祠の破壊者レイジ

鴻上ヒロ

第1話:ソルティック・ドミネイション

 ある神社の一角、不自然に草木が生えぬ地面の上に男が立っている。黒い和服を赤い帯で締め、黒いジャケットを羽織った和洋折衷の男・高井戸レイジ。今、彼の目の前に祠があった。


 祠とは、通常、神を祀るためにつくられた建造物である。寺ではなく神社にあり、神道における八百万の神を祀るもの。

 しかし、時に人は悪霊をも神として祀る。いわゆる御霊信仰というものである。


 レイジの目には、赤い光が宿っていた。目の前の祠をじっと見据え、息を深く吸い込み、あろうことか、手に持っていたバットを祠に向けて振り下ろした!


「どっ……せい!」


 なんたることか。小さくも荘厳にそびえ立っていた石造りの社が、今は情けなく頭を垂れるかのように崩れているではないか。レイジはなお、バットを止めない。ついには、祠が完膚なきまでに破壊されてしまった。


「……な、なんてことじゃ! あの祠を壊してしまったのか!」


 声に振り返ると、目の前には得体の知れぬ老人の姿が。老人はバットを手にしたレイジを睨み、震えた人差し指を向けている。


「お、お前さんがやったのか!」

「ああ、俺がやった」

「なんてことを……あれに祀っておったのは元は悪霊だったものなのじゃ……」

「知っている」


 そう、今しがたレイジが破壊した祠に祀られていたのは、御霊信仰の対象。つまり、人々に害をなす悪霊である。御霊信仰とは、悪霊を神として崇めることにより悪霊の溜飲を下げることを目的とした祈りのこと。

 その祠を破壊するということは、紛れもない暴挙である。神格化してまで鎮めようとした、危険極まりない悪霊を解き放つことにほかならない。

 しかし、このレイジには、悪びれる様子など一切なかった。

 それどころか、バットを担いで天を見上げニヒルに笑っているではないか。


「来る……!」

「おしまいじゃあ、もうダメじゃあ……」


 老人が頭を抱えた瞬間、天に稲光が走る。レイジはバットを剣のように構え、時を待った。一瞬が、数分に引き伸ばされたかのようだった。草木が揺れているのを鮮明に感じ、空気が肌を切り裂く感覚が鋭くなっていく。


「貴様か、儂を解き放ちおったのは」


 突如として、レイジの目の前に無精髭の男が現れた。およそ近代的ではない言葉遣いだが、服装はやや近代的な洋服である。明治時代か大正時代あたりを彷彿とさせるような出で立ちの男は、どこからともなく両切りタバコを取り出し、火を付けた。

 しかし、奇妙なことだった。火種となるようなものは、どこにもないのだ。


「俺は祠の破壊者……祀られた全ての悪神悪霊を破壊する者だ!」

「儂は神などではない」

「そう、悪霊だ。人々に呪いをかけ、狂わせ、魂を奪う悪鬼羅刹。許してはおけん」

「ほう、儂のことを知っておるのか」


 そう、レイジは目の前にいる悪霊を知っている。

 彼は生前、一家心中に巻き込まれ生還し、その後親戚に引き取られたがまた一家心中に巻き込まれ生還し、そして誰にも引き取られ無くなってしまった不運な子どもだった。一人で生きることを余儀なくされ一時は貧民に身をやつしたが、幸運にも才と富のある男の一家により引き取られた。


 そして平穏に暮らしていたが、その一家すらも心中を起こしてしまう。例のごとく生き残った少年は、自分が呪われていることを自覚した。

 呪いを消す手段を探し青年となった彼だが、呪いを消すことはできず、ついには彼を引き取った男の前妻により殺されてしまう。


 彼の呪いは死後、男の家の柱に乗り移り、多くの家族を一家心中に駆り立てたという。


「己が不幸を他人にも強要する傲慢さ、俺が断罪する」


 レイジはバットを手に、一目散に駆け出した!


「うおりゃあ!」


 掛け声とともに振り抜かれたバットが、空を切る。悪霊が避けたのではない、レイジのほうがバットの軌道を逸らしたのだ。自身の腕を不自然な形に折り曲げてまで、悪霊に届かぬように調整したのだ。

 瞬間、レイジはこの悪霊の能力を理解した。目の前でタバコを吸う無精髭の悪霊は、自身を台風の目とし、周囲に災いを撒き散らす。台風の目である彼自身には、災いが降りかかることはない。


「厄介な能力だ、だが!」


 レイジはバットを捨て、懐から大量の白い結晶の入った袋を取り出した。今しがた自傷をしようと小刀を自身の腕に突き立てる悪霊に向け、結晶をぶち撒ける。

 すると結晶は悪霊には届かず、代わりに彼の周囲に円周状に散らばった。

 同時に、男が小刀で自身の腕を切り裂いた。


「ぐっ……」


 なんということか。

 レイジの腕から血が吹き出した。男が切り裂いたのと同じところが、ぱっくりと裂けている。これこそが、この悪霊の能力の恐ろしいところなのだと、レイジは感覚で理解した。

 痛みに熱を感じながら、次々に結晶をぶち撒けていく。次第に、悪霊の動きが鈍くなっていた。最早、自傷行為など出来はしないだろう。それほどまでに、弱りきっていた。


「貴様、な、にをした……」

「塩だ」

「塩、だと?」

「そ、そうか……! これは結界じゃ!」


 突然、これまで黙りこくっていた老人が口を開いた。

 なんと、目の前には、うず高く積まれた塩による陣形が出来上がっているではないか! 盛り塩というにはあまりに大きく、円形に広がった塩の塊は、まるで魔法陣のようだった。その中心にいる悪霊を交え、五芒星のように見えるではないか。


塩塔結界ソルトバベルタワー


 悪霊の自分自身に降りかかる災いを周囲に撒き散らすという性質を利用した、見事な結界。悪霊は最早、指先一つ動かすこともままならない!


「これで完成だ!」


 レイジは突然高く飛び上がり、塩を悪霊に向けて放った。悪霊に弾かれた塩は、塩の塔に天井を作った!

 巨大な骨壺のような塩の円筒が出来上がる。


「お、のれ……! 何故儂が殺されねばならぬ! 儂はただ生きておっただけだというに!」

「生前のお主に罪はない。あるとすれば、呪いにだけだ」

「ではなぜ、なぜ儂を……!」


 レイジは塩の塊に霧吹きで水をつける。そうして、塩の塔を固めてしまった。

 コンコンと強度を確かめるように叩いた後、今もなお「なぜ」と喚く悪霊に邪悪な笑みを向ける。


「呪いに飲まれ、幸福を妬み、罪もない者をその呪いにより大勢殺した……悪霊としてのお主の罪を俺は断罪したまでだ」

「許さぬ、許さぬぞ……!」


 レイジはその声を鼻で笑い、塩の塔に札を貼る。「封」と書かれた札だった。

 札を貼った瞬間、塔の中から声は聞こえなくなった。まるで台風の目のように、穏やかだった。先ほどまでレイジが感じていた嫌な気もなく、ただただ夜の澄んだ空気だけを感じる。


 レイジは、この傍迷惑な悪霊を完全に封じたのだ。


「お主はこれより少しずつ、じわじわと強制的に成仏させられる。地獄で待っているがいい」


 最後に、もう一枚札を貼る。「成」と書かれた札だった。


「成仏!」


 言いながらバットを背中のベルトにさし、踵を返す。先ほど、レイジの蛮行を咎めた老人と目が合った。その目は、最早レイジを責めてなどいなかった。その目に宿るのは、ただただ奇怪なものを目にしたときの驚きと不審だけ。


「お、お前さんは一体……」

「俺は……祠の破壊者シュラインデストロイヤーレイジだ!」


 たった今、レイジの戦いが一つ終わった。

 しかし、まだレイジの戦いは始まったばかりだ。己の無念を晴らすため、御霊として祀られる全ての悪霊を退治するため、レイジは祠を破壊し続ける。

 命ある限り……! 魂ある限り!

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