第16話
「まさかこの少人数で討伐までなされるとは思ってもみませんでした。流石先生。いやはや、少しでも疑ってしまった私が恥ずかしい」
ザンカは恥じ入るように頭を下げた。
本当にそう思ってはいないだろうに健気なことだ。
さ、どうぞ、とワイングラスになみなみとバイオエタノールが注がれる。
軽くグラスを揺らし、口をつける。
あっさりとした爽やかな味。雑味のある動物性の油や臭いのきつい化石燃料とは違う上品で柔らかな口当たりだ。不純物の少なさがはっきりとわかる。香りの良さも植物由来ならではのものだな。エカの体を得てから口にしたものの中では一番美味いと言っていいだろう。
勝利の美酒ならぬ、勝利の美油だな。
『余裕とはいかなかったがな。怪我もあったし、一歩間違えば死んでいたかもしれなかった。ここに座っていられるのも幸運ゆえだ』
「それほどでしたか。それにしては壮健なように見えますが」
『怪我の治りが人間のときよりも早くてな』
笑顔のような表情を作ろうとするが、上手くいかない。
この顔は表情筋が硬すぎる。
ザンカの愛想笑いは変わらなかったが、小娘たちは微妙な顔をしていた。
『それで頼んでいたものは見つかったか?』
「荷の方はすでに準備を進めております。避難民との連絡も取れました。彼らは要塞市場にいるようですな。五百人ほどが都市で生活しておられるそうです」
『そちらか』
小娘の背筋が伸びた。
第四二九都市、通称要塞市場は交通の要衝。ホクセンにおける経済の中心地だ。
北西に行けば凍土狩場、南西には他の最前線につながる道がある。その両者から鉄獣の素材が運ばれ、大口の取引が行われる。月末には大規模な市も立つ。
華やかな町ではあるが、避難には不向きだというのが私の考えだった。
要塞市場は人口は多いが狭い町でもあった。交通には立地が良く、拡張するには難のある場所だ。左右を山に囲まれ、後ろには大きな橋のかかった川がある。川向こうでは都市開発が進んでいると聞いたこともあったが、防衛を考えればさほど大規模ではないだろう。
そんな都市に全員が避難できるとは思えない。
であれば、私の知らない要塞市場に避難した理由が何かあるはずだ。
いや、逆に私が知っていることを彼らが知らないからそうしているのかもしれん。
「代表のエクシオという方に連絡を取ろうとしたところ不在でしたが、いかがしましょうか」
エクシオというと私と同年代の鉄狩りだ。
鉄獣との戦いでひどい火傷を負ってからはタロと同じく第一線を退いていた。
奴の場合は後進の育成に励んでいた。特徴的なのもあってよく顔も知られている。
人前に出るには不向きな性格をしていたと思うが、凍土狩場の代表とは出世したものだな。
上がいなくなって繰り上がってしまっただけとも言うが。
『いや、不要だ。聞くべきことは直接聞く』
「出発は明日でしたな。こちらに来て次の日には鉄獣を狩り、戻ってきたと思えばもうここを発つ。実に精力的ですな」
『ゆっくりしたいのはやまやまだが、早く合流したいと急く同行者がいるのでな。急がせることになったが、頼んでいたものは準備できているか?』
「滞りなく」
『金は?』
「鉄獣の死骸は確認いたしました。質、大きさ、加えて、その希少性。いい値段が付くでしょう。しかし、すぐにすべてを査定し、換金するのは困難ですねえ」
ザンカが笑みを深くした。
時間が足りないというのも嘘ではないだろう。
しかし、ザンカのことだ。どうにか私からふんだくろうと企んでいるに違いない。
『金は依頼金さえ入ればどうでもいい。いくらかは私の食料として現物を持ち帰らせて貰うが、残りは好きに売りさばけ。物資や雑事の駄賃とでも思えばいい』
「それなりの額になりますがよろしいのですか?」
『冬とは極北の大地の怒りである』
私はまだ中身の残るワイングラスを置いた。
『かつて、ホクセンに住んでいた部族の言葉だ。厳しい冬を乗り越えるために人類は助け合わなければならなかった。私には力と知恵があり、貴様には蓄えがあった。互いが持てるものを交換した。そのとき、あぶれた分は施しても罰は当たらんと思うがな。幸い、助けを必要としている人間を貴様は知っているはずだ』
「……肝に銘じておきましょう」
交渉は円満に終了した。
◇
トレーラーは要塞市場へと向かう。
メイズが助手席に座ったため、今日の私は小娘とふたり、荷台の中だ。
相変わらず小娘はふてくされたような顔をしている。
いつもに増して愛嬌がない。
「なんで、もっとお金を貰わなかったんですか?」
運び込まれたコンテナを確認していると小娘が後ろから話しかけてきた。
『面倒だったからだ』
「面倒って、大事なことですよ」
『さっさと避難民を探せと言ったり、変なところで時間をかけようとしたり、面倒なのは貴様だ。私は必要だからこうしている。何も知らんくせにわめくな』
「何ですか、その言い方。感じ悪」
コンテナの中身はほとんどが食料だ。
地下農場だけあって新鮮な野菜や果物が多く詰め込まれている。人間のときであればさぞ喜んだことだろうが今となっては故障の元だ。
それだけはこの体になって悲しむべきことだな。
『ザンカは昔から私のことを憎んでいる』
「えぇ? ずっとニコニコで接待して貰ってましたけど」
『あれは演技だ。奴が商売人として生きるために身に着けた技術だ。本当であれば頭も下げたくないだろうに自分の会社、そして、地下農場のためにやっている』
「……そんなに嫌われるようなことしたんですか?」
『子供の頃にあれの貯め込んだ食料を根こそぎ盗み出したことがあってな』
かつての凍土狩場は治安も何もなかったような場所だった。
無法者が廃墟を牛耳り、開拓に送り込まれた犯罪者が闊歩していた。
孤児がそんな土地で生きるにはそれなりのことをしなければならなかった。
『それが原因でザンカの凍土狩場での事業は頓挫し、再び地盤を得るためにあちこちを駆けずり回らなければならなかった。私は栄光都市へ行き、しばらく会うことはなかったがな。戻ってきてある企業の伝手で奴の事業を手伝うことになったときは驚いたよ。奴は私以上に驚き、それ以上の感情を抱いたようだが、背に腹は変えられん。仮にも私は栄光都市の学院を出て、ひとかどの科学者となっていたからな。以来、私とザンカはずっとあの調子だ』
「そう。嫌われて当然ですね」
あのときはお互いに余裕がなかった。
今、出会ったならもう少しマシな関係を築けただろう。ザンカにとって私は役に立つし、私にとってもザンカの存在は都合がいい。それがわかっているから、我々は協力を拒まない。
奴も私以外に施すのならばそれほど嫌悪はないはずだ。
たとえば、鉄獣に都市を追われた人々に食料を届けるとかな。
『小娘』
「何ですか」
私はコンテナにあったタブレット型の端末を差し出す。
小娘はいぶかしげにそれを受け取る。
『栄光都市の学院へ入ったガキが使っていた学習用端末だ。そいつにくれてやった教材や過去問のデータも入っている。古いがないよりはマシだろう』
「……どうして?」
『あいつと約束したからな』
あの親バカがどれだけ正確なことを言っていたかは知らんが、もののついでだ。
小娘もタロも栄光都市で成功するのがどれだけ難しいかも理解してないだろうが、トンビがタカを生むことだってないとは言えない。
まあこの頭の固さで上手くいくとは到底思えんがな。
小娘はタブレットを抱え、何も映らない画面をじっと見ていた。
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