第7話 彼女とのデート

 私が彼女と待ち合わせをして会ったのは、パイプ足場が倒れた日の三日後のお昼だった。私と彼女は、ピエトロのペイペイドーム店で会って、食事をしながら長い時間話した。

 もっと気の利いた店の方が良かったのかもしれないが、毎日忙しく過ごしている二人は、気の利いた店を知らなかったという方が正確だった。

 

 その日、彼女は非番で、私はその日、休みをもらった。

 

 新聞社の人間は、選挙の時は総出になるが、その他の日は年休も取れる。

 私みたいな報道カメラマンは、決まった休みはないみたいなもので、デスクさえOKしてくれれば、休むことができる。


 ペイペイドームがある桶井川河口の百道浜ももちはまは、50年前は何もない所だったが、今では福岡タワーやペイペイドーム、「マークスイン福岡ももち」といった複合商業施設が整備され、一大ウオーターフロントになっている。


 私たち二人が話した内容は、以下のようなものであった・・・


 彼女は、もともとは大橋にあるアパートで両親と一緒に暮らしていて、そこから福岡市内にある西筑紫短大に通っていたと言った。

 そして彼女が短大の2年生の時、ご両親が交通事故で亡くなったということであった。彼女は一人娘だったので、両親に可愛がられて育ったと言った。

 

 両親が亡くなってからは下山門にある祖父母の家に住み、ヤオン姪浜店でパートをし始めてもう2年になるということだった。

 短大時代は経理の勉強していたので、本当は、どこかの会社の会計の仕事をしたいと彼女は言った。


 彼女から履歴を詳しく聞いたので、私も自分のことを彼女に話した。

 私は、北九州の若松区の栄盛川町にある写真館の長男で、妹が一人いるが、妹は小倉にある和菓子屋に嫁いでいることを彼女に話した。

 

 私のおじいちゃんは、

「店を継ぐんじゃったら、専門学校でよかたい」

 と言ったが、私は大学に行きたかったので、若松東高を卒業すると、北九州市立大学に進学した。

 両親も、「大学を出ていた方がつぶしが利く」と言って、授業料を出してくれた。

 私が「福岡毎日日新聞」に就職できたのも、大学を出ていたためであった。

 写真の方は、自宅で写真館の仕事を手伝ったため、自然に覚えたと彼女に伝えた。

 

 大学を出て今の新聞社に入ってからは、今宿にあるアパートでずっと一人暮らしをしていることを彼女に話した。

 そして私は彼女に、

「僕は、もう27歳になる」

 と言った。

 しかしながら、学生時代にいた恋人を大学の卒業直前に海の事故で亡くしたことは彼女には言わなかった。


 三日前の足場転倒の時、私は身をていして彼女を助け、動物ならそのまま交尾に至る体位で体を重ね合わせた仲である。その日二人が自身のことを詳しく話したのは、お互いに恋人同士になりたいと思っていたためであった。

 

 食事が終わると、私と彼女は愛宕浜のマリナタウン海浜公園を散歩した。

 やがて靴と靴下を脱いで、二人は足首まで海の中に入って、波の感触を楽しんだ。

 

 そして僕たちは、夕日に照らされた砂浜で、初めての口づけを交わした。

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