calmato

黒木蒼

約束のない待ち合わせ


 チャイムの音と共にガタガタと机を移動する音が聞こえる。

 4限終わりと昼休みが混ざり合う時間。いつものようにカバンからお弁当が入った巾着を取り出し、席を立った。

 私の席を使うクラスメイト。移動する私を目視するクラスメイト。きっとそういったクラスメイトは存在しているはずだ。だけど、誰も声を掛けない。私が認識する限り私、誰からも見られない。


 私は透明なのだ。


 いじめということはない。ただただ、存在感がないだけ。

 初日のスタートダッシュに出遅れそのまま流れる日々を過ごしていたら誰も私に興味を向けなくなった。最初は孤立している私が見えていただろうに。いつの間にか彼女たちの中から私はいなくなった。私は透き通り目視されることはなくなった。


 しかし相手から見えていなくても、透明側からは周りの人たちは見えている。友達と楽しそうに会話をする姿。自撮りする姿。仲良くご飯を食べる姿。皆共通して賑やかな声。

 日々の孤独が積もり上がり気づいたときには孤独の壁が出来上がっていた。

 そんな壁を作ったところで、透明な私には何も効果はないのだけれど。


 教室棟を抜け、理科室や音楽室など特別教室が集まる特別棟を目指す。

 途中、クラスが別れた二人なのだろうか。教室ではなく廊下に座って昼食を取る生徒がいた。冷えた廊下は体を冷ますだろうに、頬を赤らめて話す二人は理解不能だった。


 特別棟は人の出入りが少ない。というのも特別室には鍵がかかっているからだ。

 空いていない部屋に近づいたところで意味がないのは分かっているのだろう。

 特別棟に足を踏み入れると遠くから喧騒は聞こえてくるものの人の姿はない。

 人が通らないところは電気も付いておらず、窓から入る光のみが頼りとなる。

 わざわざ電気を付けたりはしない。私の存在を示すことになるから。空いている部屋があることを教えてしまうことになるから。


 特別棟の2階。北側の端っこの教室。……の隣。

 第二音楽準備室に辿り着く。一か月前に見つけた私の居場所だ。

 ここは鍵が壊れて常に空いている。基本的に第一音楽室しか使われないため第二音楽室、しかも準備室の鍵が壊れていることは知らない人が多くだろう。


 準備室の引き戸を開ける。音楽室の付属部屋なだけあり防音加工がされており、扉を閉めると無音の空間へと変化した。

 私の心をかき乱す音は何もない。ここにいる限りは。


「また来たんだ」


 音のない世界に、静かな声が広がる。私の耳に届いたところで音は吸収されたように消えて、また音のない世界へと戻っていった。


 先生。

 一か月に私がこの場所を見つけた時からいた人。私のクラスを担当していない教師。科目は数学らしい。名前は知らない。尋ねたが教えてくれなかった。高校へ入学して半年ほど経つが関わりのない教師の名前の調べ方なんて私は知らない。だから『先生』。職業を名前として呼んでいる。

 

 壁側に配置された長方形の机に食べ終わって空になったコンビニパンの袋を置き、右肘を机に付けてスマホを操作している。

 今日の服装はアイボリーのシフォンブラウスに黒のフレアスカート。ゴールドの細いベルトをしている。髪はハーフアップに結ばれ、結んでいない箇所は丁寧に巻かれている。年齢は聞いていないが20代前半だろう。華やかな見た目と年齢から生徒人気が高そうな先生だ。


 初めて会ったのは、この音楽準備室。音楽準備室でしか会わない。私のクラスを受け持っているわけではないため接点もない。

 だけど、唯一私のことが見えている存在。


「先生こそ」


 また来たんだというノリで私も言葉を返す。


「昼休みくらいは仕事から解放されたいの」


 わざわざ昼休みに授業の質問をしてくる生徒や休憩時間だというのに小テストの丸付けをする先生がいる職員室では心から休憩はできないそうだ。

 普段の先生は知らないが、相当猫を被って過ごしていることが予想できる。


「同僚と一緒なのも疲れるし」

「大人になってもそういうもんなんだ」


 敬語は使わない。特に理由はない。

 先生から注意されたら直そうと思っていたが特に何も言われなかったからそのまま続けている。


 私の発言で会話が終わる。二人の間には沈黙が流れた。気まずくはない。元々、音楽準備室この空間を共有しているだけの関係だ。しかもお互いに人と関わるのを好しとしていない。楽しく会話を交わすことなどお互いに無理だと分かっているのだ。だからこの沈黙は嫌いではない。むしろ心地良い。


 先生の隣に座り、持ってきた巾着を開きお弁当と箸を取り出す。

 お弁当は自作だ。白米にふりかけをかけ、冷凍食品を3つ――からあげ、たまごやき、ブロッコリーを詰め込んだだけの簡単なお弁当。保温されるお弁当箱ではないので、今朝詰めた熱々の白米はすでに冷え、汗をかいていた。この水分が抜け少し固くなったご飯はあまり好きではない。からあげを一齧りして口へと放り込み、白米の味を誤魔化す食べ方をした。


 たまごやき、からあげで誤魔化しながら食べた白米がなくなり、最後にブロッコリーを食べる。ジャキジャキと鈍い音を何度か立て、飲み込んだところで、一つ話題を出してみた。


「学校辞めようかな」


 ぽつりと。ここ数ヶ月考えていた言葉を口にした。今日口にした理由は特に思い当たらない。なんとなく、なんとなくだ。

 友達もいない。夢もない。

 時間を消費するだけの場所に価値を感じることはできなかった。だけど、これは私の考える価値だ。少し長く生きる人は異なる考え方をもっているかもしれない。あとは声に出すだけの答えを持ちながら、淡い期待を胸に相談をしてみた。しかし、返ってきた言葉は


「辞めたら?」


 期待した私がどうかしていた。毎日一人で音楽準備室に来る私に1ミリも興味を抱かない先生は自ら進んで生徒を導くような教師ではなかったんだった。

 この無言を不機嫌と捉えたのだろう。先生はめんどくさそうに言葉を続ける。


「若い子って複雑だよね。否定されると怒るけど、肯定しても不機嫌」

「先生の回答は投げやりだから」

「そう。そう聞こた? そっか~」


 相変わらず私には興味なさそうに話を終わらせる。どう思われてもいいのだろう。

 とりあえず、辞めないとさっきの発言は撤回した。背中を押してくれたら辞めていた。止められても辞めていた。何も興味を持たれずに話を流されたことにイラッと来て辞める決断が揺らいでしまった。何を言われても同じ結果になると思っていたのに。私も構ってもらわないと嫌なめんどくさい人間なんだろうか。


「それならそれで。学生の本分は勉強ですからね」

「辞めても家にも居場所がないから」

「…………」


 そういう重い話は休憩時間にするな、という目で見られる。


「妹の方が可愛いんだって。私は存在価値ゼロ」


 育児のための一時的な愛情の独占ではない。私はいないものとして、もしくは良い家政婦として家族から扱われている。

 理由は分からない。勉強はそれなりに出来るし、家事も家政婦扱いされるくらいだから出来ているだろう。何事もそれなりにこなせるのが可愛げがなかったのだろうか。いや、そんなことはない。生まれた時点から決まっていた気がする。


「妹は虹花。私は灰莉。名前から愛情の差を感じない?」

「灰莉はいい名前だよ」

「どうせ背理法と同じ音だから良いって言ってるだけでしょ」

「お。ちゃんと勉強してるね」


 感心するようなことを言っているが、声も顔も淡々としている。私が背理法を知っていようと知ってまいとどうでもいいのだろう。


「最悪じゃん。否定して矛盾を示す証明方法と一緒なんて」

「マイナスのマイナスはプラスだよ。逆転っぽくて良くない?」

「良くない」


 ぴしっと否定すると、そう? と煮え切らないような態度で、しかし反発してくることはなかった。


「じゃあ灰莉の人生は価値がないと仮定しよう」

「最悪の仮定」


 そういえば先生は私を下の名前で呼ぶ。私が名前しか教えてないからだ。

 この学校に『灰莉』と呼んでくれる人はいなかったから。


「勝手に私の人生証明しようとしないで」

「だって悲劇のヒロインアピールしてくるから」

「してない。……それで、どういう証明になるの?」

「証明ってさ。そんな短時間で出来るようなものじゃないんだよ」

「……テストには出すくせに」

「あれは国語の答えの用意された感想文みたいなもんだから」


 とげとげしい言い方で答える。

 国語の感想は自由に書くことが出来ず、教師の求める回答があるとでもいいたいのだろう。その気持ちは分かる。

 

「国語嫌い?」

「嫌い。読書感想文に訂正入れられてから、私の自由な感想が否定されてる気分になって」

「私と一緒だ」

「一緒。否定されるのは嫌だね」


 先生の言葉は軽い。ふわふわと上に飛んで行って、私の身長がもう少し低かったら捉えられなかっただろう。


 ピピピ、とタイミングの良いところでスマホのアラームが鳴った。

 予鈴が聞こえないこの部屋で過ごすときは、時間を忘れないようにといつもアラームを設定している。もう教室に戻らないといけない時間か……とお弁当セットを巾着の中へとしまい込む。

 しまっているときに隣から声を掛けられた。


「残業にしておくよ」

「宿題って言って」

「考えておく。とりあえず一か月くらい待ってて」

「長い……」

「だから一か月は学校辞めない方がいいと思う」

「辞めないって」


 巾着のひもをキュッとひっぱり持ってきた形へと戻す。お弁当の中身に重量がないのか持ってきたときと同じくらいの重さだった。

 ここから教室は職員室よりも遠い。授業に間に合うように戻る私はいつも先生より早くこの場所を去っていく。

 立ち上がり、数歩歩き、先生の目の前へ。明日の予定を聞く。


「明日は?」

「いるけど。灰莉は?」

「いるけど。ここは数学教師の居場所じゃないんだよ」

「一般生徒の居場所でもない」

「確かに」


 別れの言葉も、また次会う約束もない。そのまま歩みを進めてドアを開けた。

 廊下は音楽準備室とは逆転するように周囲は喧騒を取り戻し私は沈黙する。すぐにでも戻りたい気持ちになった。いつもそうだ。教室へ行ったところで私はいてもいなくてもいいことを実感してしまう。このまま逃げたい気持ちでいっぱいになる。

 昨日出来たことは今日も出来るなんて綺麗ごと。じわじわと増していく辛い気持ちが限界ラインに届く日がいつかくるはずだ。今日はその日かもしれない。そんなこと思いながら、きちんと教室に向かっていた。肯定する材料を探すために。

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