超短怪談(ちょうみじかいだん)

シミュラークル

超短階段

<2談目>

『ティッシュの怪』

 「——どうぞ」

 帽子を目深に被った若者(?)に、手渡された。

 「どうも」

 軽く会釈をして、受け取った。

 これは——何の変哲もないポケットティッシュ。

 右手にそれを持ったまま、俺は青がチカチカし始めた横断歩道を渡った。

 ちょうど赤信号になったところで渡り切り、俺は振り返った。対岸からそいつを眺めるためだ。

 若者——帽子を深く被り過ぎて顔がよく見えないそいつ(男か女かもわからない)は、俺の最寄り駅の前の信号で、行き交う人々に手当たり次第、無分別にポケットティッシュを配っている。

 そんな、嫌というほど見慣れた光景。

 「どうぞ、どうぞ、どうぞ……」

 人々は素直に貰ったり、「別にいらねぇよ」とでも云いたげな嫌な顔をして通り過ぎたり。赤信号で停止している人にも、あいつは「どうぞどうぞ」とせわしなく云っている。受け取るかどうかは、人によってまちまちだったが、何を気にする風でもなく、あいつは淡々と足元に置かれたカゴいっぱいのポケットティッシュを配っている。

 (それがお前のノルマなのか?)

 カゴから溢れんばかりの、異様な量が積まれたポケットティッシュ。カゴから、はみ出して落っこちているものもある。

 (大変だな)

 再び信号が青になった。人々がどっと、一斉に動き出す。

 人混みで一瞬あいつの姿が見えなくなった。が、次に見えた瞬間、帽子の影になっていた顔の下半分がチラッと見えた。

 (ん? あいつ……笑ってる?)

 つば付きの帽子のせいで口元しか見えないが、その口が心なしかニヤけているように見えるのだ。

 (そんなに楽しいか、配るのが)

 この雑踏の中、俺が観察していることも知らずにあいつは、変わらず淡々と同じ台詞(どうぞ…どうぞ…)を繰り返して配っている。

 (変なヤツ)

 どうせ貰っても(その名の通り)ポケットに突っ込んで、そのまま忘れて、洗濯機で一緒に洗ってしまうのがオチ。——それがポケットティッシュというものだ。

 (洗濯物のあちこちに、ティッシュの破片がくっついちまって、面倒臭いんだよなぁ)

 駅に流れていく人々の波に任せて、何となく貰ってしまったポケットティッシュを——貰った自分ではなく、そっちを——俺は恨んだ。”ゴミ”ではないんだけれど、”ゴミ予備軍”であることには間違いない、どうせ不要なもの。不要になるもの。

 そして裏を返せば、「新規オープンのデパート」やら「パチンコ屋」、「質屋の金品買取」の広告が……

 (ない)

 いつもの、あの風情もへったくりもない赤や黄の彩色を下地にしたガヤガヤとした広告文句が——ない。

 ポケットティッシュの裏面——小さな長方形の紙が挟まっているという点、それは同様だった。しかしそこにあるのは、いつもの猥雑とした広告文ではなく、代わりに——。

 

 『●ティッシュは大切に使うこと』

 『●ティッシュの尊厳を踏みにじらないこと』

 『●ティッシュへの責任転嫁は絶対にやめること』


 そんな文句が箇条書きで3つ。白地に黒字——カクカクした無機質な文字で、その小さな長方形の画角、目一杯に書かれていた。

 (何だこれ。『資源は大切に』的なアレか?)

 しかし「ティッシュの尊厳」とは、「ティッシュへの責任転嫁」とは、何か。

 「そんなに大切にして欲しいのなら、わざわざ配るなよ」

 と、多少の不協和に苛立ちつつも、「たかがティッシュに対してそんな大仰おおぎょうな……」と噴き出しそうになりながら、ジーンズの狭いポケットに、俺はこのポケットティッシュをじ込んだ。


 今日は休日だ。これから電車に乗って、適当な駅で降り、そこでたまたま見つけた喫茶店にでも入って、ゆっくり読書でも——というのんびりした日を、俺は満喫しようと考えている。

 「休日はのんびりしなきゃ」という考えがあるので、横断歩道を渡った後、俺はわざわざ振り返って、あいつ——ティッシュ配りの若者を少しばかりの間、観察していたのだ。

 (無意味なことに興じるのも休日!)

 俺は対岸に向けていた身を翻した。スマホで現在時刻を確認することもなく、歩き出した。「何分の電車に……」とか、そんなこともどうでもいい。

 (時間も忘れて、自由気ままに)

 数分前、ポケットに捩じ込んだティッシュのことなんかすっかり忘れて、俺は駅の改札を通った。


 いつも通勤に使っている電車とは反対方向の路線の電車に乗った。中は存外に空いていた。駅に向かう人々の群れを思い出すにつけ、混み合うことを予想していたが、そうか、行楽地のあるような栄えている駅に皆の目的地があるからか。今から俺が行く方面は田舎に突き進んで行くだけなので、人が少ない。

 田舎。都会の喧騒の届かない静かな場所。

 ホームの反対路線に連なった大勢の人間を見て、俺は神経を疑った。いくらその先に遊べる場所があるとはいえ、平日働きに向かう電車になんか乗りたくないではないか。

 道中も、ゆったり悠然と。

 なるべくいつもの降車駅からはとおざかった駅で降りようと心に決め、俺は手近な席に座った。

 発車して、時が刻々と過ぎていくたび、向かいの窓から見える景色が、人工から自然の風情へと徐々に移ろいでいく。穏やかな気分になりながら、電車の揺れに身を任せる内に、俺は眠りに落ちた。

 ……

 ……

 ……

 

 『……まもなく白紙しらかみ〜白紙〜。白紙に到着いたします……』


 夢の外からアナウンスが響いてきて、俺はゆっくり目を覚ました。

 「ん……もう終点か」

 車内の電光掲示板の文字を寝惚け眼で捉えながら、俺は小さくあくびをした。

 「しらかみ……白紙? 降りたことも聞いたこともない駅だなぁ」

 周囲に人影はなかった。長い横並びの座席の、こちら側にもあちら側にも誰ひとり、乗客の姿はなかった。窓の外を見ると、蒼天の空にでっかい入道雲がそびええ立っている。その下に広がるのは何の変哲もない田園風景で、「こういう田舎だ。俺が求めてたのは」と、期待通りの感じに胸躍らせた。

 プシューと鳴ってドアが開き、俺は未踏の駅に降り立った。と同時、金木犀の匂いを乗せた涼しい秋風が顔を撫でた。

 思わず深呼吸をして、胸いっぱいにその秋の芳香を吸い込んだ。

 「おや、誰もいない。この駅で降りたの俺だけ?」

 良い気分になったのも束の間、少し当惑した。誰ひとり、この駅に降りた人はいないようだった。周囲を見渡すにつけ、観光できそうなものは何もないから当然のような気もするが、しかしこうあまりに閑散とし過ぎていると、度を越して、荒涼としているように見えてきてしまう。

 「まあでも」と、俺は考えた。うるさい子供を連れた、どこかの家族なんかを目にするよりは、よっぽどマシか。

 (ひとりで結構、ひとりで十分)

 俺は心の中で頷いて、ホームを後にした。

 「さてと。肝心のカフェは見つかるかぁ?」

 駅の出口を出て、数歩歩いて、やはり目の前は、ひたすら平坦な光景だった。見渡す限り、カフェのような商売をやっている店はおろか、民家さえ見当たらない。

 「うーん仕方ない」

 カフェは流離さすらいの中でたまたま見つけるに限るが、駅前がこれではダメだ。信条に反するが、スマホを使って周辺情報を検索しよう。

 現在地、それと白紙駅とその周辺の地図。

 「……ここは、覚書めもちょうと云うのか」

 変わった名前の、この地名にも、当然見覚えはなかった。

 覚書町の地図から、東西南北、徒歩でも無理のない範囲で探してみる。

 「お、あった」

 

 <古民家カフェ・チリガミ>


 無事、親指が探し当ててくれた。

 「ここから大体20分くらいか」

 スマホから顔を上げて、歩いて行く方向を確認した。

 「うーん。口コミも詳細も何も書いてないけど、本当にあるのかぁ。ま、行って確かめるか」

 右手にスマホを維持しながら、俺はその

<古民家カフェ・チリガミ>の方へと歩き出した。





 



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