ママのトントン

 ◆


 授業は退屈極まる。


 全て既知の事だからだ。


 しかし、既知の事だからとおざなりにするというのは破滅に繋がると物の本で学んだ。


 既知の中に未知を見出す、あるいは見出そうと努力をし続ける姿勢が大事らしい。


 俺はそれをもっともな事だと思った。


 当たり前の事だからと流すように接するのに慣れてしまえば、最悪それは母上からの愛を失う事にも繋がるだろう。


 なぜならば人間は、どうしても慣れてしまう生き物だからだ。


 いつか俺が母上に慣れてしまったら? 


 母上に想われて当然、愛されて当然だと思う様になってしまったら? 


 母上はそんな俺を見て何を思うだろうか? 


 それは余りに恐ろしい想像だった。


 そんな事にはならないよう、俺はどんな授業でも真面目に受ける。


 そして、そんな俺の邪魔をするような劣等は──


 ・

 ・


「先生、よろしいでしょうか」


 俺は挙手し、伺いを立てる。


「なんでしょうか、ハイン君」


「先ほどから先生が何度も何度も何度も注意しているにも関わらず、私語を止めぬ劣……者がいる様です。幸い私には理を尽くした説得の言葉があります。一つ私から彼らに忠告をさせてください」


「え、え? 忠告、とは……? まあ生徒間でなんといいますか、真面目に授業を受けようと考える雰囲気が醸成されるというのは喜ばしいですが、ええと……」


 俺は先生の言葉を是と受け取り、左掌を授業中にヒソヒソと私語を垂れ流す劣等共に向けて一つの魔術を使った。


 ──グラウ・ヴィス引力場


 星と星の間には "大いなる力" が存在し、大なるは小なるを傅かせ、従えるという。


 それを魔術により再現したのが、アステール公爵家直系の者にしか扱えぬこの魔術だ。


 自身と対象をそれぞれ星と見立て、 "大いなる力" によって強制的に眼前に召しだす事が出来る。


 効果は即座に顕れ──


「なッ!?」


「きゃあッ!」


 二匹の劣等が宙を浮き、俺の前へ引き摺りだされた。


 劣等二匹は直ぐには動けない。


 "大いなる力"が俺の意思に呼応して不可視の縛鎖となり、床に縛り付けているからだ。


「いいか、二度は言わぬ。アステール公爵家次期当主としてお前達に正式に苦情を申し入れる。授業中、二度と私語をするな。お前達が話していた事は全てこの耳が聴き取っているぞ。『私たちが生きてるのは今なんだから、昔の事なんて覚える必要なくない? 真面目に授業受けるなんて馬鹿みたいだよね』だと? 旧きを学び、新しきを知る精神が貴様らには無いのか? その様な怠惰な貴族は帝国を腐らせる。帝国の未来の為、お前達が態度を改めぬなら、ここで処断する。返答や如何に」


 俺はまともに呼吸ができる程度に魔術を緩めてやった。


 しかし舐めた真似が出来ない様に魔力で散々に威圧してやる。


「はぁッ……! はひ……はい! 改めます! 私語はもうやめます、申し訳ありませんでした!」


「わ、私も、もう二度と授業中に話しません! 申し訳ありません……」


「結構。しかしお前達が真に詫びるべきは私ではなく先生だ。こうべを垂れて真摯に謝罪せよ。赦しが得られなければやはりお前達はここで処断する。帝国に対するあらゆる脅威を払う事がアステール公爵家に課せられた使命。未来の帝国を腐敗させる芽はここで摘む」


 俺はそう言って、口を噤んだ。


「せ、先生……本当に、いままでごめんなさい……どうかお許しください……死にたくない、わ、わかるのです。頭の中で、な、なにかが! 膨らむような、い、痛い……頭がッ!」


 劣等オスが涙を流して先生に懇願する。


 劣等メスのほうはただ泣きじゃくっているだけだ。


「ゆ、許します! 今度からちゃんと授業を受けてくださいね、だから! だから、ハイン君は彼らを許してあげて……」


 先生の沙汰が下ったので、俺は劣等二匹を完全に解放してやった。


 ・

 ・



 授業が終わり、俺は速やかに帰り支度を整える。


 余りに真摯に授業を受けていたせいか、俺も精神的に疲れているようだ──幻聴が聴こえる。


「なあ、ハイン。ちょっと脅かし過ぎだったんじゃないか? ……いや、でも流石にうるさかったもんな、すまん、取り消す。それにしても授業真面目に受けてるんだな。結構意外だったぜ」


「いや、変な意味じゃないんだ。ハインは、あー、何でも出来るだろ? だからな……あれ? 聞いてる?」


「まあいいや、それよりもハイン! さっきの魔術凄かったな! アステール公爵家の血継魔術ってやつか? 流石だぜ!」


「ところでハイン、今日は放課後用事でもあるのか? 良かったら少し話そうぜ! 俺はお前に興味があるんだ!」


「あれ? どこに行くんだ? え、帰っちゃうのか? 良かったら俺の屋敷に寄って行けよ! メシでも一緒に食べよう!」


「おーい! どこに行くんだ?」


 幻聴が続くが無視をする。


 しかしあの教師は中々慧眼だ。


 魔道具が普及する事で、俺たち貴族の平民に対する優位性は次第に小さいものとなるだろう。


 しかしだからといって貴族制度そのものが無くなるわけではない。


 これまで貴族の優位性を維持してきたものが純然たる力であるならば、今後は伝統的権威と財力によって維持されるだけである。


 つまり今後俺たち貴族は一層の品位品格、そして暴力以外の強みを持つ必要があるのだろう。


 ただ結局の所、俺にとって貴族としてのどうたら等という事はどうでもいいのだ。


 母上が貴族だから、母上がこの国になにがしかの愛着を持っているだろうから、俺もこの国の貴族として振舞っているだけに過ぎない。


 こんな俺はもしかしたら、あの劣等二匹よりも貴族として相応しくない人間なのかもしれない。


 ◆


「──と、言うような事があったのです、母上……」


 俺はそれだけ言って、母上の胸にすがりついた。


「大変でしたね、ハイン……。でもちゃんと勉強するだけではなく、貴族としての責務をはたしている様で私は嬉しく思います……いい子ね、ハイン、あなたはとてもいい子」


 母上はそういって俺の頭を撫でてくれる。


「嬉しいです、母上」


「ママでしょ?」


「ママ」


 学院生活で疲弊した俺の精神がみるみる内に潤っていく!! 


 だが、俺ばかりが癒されるわけにも行かない。


「ママ、ちょっとうつ伏せになってください」


 俺が言うと、母上は「後ろからしたいのかしら」等と言って俺をからかうが、今夜ばかりはそういうわけではないのだ。


 俺は母上の背中に手をかざし、深呼吸を一つした。


 使うのはここ最近俺が研究を進めている複層振動魔術だ。


「ハイン、それは一体何をする魔術なの?」


 母上が興味深そうに尋ねる。


「これはですね、ママ。魔力の共鳴振動を利用して、物質の深層まで働きかける魔術です。 肉を成す"もっとも小さい粒" を魔力で振動させる事により、血流と魔力循環を同時に促進します。魔力は肉体機能を促進させますが、促進は同時に疲弊も伴います。しかし作用する魔力量次第では疲弊することなく健康な状態を維持する事が出来るのです」


 俺は説明しながら、母上の背に魔力で魔術式を描き、陣を構築する。


 複雑でこそあるが、ほんの僅かに魔力を励起させる──それ単体では全く意味を成さない極めて薄い陣だ。


 これを7171層重ねてもなお薄い、超薄型の積層型立体魔法陣は俺以外の者には扱う事はできないだろう。


 この魔術を作った目的は単なるマッサージの為だけではない。


 俺の最終目的は肉体の健全な若返りだ。


 魔術により時を誤魔化す手段もないではないが、そう言った手段で若返った者の末路は悲惨なものとなる。


 健全な精神は健全な肉体に宿る。


 健全な肉体は健全な手段によって形作られるというのが俺の持論である。


「んんっ……」


 母上の悩ましい声が俺の集中を搔き乱す! 


「な、なんだか不思議な感覚ね……全身が、なんていうか凄く気持ちよいのだけど……は、ぁ……んッ……! 乳首の先に優しく触れられているみたいな感覚が全身、にっ……」


 この魔術は作用に伴い、性感を与えうる。


 なぜ知っているかといえば、自分の体とフェリの体で試したからだ。


 男の体と女の体では受ける刺激がかなり違うようだ。


 フェリに関しては無理やりやったわけではなく、死に値する罪を犯した劣等メスを1匹手に入れてくるように申し付けたら、自分の体で試せというのでやった。


 万が一女の体に致命的な効果があったとしたら事なので、フェリを実験に使うのは気が進まなかったものの、単に実験だけの事を考えるならフェリの方がその辺の犯罪劣等メスよりは適任だった事も決行の一要因である。


 母上もフェリも魔力を持つゆえに魔力と魔力がどう干渉するか分からなかった為、フェリの様に保有魔力が多い者で実験がしたかった。


 で、結果は──まあ、フェリは随分と床を汚してくれたが、知りたい事は理解した。


 それにしても改めて視れば、母上は伯爵家の出とは思えぬ程に魔力が多い。


 しかもその量は俺が見る限りでは年々増大している。


 母上の年齢は35に届かない筈だが、その成長幅は常識の埒外だ。


「母上、大丈夫です。体に害はありません」


 だが俺の精神には害があるかもしれない。


 悶え、体をくねらせる母上には蠱惑的なものがある。


 俺はいつも母上に抱きしめてもらって眠るのだが、今夜はやや間隔を離すべきかもしれない……


 母上に対して不埒な思いを抱いたら、その場で死んで詫びよう──そう思ったが、しかし息子が目の前で爆裂して死んだら、母上は悲しまないだろうか? 


 死ぬべきか、死なざるべきか……


 そんな風に悩んでいたら、いつの間にか母上が心配そうな表情でこちらを見ていた。


「どうしたの、ハイン。難しい顔をして……あ、疲れちゃったかしら? うん、私はもう大丈夫よ、大分体も楽になったし……ほら、こっちへおいで?」


 母上が腕を広げて俺を見る。


 どうか、ご容赦ください母上ッ……! 


 今夜ばかりは俺は煩悩に打ち勝たねばならないのですッ……! 


「ほら、ハイン? おいで……来なさい」


「はい! 母上!」


 そうして俺は母上の胸の中へ飛び込んでいってしまった。


 俺という男はなんと愚かで情けないのか……劣等生物なのかもしれない……。


「少し無理させちゃったわね、そんな疲れさせちゃってごめんなさい。今夜はゆっくり休んでね。背中を叩いてあげる、好きでしょう?」


 そういって母上は俺の背中をトントンと軽く叩いて寝かしつけようとする。


 母上に無理なんてさせていない、そう説明しようとした俺だが、母上のトントンにはどうにも抗う事ができなかった。


 いや、抗う必要なんてあるのだろうか? 


 ない、ないな……ないかも。


 すぅ……。


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