第2話 ママは悪役令息が好き

 ◇


 エルデンブルーム伯爵家で生まれた私は、16の時にアステール公爵家のダミアンに見初められ、彼に嫁ぐ事になった。


 政略結婚だ。


 ダミアンが言うには、魔力の質が良かったらしい。


 私たちの間には愛は無く、私はただ子供を成すためだけに2年間犯され続けた。


 そういう扱いに思うところが何もなかったわけではない。


 それどころか、強い反発を覚えた。


 しかし、私もエルデンブルーム家もアステール家には逆らえる筈もない。


 でもハインが生まれてからは状況が変わった。


 息子、ハインは生まれた時から特別だった。


 小さな体に宿す魔力は余りにも巨大で、アステール家の当主であるダミアン──私の夫は赤子のハインに対してまるで仇を見るような目を向けていた。


 でもダミアンのそんな目よりも、ハインののほうが私には印象的だった。


 あれは生まれついての覇者の目だ。


 この世界のあらゆる存在が自身に傅く事を当然のものと思っている傲慢な目だ。


を殺せ。彼奴は大いなる厄となる」


 ダミアンのそんな言葉に、私は震える。


 思えば、ダミアンはハインが恐ろしかったのだろう。


 正直な所を言えば、私もハインが怖かった。


 ハインは生まれたばかりにも関わらず、その目には既に他者を見下す傲慢のギラつく光が宿っていた。


 生来の大魔力を持つこの子が長じれば、一体どのような人間になるのか──私はダミアンの言葉に頷いてしまいそうになった。


 しかしその時、私はふと自身の肌に感じるハインのぬくもりを意識する。


 どれほどの厄をその身に宿していようと、ハインは私の子供なのだ。


 ダミアンの危惧は分からないでもない。


 この子はとても危うい。


 歴史に名を残す様な魔となるかもしれない。


 それほどに邪悪で強い力を感じる。


 しかしそれでも私の子供なのだ。


 父であるダミアンにハインへの愛はない。


 ならば母である私が彼を愛さずして誰が愛するのだろうか──だから私は言った。


「お断りします、旦那様」


「何と言った、ヘルガ」


 ダミアンが私を睨みつける。


 私はダミアンに逆らった事がない。


 これまで逆らおうとも思わなかった。


 しかし私はこの時、例えこの場で死ぬ事になろうとも、ハインだけは護ろうと思った。


「……そうか、エルデンブルーム家にはお前は産褥で死んだと伝えよう」


 言うなり、ダミアンは白く燃える炎の球を四つ作り出す。


 ダミアンはあっさり私を殺す事を決め、しかし私はそれでも引かなかった。


 エルデンブルーム家の血を引く者として、私も魔術に関しては素人ではない。


 私は自身とハインに護りの魔術を掛ける。


「……我が血を引く者の母体として、お前の素体としての見込みは悪くはなかった。魔力の質が良いのだろうな。腐った水では量がどれほどあろうと美味い料理は作れない。しかしは出来が良すぎた。最後にもう一度だけ尋ねるが、を寄越す気はないのだな?」


「ありません。あなたがハインを愛さないならば、私が愛します。ハインは私の息子です」


「そうか、残念だ」


 ダミアンはそういうと腕を振り上げ──


 ・

 ・


 どうか神さまと私は目を瞑り、祈るような気持ちで護りの魔術に魔力を注ぎ込んでいたが、内心ではただの一瞬も防ぐ事はできないだろうとは思っていた。


 アステール公爵家の当主であるダミアンと、一伯爵家の小娘である私の間には筆舌にしがたい力の差がある。


 しかし私は訪れるであろう破滅の時がいまだ来ない事に困惑する。


 ダミアンが心変わりをしてくれたのだろうか? 


 いや、まさか。


 勇気を出してダミアンの方向を見れば──ダミアンの両手と両足が捩じくれ、曲がっていた。


「ぐ、ぬ……きィ、様ッ……!」


 見れば、ハインが小さな掌をダミアンに向けて


「我が、結界がこうも、容易く……いや! そ、そうか、ちょ、直接結界内に、魔術、を! ぐ、ぐぐぐ! こ、殺せヘルガ! そいつを殺せ! さもないと、帝国、がっ……」


 ハインが開いた掌を少しずつ握りこんでいくたびに、ダミアンが縮んでいく。


 べきりべきり、ぐちゃりぐちゃりという音が響き、ダミアンが小さくなっていく。


 そして、最後には豆粒ほどになってしまったダミアンに向けて、ハインは──


「パ、ァ、パ」


 と言ってこれまで以上に嬉しそうに嗤うのだ。


 それはとてもおぞましく、恐ろしい光景だったのかもしれない。


 しかし私はハインの命が助かった事を喜んでいた。


 だからハインの頭を撫で、抱きしめた。


 するとハインは私の胸に頬を擦り付けて、今度は普通の赤ん坊の様に笑ってくれた。


 ◇


 アステール公爵家当主ダミアンの


 この事件はガイネス帝国を少なからず騒がせ、私も何度も事情を聞かれる事になった。


 しかしいくら調べたところで何かが分かるわけもない。


 なにせ豆粒となってしまったダミアンを、ハインが食べてしまったのだから。


 ふわりと浮いた豆粒がハインの口に飛び込んでいくのを見た時は肝が冷えた。


 特別な子であってもあんなものを食べてはお腹を下してしまうだろう。


 私は必死でそんなもの吐き出してしまいなさいと言ったけれど、時は既に遅すぎた。


 それから暫くハインの様子に気を付けていたが、特に体調を崩す様子もないのでそこはほっとした。


 話が逸れた。


 ダミアン亡き後のアステール公爵家の扱いだが、ハインが長じるまでは私が当主として家を差配することになった。


 そうして十数年、私たちは平穏に暮らし──


 ついにが訪れる。


 ◇


 あれはハインが12の頃の話だ。


 夜半、私がベッドに横になっていると、寝室の扉を叩く音がする。


「入りなさい」


 私が声をかけると、ハインが恐る恐るといった様子で入ってきた。


 不審な、とは思わない。


 ハインは幼い頃から私から離れようとはせず、どうにも甘えたな所がある。


 この日も、どうせ一緒に寝てほしいと言いに来たのだろうと思っていた。


「ハイン、眠れないの? それとも少し寒いのかしら……おいで。一緒に寝ましょう」


 私がそういうと、ハインはおずおずとこちらへ寄ってくる。


 ハインは幼いながらもプライドが高く、自分から言い出せない事が多々あるのでこうして私が言ってあげないといけない。


 しかしこの日はハインはベッドへ入ってこようとしない。


「どうしたの、ハイン? 具合でも悪いの?」


 私が尋ねると、ハインが掠れた声で言う。


「母様、その、僕は……母様の事を考えると胸が苦しくなってしまうのです。母様が誰かとお話をするのが嫌です、母様が僕以外を見るのだけでも嫌なのです、僕の事だけを考えて欲しいのです」


 でも、とハインは続けた。


「それがおかしいことだと僕は理解しています……。でも、僕は」


 そういってハインは俯いてポロポロと涙を零した。


「……まあ」


「母様、僕は病気なのでしょうか」


 普段はおりこうさんを地で行くハインが不安で顔を曇らせている。


 私はそれがどうにも不憫で不憫で、してあげないといけないと思ってしまった。


「それは……そうね、病気ではないけれど。こちらへいらっしゃい。母様が治してあげる」


 誓って言うが、変な気持ちからの言葉ではない。


 大きくなればいずれは必要になる知識だ。


 ハインはとても成熟しているから、私が必要なくなる日も近いだろう。


 その日が来る前に私は私ができる限りの事をしてあげたい。


 そうして私は、ハインを抱きしめた。


 ◇


 恐らくハインは、私を母親としては勿論、女としても意識しているのだろう。


 それが悪いとは言わない。


 ただ、そのままでは良くないなとも思う。


 しかし、しかしだ。


 私は涙を流すハインを突き放す気にはなれなかった。


 これは母としてのうぬぼれかもしれないが、もし私がハインの求めを拒絶してしまえば、何かとんでもない事になりそうな気がする。


 だから私はハインの気持ちを否定せず、ただただあの子を受け入れた。


 それに、ハインは生まれた時の事をどうにも覚えている節があるのだ。


 ──『母様、僕は母様に対して良くない気持ちを抱いているのでしょうか? 物の本で知りました。僕は母様が辛いとおもうことをしているのでしょうか? でしたらどうか言って下さい。母様に近づいたりはしません』


 ──『母様、母様、僕は母様に愛されたいのです。僕を愛してくださるのは母様しかいないのです。あの男は僕を殺そうとした。でも母様は僕を護ろうとしてくださいました。僕はあの時、初めて愛を知ったのです』


 ──『だから母様がいやだと思う事をしたくはないのです』


 そういって涙を流すハインをどうして突きはなせようか。


 それが正しい親子の形ではない事だとは思っている。


 しかし、私もまた、ハインのひたむきな愛情を受けて幸せだった。


 ◆◆◆


 本来の歴史では、母であるヘルガはハインの殺害に同意する。


 その世界のヘルガはハインの異常性が恐ろしくてならなかったからだ。


 しかし当のダミアンがハインを有効活用できないかと考え直し、アステール公爵家で育てられる事が決定する。


 この時すでに、ハインが両親の話している事、自身に抱いている感情がどういうものかを理解していることを知らないままに。


 しかしこの平行世界のハインは母の愛を知った。


 それが世界にどういう変化をもたらすかは今はまだ分からない。

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