揺籃

 ◆


 魔力の波長は固有のものだ。


 同じものは何一つ存在しない。


 なぜ存在しないのかは俺にも分からない。


 ただ、そうなっている──世界の法則なのだ。


 そして、魔術とはこの法則をどれだけ知っているかが肝でもある。


 時には法則に従い、時には法則を騙し、また時には法則を改変する──それが魔術の根幹。


 だからも出来る。


 俺は言うまでもなく母上の魔力の色、匂い、形を良く知っており、だからこそすることが可能だ。


 だが俺の魔力を母上のそれと装う事で一体何が起こるのか? 


 それは──


 ・

 ・


「母上!」


 次の瞬間、俺は母上の目の前に立っていた。


 "世界"が同じ波長の魔力が二つあるという不具合を察知し、それを修正した結果がこれだ。


 ただ、そこらの劣等が同じ真似をしたらひどい目に遭うだろう。


 その場合はおそらく異なる2つの存在が無理やり融合され、おぞましく奇怪なオブジェが出来上がってしまうものと思われる。


「ハイン!?」


 俺が声をかけると母上は駆け寄ってきて、俺を強く抱きしめた。


 昂っていた精神が瞬く間に鎮静されていく。


 というか、トんでしまう。


 ・

 ・


 と思っていたらトんだ! 


 あれは過日、俺がまだ二足歩行も出来なかった頃だ。


「ほら、ハイン。沢山成ってるでしょう、ヴィーワの実って言うのよ。ママの実家……エルデンブルーム伯爵家は昔は平民だったらしいの。それもその日のご飯も満足に食べられないほどの……。でもある日、見慣れない樹を見つけてね。それを植えてみたら、それがヴィーワの樹で……飢えをしのげたっていうお話があるのよ」


 母上がそんな事を言っていたのを思い出す。


 ヴィーワは橙色をした小ぶりの実で、さっぱりとした酸味と甘みが特徴だ。


 甘すぎないというのが俺好みだったりする。


 樹木は母上がアステール公爵家へ入る時に持ち込んだらしく、いまでもその樹は中庭に生えている。


 管理も万全だ。


 オーマがしっかりと管理をしている。


 俺は余り食にはこだわらないのだが、このヴィーワの実は口に合い、幼い頃から多く食べてきた。


 母上に抱かれ、ヴィーワの実を食べ──そのせいだろうか、母上の胸とくればヴィーワの実を連想してしまう。


 ヴィーワの実が腹を満たし、体が温まっていく心地よい感覚。


 それに勝る母上の抱擁。


 幼い俺は母上の乳房に縋り付き、吸おうとしたものだった。


 弄び、頬を寄せ。


 その肌触りたるや余りにやわく。


 抱かれても抱かれても飽き足りない程だった。


 俺にはただ母上の乳房さえあればよい、そんな思いを抱いていたものだ。


 あの時、母は俺のすべてであり、今もそれは変わらない。


 ・

 ・


「は、ハイン? どうしたの? 動かなくなっちゃって……ハイン?」


 俺は母上の声で正気に戻った。


「いえ、つい昔のことを思い出しておりました。それはともかくたった一人で供もつけずに……オーマが伝えに来たのですぐにお迎えに上がることができましたが……」


「それを言うならハインも同じよ。でも私が悪いわね。あんなことを言ってしまってごめんなさい。伝えるにしても伝え方というものがあったと思うわ。でもね、ハイン……」


「お待ちください、母上」


 俺は母上の言葉を遮った。


「母上の言いたいことはわかります。納得はしかねますが。しかし、私たちの親子の在り方がの親子関係ではない事はあくまでも知識としては知っております。ただ、私はこれまで、それでもかまわないと思ってきました。他人に、周囲に合わせる必要などはないと考えてきました。しかし母上は、それではダメだと仰るのでしょう。アステール公爵家が周囲にどうみられるかもまた重要だと考えている──私は、僕は……すぐにはそれを飲み込めないかもしれませんが、少しずつ形を変えていければと、おもい、ます……」


「ハイン……」


 俺の精神はもはやグロッキー寸前だった。


 星を百発落としてもこれほど疲れはしないだろう。


 後日、実際に落としてやろうか。


 旧魔王軍とやらがここ最近帝国に喧嘩を売ってきている様だし。


 だがともかく! ……もう今夜はこれ以上この話題を話したくない。


「帰りましょう、母上。僕らの家に」


 母上への愛情は些かも変わっていない。


 きっと母上も俺に対しての愛情は変わっていないんだろう。


 それでも、俺は──


 ・

 ・


 その日、俺は久しぶりに独りで眠った。

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