コスモ砂丘

坂本悠

1 えん

 ハッとして、目を醒ました。


 マキ・タケカワは、高鳴る鼓動が落ち着いてくるにつれて、思わずため息をついた。

 無意識に長い黒髪に手梳きをする。


 夢をみていたのか、あるいはDATの影響によるなんらかの幻影にとらわれていたのか。


 どちらにしても、ふしぎな夢――あるいはまぼろしだった。


 マキは口の動きで、そこにでてきた見知らぬ三歳ぐらいの幼児の口まねをする。


 え・ん・お・え・あ・け――?


 目前は宇宙空間だった。

 こぼしたインクのような果てしない暗闇と、いつ生まれたかもわからないビー玉のような無数のきら星と、水素によるピンク色の光のカーテンが帯のようにひろがっている。


 天の川銀河、地球から約1000光年の距離にいた。


 マキはシートから身を起こし、倦怠感に伸びをする。


 そして、ゆっくりとたちあがると、リーディンググラスをかけたとぼけたうさぎの描かれた懐中時計から、AIがバイタルサインを報告してきた。

 

 数値上の異常はなし、だるいけれど。


「のどが渇いたわ」


 マキが操縦席に移動すると、すでにドリンクボトルが置かれていた。

 軟水のミネラルウォーターであり、いまマキが最も欲しているものだった。

 ティーポットを管理しているAIはマキの三倍優秀なので、それは当然の帰結である。

 

 21世紀も折りかえしを過ぎた頃――地球ではエネルギー問題等がよどみなく解決され、NASAほかもろもろの関係機関の協調出資のもと、半重力装置が開発され、月面による実施にともなって月が地球から離脱した。


 半重力装置はDAT(Dream Access Technology)と名づけられ、日本、中国、インドをはじめ一部のヨーロッパおよびアメリカなど、月にうさぎを連想した国々では、月が地球の周回軌道をはずれていったこの象徴的な現象をドドソンのそれになぞらえ、とくに日本では語呂遊びで脱兎と呼ばれたりもした。


 そして、22世紀に入る頃には、ポータブル万能量子コンピューターによって人間を数値化し、随時再現することも可能になったため、晴れて宇宙開拓時代が到来した。


 国際宇宙ステーションに本部が置かれたUFО(Universal Floating Organization)に所属した好奇心旺盛な宇宙飛行士は、ホワイトラビットと呼ばれ、宇宙船――ティーポットに乗りこみ、はるかな銀河をめざして出発したのである。


 しかし、かれらの仕事の主たる目的は、利益をもとめた探索ではない。

 前述のとおり、諸問題を克服した人類はすでにそれなりに過不足のない行き届いた生活機構を確立しており、特別な資源や富を必要としていなかった。


 つまるところ、かれらがするべき仕事とは報告であり、こんな見聞きしたこともない星があったとか、ここは予想外に奇天烈な銀河だったとか、征服欲にも似た好奇心を満たすための発見であった。


 人間らしいといえば、人間らしい。

 ただそれだけに命を懸けていたホワイトラビットたちは、要するに地球上の価値観としては変わり者の集まりに近い。

 

 目前にひろがる宇宙を眺めて、鼻息までもれた。

 なんだか気分がのらない。

 マキはシートにもたれかかり、後頭部で手をくんで、目の前の操縦桿をのばした足さきでぐりぐり動かす。


 ティーポットの操縦席は、実在しているわけではなく、個々の好みに応じて懐中時計と連動したティーポットが直截マキの網膜に「操縦席」を映しているに過ぎない。


 モデルは20世紀から利用されているという航空機であり、操縦桿やら計器やらが配置されているが、どれもじっさいに使うわけではないし、そもそもマキには意味がわかっていない。


 ふれたことがあるわけでもないのに、なぜかなつかしい気がして、そのデザインに決めているだけで、気に入らなければ真夏のビーチに変えることもできる。


 ティーポットの本来は、三角錐の形状をした小型艇であり、システムを構築した開発者の設計で畳10畳の広さであり、実物のマキはそこでうろちょろしているだけだった。


 操縦席に置かれていたミネラルウォーターも、じつは循環ろ過した汗やら尿である。

 呼吸にせよ、飲食にせよ、電気にせよ、人間活動に必須なシステムはそつがなく出来ている。


 すると、計器の一部が音とともに点滅する。

 ピパピパ、ピパピパ。

 これは、21世紀頃使われていたという体温計のサウンドエフェクトである。


「そんなに急いでどちらまで?」


 通信ボタンを押すと、陽気な声がする。

 タケル・スギノだ。


 マキのUFОの研修生時代の同期で、ホワイトラビットとしての活動機関もほぼおなじだが、なによりマキとの遭遇回数が歴代最多の三回を誇る、めずらしい人物である。


 ホワイトラビットたちはDATによって思うままに銀河を散策するため、研修後に懐中時計とティーポットを支給されると、縁故といえば本部事務局と連絡をとるぐらいのもので、宇宙ステーション時代の仲間たちと遭遇することは、連絡でも取り合わないかぎり、めったにない。


 それはただ宇宙がひろいだけではなく、ウラシマ効果などの要因も大きい。

 しかし、都市部で生活している地球人の多くは、じっさいはそんな人生を送っている。

 手をふって別れれば、もう出逢わないことも稀有な事態ではないのだ。


 DATによる移動は、水切り航法(Skip Stone Navigation)といい、順番でいえば、最初にポータブル万能量子コンピューターによってホワイトラビットを数値化し、つぎにDATによって宇宙空間をねじまげてワープ、数百光年から数千光年進んだのち、演算によって安全な箇所をみつけ、静止してからホライトラビットを復元するといった方法になる。


 安全性の確保のため、遠くにいけばいくほど何度も水切りをくりかえすことになる。


 初期の頃、デブリと衝突し爆発したり、ティーポットが行方不明になったり、ホワイトラビットの復元に失敗したりと、大幅に飛ぼうとして大事故が多発したことがその要因らしい。

 いまでもその精度は完璧からはほど遠い。


「面倒だから、早くつないでくれる?」


 マキがだるそうにつぶやくと、ふきげんであることを察したらしく、廊下をだれかが走ってきてドアが開く音がするとともに、目前にタケル・スギノが現れた。


 ティーポットをドッキングさせて、システムを共有したのだ。

 三角錐は頑丈であると同時に結合させやすい利点がある。

 演出の意味はマキにはよくわからない。


「ふふ、ごきげんななめ? おひさしぶり!」


 コックピットをながめながら、タケルが前髪をかきあげる。


「あいかわらず、変わったデザインだね」


 前回との差異は、髪がやや長く黒くなり、瞳がうす緑になっていることぐらいか――。


 DATによる人体生成には精度のゆらぎがある。

 何度も使用をくりかえすことで、形質に変容が起こるのである。


 マキは未読だが、論文なんかもあれこれあるそうで、研究者たちもあたまを悩ませているそうだが、なぜそうなるかは結局まだ判明していない。


 宇宙空間でなんらかの物質を獲得しているという説もあれば、DNAにきざまれた記憶のかけらがよみがえっているという説もある。

 

 後者は先祖がえりと呼ばれていて、マキにはその説がしっくりきている。


 ちなみに、宇宙空間で最初に遭遇したとき、タケルは身長が10センチほど縮み、植物まじりのような色白少年になっており、二回目のときはあごひげが生えた渋めの波うつ茶髪が印象的なマカロニウエスタンだった(マキはこのときの容姿にいちばん好意がもてた)。


 そして、三回目のときは、見た目は20代後半の男性で、UFО本部の研修のときに接触してきたときのままだったが、背びれが生えていた。


 さりげなく相手の様子を眺めているのはタケルもおなじようで、コックピットを観察するふりをしてちらちらとマキの容姿をうかがっている。


 20代半ば、年相応であり、表向きそれほど変化がないことに満足しているふうである。


 そういえば最初のときは、やや大人びた切れ長の目をした短髪直毛の細身のスパイのようになり、二回目のときは10代前半の麦わら帽子が似合いそうな少女みたいになって感情の起伏も大きくなった。


 三回目のときは、セクサロイド全開の肉感的な美女になったものの、乳房が4つあり、もてあましたのである。


 今回、現時点では、研修時代とさほど相違ないように思えた。

 情緒のほうに屈折があるような気もしたが、どの程度の変化なのか言葉にしづらい。


 それでも、最終的な見解として、ホワイトラビットたちは容姿の変容について多くを語らない。


 両者の合意があればヴァーチャルの視覚効果で対応できるということもあるが、それよりなにより、相手を好きになるとき、容貌が好きなのか内面が好きなのかという命題に突入するからだ。


 マキはそもそも好きになること自体が幻想だという見地をもっている。


 しかし、こうして宇宙のかなたのランデブーの時点で、タケルはマキに好意をもっている。

 そこは確かめるまでもないが、それが肉欲かそうじゃないのかはたぶん知りようもない。

 タケル本人も自覚していない可能性がある。

 落としたハンカチを拾うようなものかもしれない。


 ただ、その事実を察知することで、マキは鬱陶しいと同時に、まんざらでもない関心を惹かれている。

 草むらにかくれたなにかが、かわいい三毛猫であるかを確認したいみたいに。


 AIに訊いたら、きっとこう応えるに決まっている。


「知らないよ、まったくこれだから人間ってやつは……」

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