見せる? 簡単に言うな! 金を出すのは私なのだぞ! 金は無限に出るとでも思っているのか!」


 そう言われれば、ゼツは何も言えなかった。お金を稼いでもいない、自由に使えるお金を少しも持っていないゼツに、できることは何もなかった。


「本当におまえは考え無しに行動する、周りへの迷惑を考えない馬鹿だ! そもそも、そんな馬鹿な事をしている間にやるべき事が沢山あるだろう! これはお前のために言ってることなのだぞ! わかるか!?」


 そんな父親の怒鳴る声を聞きながら、ゼツは腕の中で震える黒い子犬を見た。小さな命を助けられない、そんな自分が悔しかった。


「じゃあせめてこの子にあげられるご飯を何か……」

「死ぬ犬にやる飯などない! 早く捨ててこい!」


 そう言って父親は、勢いよく外へ繋がる扉を開けた。


「でも……」

「言うことが聞けんのか!」


 そう父親は、ゼツの髪を引っ張り無理やりゼツを外に投げた。ゼツは受身を取り、何とか子犬が潰れないように守った。そのまま逃げるように、街を彷徨った。


「くうん……」


 そう鳴く子犬の頭を、ゼツは優しく撫でた。


「ごめんな。ほんとごめん」


 そう言って、ゼツは小さな公園に、子犬を置いた。ここなら誰か見つけて助けてくれるかもしれない。そんな小さな望みにかけるしかなかった。

 そうして家の前に戻ったのは1時間後。きっとまた何か言われるのだろうと思うと、憂鬱で仕方がなかった。家に入ったらすぐに自分の部屋に逃げよう。そう思って玄関の扉を開けようとした。

 扉は開かなかった。玄関の扉には、鍵がかけられていた。呼び鈴を鳴らせば、父親が扉を開けた。


「反省するまで家に入れん!」


 ゼツ自身、悪い事をしたとは思っていなかった。けれども、反省していると言うまで家に入れてもらえないこともわかっていた。


「反省……、してます……」

「何をどう反省しているか言ってみろ!」

「……っ。えっと……」


 それから、何をどう答えたのかは覚えていない。父親は、決して“正解”を教えてくれなかった。けれども、“正解”を答えるまで家の中には入れてくれなかった。何を言えば許してもらえるのか、必死で言葉を考えた。

 そうして、ようやく家に入れてもらえた後、ゼツは逃げるように自分の部屋に入った。わけのわからない感情に泣いていると、誰かが部屋に入ってきた。それは心配そうな顔をした母親だった。

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