第9話 劣等と一緒


俺の朝は早い。


日が昇るかそれより少し前には起床し、身支度を整える。


丁度俺がに着替えた所で、部屋の扉がノックされた。


「若様、フェリで御座います」


「入れ」


入室を許可すると、使用人頭のフェリが入ってくる。


フェリは屋敷内の雑用その他を任されている何名かの使用人のとりまとめ役で、俺が名前を覚える程度には有能だ。


これもまた人間ではないが、俺にはどうでもいい話だった。


ガッデムもそうだが、フェリも先代当主ダミアンが懇意にしていた奴隷商人から買い取ったモノで、デルフェンという珍しい種だ。


浅黒い肌にピンと尖った耳、切れ長の目にはしばみ色の瞳が妖しく輝いている。


見目もまあ、使用人として外の者に見せるに足る程度には良いと思う。


そういった特徴を持つがゆえ、デルフェン種は慰み者として重宝されているのだが、俺は愛無き行為に耽る程低俗ではない。


だからフェリにはその特性に合った仕事を与えている。


ガッデムと同じくフェリもアステール公爵家への忠誠心が高い。


まあ四肢と舌が落とされて、性処理人形として使い倒されていた状態からここまで再生させてやったのだ。


これで忠誠心が低かったら生かしては置かなかった所だ。


だが今思えば、なぜあんな状態のフェリを購入したのかは自分でもよく分からない。


ただ、何となく様な気がした。


まあ気まぐれなのだろう。


再生はかなり苦労をした。


それなりに高度な魔術を使う事になったし、高額な触媒をいくつも使ってしまった。


買い取った値段より遙かに高くついたのは、自分でも笑ってしまう。


「ガッデム殿は鍛錬場で準備を済ませて待っております。ヘルガ様も既に執務を始めており、他、ご報告すべき事は御座いません」


「そうか。佳きに」


「は。それでは失礼致します」


話を終えると俺は鍛錬場に向かう。


そんなところでどうするのかと言えば、当然鍛錬だ。


アステールの者たるもの、強く在らねばならない。


こうした力の希求は本来公爵家に求められるものではないのだが、勿論理由がある。


ガイネス帝国に二十四もの公爵家が存在するが、そのうちの十二家は一般的な公爵家とは違って特別な役割を担って帝国領土全土に散っている。


特別な役割とは帝国領土の防衛の要となる事だ。


他の公爵家も当然そういった役割を帯びてはいるのだが、基本的には広大な領地の統治が主な役割となっている。


しかし十二公家と呼ばれるお歴々は他の家ほど広い領地を所有せず、帝国領土の要所要所を護る形で配置されているのだ。


特にアステール公爵家、サリオン公爵家の二家は領地を持たないいわゆる宮廷貴族というやつで、その役割は帝都の防衛だ。


ガイネス帝国のこの様な特殊な貴族形態は他国からすれば珍しいのだが、帝国は常に魔王軍との戦争の最前線に立っていた為、こういった形が定着したのだろう。



──まあ、役割などはどうでもいいが


そう思いながら俺はガッデムが振り下ろす大斧の刃、その側面を裏拳で小突いて軌道を逸らした。


そして態勢が崩れたガッデムの隙につけこむ様に一歩二歩と距離を詰め、脇腹に右拳を叩き込む。


そこそこ鍛錬を積んだ劣等騎士程度がこれを受ければ、上半身が千切れ飛ぶくらいはするかもしれない。


しかし、ガッデムは歯を食いしばって耐えた。


のみならず──


「ぬ、ぐ、おおおッ!!ごろすッ!!!」


本気で俺を殺そうと大斧を振り回して斬りつけてくる。


鍛錬中は多少口が悪くても気にしない。


遠慮をされていては鍛錬にならない。


殺す、死ね──実に結構。


相手を殺そうとする時に「ご機嫌麗しく」などと言う者がどこにいるだろうか。


俺は今度はそれらを捌こうとはせず、甘んじて受ける事にした。


──ウィ・プル斥力場


体の表面に限りなく薄いを張ると、大斧は俺の首筋から紙一枚程度の距離でぴたりと止まった。


防御の魔術にも色々と種類がある。


魔力を物質化し文字通りの壁を創り出す魔術や、局所的な気流を発生させて炎といった不定形の攻撃を防ぐ魔術だとか。


俺のコレは攻撃してくる者、もしくは物を傷つける事がないため鍛錬には便利だ。


ガッデムは鋭い牙をむき出しにして満身余す所なく力んでいる様で、ぶるぶると震えながら大斧に力を込めている。


「ガッデェェェム!!!力を振り絞れ!俺に傷一つでもつけてみろ!褒めてやる!」


俺はガッデムに喝を入れ、そして──


「よし、そこまで」


と、鍛錬を止めた。


これ以上力を込めさせるとガッデムの腕が折れてしまう。


こいつは手を抜く事を知らない男なので、俺が力を振り絞れといったら腕が折れるまで……いや、折れても力を振り絞るのだ。


実に結構な事である。


以前にも言ったがガッデムは中々有能で、ある程度の訓練強度までなら俺についてこれる。


遠慮をするなと言えば本当に遠慮をしないし、俺も戦勘を鈍らせずに済む。


まあこれが俺にとって本当の意味で鍛錬になっているかと言えばやや疑問だが、少なくともガッデムの鍛錬にはなっているだろう。


アステール公爵家の門番として、ガッデムは更に強くならねばならないのだから。



「今朝の鍛錬は終了とする。ガッデムは休憩後、仕事に戻れ」


返事を待たず俺は部屋に戻り、再度身支度を整えて今度は食事を取りに行った。



「おはよう、ハイン。今朝もお疲れ様」


「お早うございます、母上。いえ、鍛錬は好きでやっておりますから。私からすれば学院の方が憂鬱でなりません」


「サボっちゃ駄目よ、お友達と仲良くね」


「はい、勿論です。有象無象の劣等がどれ程視界に入っても耐え抜いて見せます」


愛とは時に苦痛を伴う。


母上は俺を愛してくれて、それゆえに試練を言い渡しているのだろう。


「そ、そうね……耐えて頂戴……あなたなら出来るわ」


母上はなぜか困ったような表情を浮かべるが、直ぐに笑顔で俺を励ましてくれた。


そうだ、俺なら出来るに違いない。


§


「では、行って参ります母上」


「行ってらっしゃい、頑張ってねハイン」


母上から頬にちゅうをしてもらい、俺は意気揚々と学院に向かった。


そして──



早速不穏な気配を察知した。


気配というか流れというか、面倒事が近づいている様なそんな感じである。


というのも、サリオンメスが朝一番にこんな事を言ってきたのだ。


「お早うございます、放課後少しお話があるのですがお時間を頂けますか?」


「駄目だ。時間はない」


当然俺は断った。


時間などあろうはずがない。


どんな話だかは知らないが、話せば話すほど母上との時間が減るからだ!


サリオンメスには分からないだろうが、定命である俺たちはただこうしているだけでも1秒また1秒と時間を失っていっている。


それは悲しい事だが、母上もそうだ。


無慈悲な時の流れは余りにも仮借なく、俺は憤慨を禁じ得ない。


だからこそというべきか、俺は一秒一秒を悔いなく生きようと思っているわけだ。


ゆえにサリオンメスの為に遣う時間は一秒もない。


可能なら馬車など使わず、直接飛んで帰りたいとすら考えているくらいだ。


周辺に与える被害を考えなければ5分も掛からない。


だがそれでは事後処理で母上に迷惑をかけてしまう、だからやらないだけだ。


「そうですか……分かりました。では、休み時間はどうでしょうか?」


「駄目だ。考えるべき事がある。しかしどうしても話したいというなら、ここで話せ。授業が始まるまで後15分はあるだろう」


休み時間は休み時間で、母上の事を考える必要がある。


目を瞑り、自身の世界に深く没入し、無限に広がる精神世界の夜天に母上の姿を描く必要がある。


健やかであれ、幸福であれと願う──愛の祈りを捧げなければいけない。


だから時間などないのだが、母上は友達と仲良くしろと言っている。


無論サリオンメスなど友達ではないのだが、母上は余りにもおおらかなので、学院の劣等全員を俺の友達だと思っている節がある。


ゆえに、ここで話しても良いという過剰にも思えるほどの譲歩をした。


「ここで、ですか……わかりました」


サリオンメスには思う所があるように見えたが、ここが最後の落としどころだと気付いたらしい。


サリオン公爵家は無能だと思っていたが、このサリオンメスはそれなりに頭が回るようだ。


では、と口を開こうとするサリオンメスだが──



「なあ、ハイン、もう少し皆と打ち解けたらどうだ?人付き合いが嫌いなのは分かるけどさ、話せば案外いいやつだって分かるかもしれないぜ!休み時間くらいならいいじゃないか、エミーだって人に聞かれたくない話もあるかもしれないだろ?なあハイン、ちょっとくらい時間作ってやってくれよ、頼む!」


空気を読まずに話しかけてきたのはアルファイドオスだ。


「駄目だ」


答える俺に怒りはない。


戦場なりで気をおかしくしたりして、延々と壁に話しかけたりする者がいる。


そういった者に対して俺は何をどう思うという事もないが、仮に無礼な口を叩かれても怒りを示す意味があるだろうか?


当初こそコイツの無礼さに頭に血をのぼらせてしまった俺だが、俺は学びを忘れない男。


母上からも「良く勉強して偉いわね」と褒められている。


だから日々成長をしているわけだが──しかしサリオンメスは俺の様な境地にはまだ至っていないようだ。


「……は?え、ええとアゼル様ですよね。今は私がハイン様とお話していますので……御用があるなら私の次にお願いしますね。それと、私たちは親しい関係どころか顔を見知っている知人同士に過ぎません。家の爵位もかけ離れています。余り馴れ馴れしくしないで頂けると助かります」


などと言う。


サリオンメスの視線はお世辞にも友好的とは言えなかった。


というより怒っている。


別に肩を持つつもりではないが、サリオンメスが怒るのも当然なのだ。


学院では建前上身分差はないとされているが、そんなものはあくまでも建前に過ぎない。


ゆえに爵位が下の者は上の者に一定の礼を尽くさねばならないという慣例がある。


だのにアルファイドオスは伯爵家の令息でありながら、公爵家の令嬢であるサリオンメスとこの俺に馴れ馴れしい口を叩いている。


まあ所詮は建前と言えど、建前ではあるのでこれを以て苦情を申し立てるわけにはいかないが。


ちなみにエミーというのはエスメラルダという名前の愛称だ。


ある程度長い名前には、慣例的にそうした愛称が当てられる慣習がある。


ただ、こういったものは基本的に色恋が絡むような親しい相手にしか使わないし、使わせない。


サリオンメスが文句を言ったのは、この愛称周りの取り扱いをアルファイドオスが間違えたからだろう。


しかし先日の事といい、アルファイド伯爵家では最低限の教育も施されていないのだろうか?


「……え?」


されていないのだろうな、間抜け面を浮かべてサリオンメスを見る様子でよくわかる。


まるで『え?なんで俺が彼女にこんな目を向けられなければいけないんだ?俺たちはずっと仲良しだったのに!』なんて思ってるツラだ。


だが、無神経そうに見えるアルファイドオスは、意外にも素直に詫びた。


「あ、ああ、そうだな、ごめん。すみません……」


そんな事を言いながら去っていったわけだが、去り際に奇妙な事を言っていた。


──「そうか、やっぱりから、俺とエミーも……」


気になるには気になったが、そんな事よりもあのアルファイドオスを褒めてやっても良い。


それは──


「皆さん、おはようございます」


と言って教師が入室してきたからだ。


つまり、サリオンメスと話さなくて済んだという事である。


話を聞くと言った以上はそれなりに聞いてやらねば沽券に関わるが、俺の勘がサリオンメスの話はちょっと面倒くさそうだと囁いていたので、アルファイドオスには多少なり感謝しなければ。


「悪いがまた次の機会にしてもらう。恨むなら奴を恨め」


俺はそう言って、サリオンメスとの話を打ち切った。


サリオンメスは俺の事を恨めしそうな目で見るが、そんな事は知った事ではない。


◆◆◆


"本来の歴史" では、アステール公爵家は数多くの失策を犯しているのだが、中でも亜人種への苛烈な迫害はアステール公爵家にとって大きな瑕となる大失策であった。


 事の発端は、フェンリィと呼ばれるデルフェン種の娘に関する事件である。


 その麗しい見目に嗜虐欲を刺激されたハインはフェンリィを購入し、世にもおぞましい手段で彼女を虐げた。


 具体的に言えば彼女のすらりと伸びた美しい四肢を切断し、舌を切除し、ただ性欲を受け止めるだけの肉人形にしてしまったのである。


 本来ハインはそこまで残虐な性質ではなかったが、環境が人格を変えるという事は往々にしてある。


 これまでの自業が当然の自得を伴ってハインを、アステール公爵家の名を貶めてきた。


 それゆえにハインの精神は歪みに歪み、ねじくれ曲がってしまった。


 だが相手が亜人とはいえ、そしてガイネス帝国全体に亜人差別の風潮があるとはいえ、ハインの行動はやりすぎである。


 これが露見すればただでさえ落ち目のアステール公爵家はさらなる侮蔑に晒されてしまうだろう。


 まあ当然の如く露見してしまうのだが。


 ハインの苛烈な暴虐の前に命を落としたフェンリィの遺体がアステール公爵家から持ち出される際、夜警が死体運びの人足を咎め、事が発覚してしまったのだ。


 不味かったのは、虐待そのものもそうだが、フェンリィがデルフェンの貴種であったと言う点である。


 この出来事は瞬く間に帝都中に広まり、亜人種たちの間に猛烈な怒りの嵐が吹き荒れた。


 抗議の声は日に日に大きくなり、ついには亜人種たちが帝都で大規模な抗議行動を起こすに至る。


 しかし、ハインはその声に耳を貸すことなく武力による鎮圧を選んだ。


 その結果、抗議に参加していた亜人種たちに多くの死傷者が出てしまった。


 この惨事により、ハインは亜人種の敵として強く認識されるようになる。


 そして帝国もまたハインの過激な行動を問題視し始めた。


 公爵家としての責務を果たすどころか、内乱の火種を生み出してしまったからである。


 この一連の出来事は、アステール公爵家の評価を大きく下げることとなり、帝国内での立場も砂上の楼閣となっていくが── まあそれは "本来の歴史" での話だ。


 平行世界のフェンリィことフェリは、元の体に戻してくれたハインに激烈な忠誠を捧げている。


 彼女がデルフェンの貴種だとしったハインは面倒を嫌って彼女を森に戻そうとするが、フェリはそれを泣いて拒絶。


 どうかこの恩を返させてくださいと懇願し、現在ではアステール公爵邸の雑事を取り仕切り、屋敷内の警護なども担っている。気配隠匿に優れた生来の暗殺者である彼女は、ハイン暗殺を目論む数多くの刺客を二度と目覚めない眠りにいざなってきた。


 ちなみにフェリという名前は、ハインが名を聞いた時に「へ、ィ……」と舌足らずの声で名乗ったため、ハインがその場でフェリと名づけたものだ。


Fei-ri(フェリ)──その名は"夜の森"を意味する。

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