唯の劣等感でした
@isorisiru
だから私は二重に仮面を被る
貴方は凄い子ですね
「うん、僕は凄い子なんだよ」
貴方は偉い子ですね
「そう、僕は偉い子なんだ」
じゃあ貴方はずっと偉い子なんでしょうね
「多分きっとそう、僕はずっとみんなに誉められる偉い子でいるよ」
・・・まぁ、夢なんですけど。
自慢にこそ臭いですが昔から人の為すことは人並み以上にこなす自負がありました。
容量も人並みよりは少しよく気配りも周りを見てできる、それなりに頭もいい…
親が高尚たる理想として掲げるような物を本当に都合よく体現していた当時の私は、既に年端もいかない子供としては十分最低なご機嫌取りをしていました。
前兆はそう、三つ下の妹が生まれた後、自分に兄であるという自覚が芽生えた頃。
私は誰かにそう命令された訳でもなく自分の中で勝手に「良い兄であれ」と迫られている様な何かを、何とも形容し難い感覚的な要因から感じていました。
「貴方はお兄ちゃんなんだから」
家族と世間はそう暗に諭し、それに馬鹿みたいに素直に従っていた訳ですが。
内外問わず「良い兄」役をそれはもう見事に演じていた私ですが、その内当然ながら家族環境という狭いコミュニティを脱却し、他人と集団の生活を送る事になります。そこでは兄という体裁ではなく、一人の人間として評価される事になります。馬鹿正直に当然ながらそこでも良い人間であろうとしました。
家で被っていた仮面をさらに深く被り、偽りの、模範たる、評価に値する「私」を演じていました。それは決して「私」と言う自我は無く、綺麗事みたいな存在を具現化したような物で、幼いながらに私は吐き気を催すような模範である仮面を被っていました。その生活を物心ついた頃から続けていたおかげで、残念と言うべきか、当然と言うべきか、私の心は急速に、確実に濁っていったのです。
そこからは大層な「お友達ごっこ」が続きました。しかし裏を返せば自己肯定感の低さからくる承認欲求は年相応に控えめで、世間の言う「周りを伺う」子供でしか無かった点は、未だ不幸中の幸いと言うところでしょうか。
世間は私のおどおどした行動を「虚弱から来る心配性」、と体裁良く片づける方針でいました。事実私は小さい頃は妹に吸い尽くされたのかと疑問になるほど体も弱く、
その側面からくる心配性も否定するほど少なくもなく存在していました。
この「都合のいい勘違い」によって、私の中の醜い部分は、それはもう順調すぎるほどに育っていきました。
擬似的な社交性で育んだ保育園という狭いコミュニティでの人間関係に霹靂しつつも、そのストレスを解放する手段を知らなかった訳ですから、心は枯渇していくばかりでした。
しかしこんな環境で恐るるべき点は、この頃は情緒の発達も乏しく、大義的に存在してたものも「いい人間である」という極めて実直的な、わかりやすくシンプルな目標であっても尚、この心労を患っていた、と言う点です。
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