空とぶフリップガール

乙島 倫

第1話 千代田区役所から出てきた男

 千代田区役所から出てきたその男は意気揚々と通りを闊歩していた。

 男の名前は勝田凛太郎かつたりんたろう。1年前まで丸の内の大手商社に勤めるサラリーマンだった。今は、脱サラし、ベンチャー企業の立ち上げに奔走している。

 今から3年前、勝田凛太郎はニューヨークを訪れていた。その時、目撃したのは摩天楼のビル間を飛ぶスカイタクシーであった。

 少年の時、科学雑誌に描かれていた未来都市の想像図では、透明なチューブの中を空飛ぶ車が飛び交っていた。大人になってわかったが、そういった未来の想像図は、大抵の場合、実現しない。しかし、現実世界のニューヨークではeVTOLがタクシーとして飛び交っていた。

「通勤ラッシュや渋滞のない快適な移動をぜひ東京で」

 勝田凛太郎は、その時にたまたま同行していた同期社員に熱く語っていた。

 勝田は日本に帰国後、間もなくして脱サラし。新会社を立ち上げた。eVTOLの事業化のための『江戸前スカイタクシー』である。その後、ビジネスコンテストで大賞となり、ついに本格的な活動資金を手に入れることができた。

 投資は慈善事業ではない。5年間で事業化しなければ、融資は失効する。その日も勝田凛太郎は千代田区役所を訪問し、熱心にプレゼンを行っていた。

「日本の未来を変える乗り物になります。ぜひ、実現させてください」

 熱心に語るベンチャー企業の社長の話を真に受けて、すぐにGOを出す行政組織は存在しない。今日の担当者の対応も辛辣なものであった。

「わかってるんですか?千代田区は日本の政治と行政の中枢ですよ。総理官邸、国会議事堂、最高裁判所・・・。皇居もそうです。日本の重要機関がこの千代田区に集中しています。23区のことを特別区と言いますが、千代田区はその中でも特に特別なんです。もし、事故でもあったらどうするんですか?」

「eVTOLは安全に設計されています。安全面は乗用車と同等かそれ以上です」

「事故率はゼロではないということですか?それはこまります。事故はゼロじゃないと。そういうのは、もっと、茨城県とか別の自治体でやってもらって、安全性を確認してからにしてください」

「通勤ラッシュや渋滞のない快適な移動をぜひ東京で実現したいと思ってるんです」

 勝田は食い下がったが、この日も大きな進展はなかった。去り際に担当者は、一言添えて勝田を送り出した。

「わざわざ千代田区でやる必要はないでしょう」

 勝田はこれに対して、丁寧にお辞儀をしながら答えた。

「本日は貴重な時間をありがとうございました。また来ます。よろしくお願いいたします」

 担当者は二度見したが、これ以上は声を掛けなかった。


 ニューヨークではスカイタクシーの商業飛行が始まった。日本でも早く事業化したい。特区でやればという意見は多かったが、やはり、王道で勝負せねば。真の事業化には至らない。それでも、勝田凛太郎は粘り強く関係省庁や自治体と交渉し続けたが、門前払いの連続であった。

 しかし、突如、潮目が変わった。

 ホバーバイクが都市型スポーツオリンピック競技として選定されたのである。

 国営放送の朝のニュースで競技用のeVTOL式ホバーバイクが国立競技場のトラックを疾走する映像が流れ、一気に認知された。役人たちの抵抗も終わった。しかし、それでも、千代田区は抵抗し続けていた。

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