エデンのさきに

@pokuchan100

ナマケモノを飼うこと

夫の実家近くに家を買おうとしていた時だった。

さぁこれから、「条件の合った物件をどんどん内見予約して行くぞ」と張り切ってパソコンを開きマウスの上に手を置いた私の手の上に、夫が手を重ねて言った。


「家を買ったらナマケモノを飼おうね。」


私は狂ったようにはしゃいだ。

なぜならナマケモノを飼うことは、私の小さい頃からの夢だったのだ。


「いつからそんな事考えてたの?」

と聞くと夫は

「前からからずっとだよ。」

とお決まりの返事をした。

こういうことをいつも突然言う男なのだ。


こんな提案をされたら、もう物件を見ている場合ではない。

私はナマケモノを飼うために必要な環境や買うべき物をパソコンで調べながらリストを作った。


作り上げたリストを何度も読み返しながら、ナマケモノ自体の購入先や値段を全く調べていない事に気が付いた。


悪い予感しかしないが、ここを避けては夢は叶わないのだ。

願うように優しいタッチでキーボードを打った。


願いも虚しく、ナマケモノのお値段は100〜200万ほどということだった。

なるほど。このことを夫は知っているのだろうか、と疑問に思ったがきっと知っているに違いないと思ったので聞かなかった。


2時間ほどナマケモノについて調べ、やっと興奮が治って正気に戻ったので物件を探し始めた。


私と夫は中古物件+リフォーム、もしくは新築の家で探そうと思っていた。


割と人気な地域なので中古も新築も1ヶ月以内には売れてしまう。


前もって調べておいた間取りや立地などの条件に合ったものをどんどん内見予約して行った。

そして翌日の朝一発目に内見した中古物件が、私の夢を叶えようとしてくれているような家だった。


2階の4部屋のうちの1部屋がナマケモノのお部屋にするのにピッタリだった。

5.5畳の洋室で小さな小窓が2つ。収納スペースがない部屋でエアコンや加湿器なども設置できる部屋だった。

部屋を出ると目の前に大きな手洗い場があり、これ以上何を望むのかと言うほどナマケモノを飼うためにあるように思えた。

中古物件のためカーテンが各部屋にそのままついていたのだが、この部屋のカーテンはジャングルのように深くて綺麗な緑のものだった。


「あぁ、私はこの部屋でナマケモノと戯れて幸せを毎日感じるのだろう。」

と想像し、涙が出てきた。


ナマケモノの部屋以外も、この家は大変素晴らしかった。

夫はリビングの暖炉を大変気に入っていた。


「ここにしよう。」と2人で言いながら、この家をあとにした。


この日他にも二つ物件を見たが、一軒目よりもナマケモノにふさわしい家はなかった。


家に帰り、お風呂に浸かりながら今日見た一軒目の家を思い返していた。


あのアイランドキッチンでナマケモノのご飯を用意して、二階へ続くピンクゴールドの手すりをなぞりながら階段を上がり、ナマケモノのいる部屋へ行く私を、容易に想像することができた。


あの家で幸せな生活を送れるに違いない。

そう確信しながら私はこの日眠った。


朝早く目が覚めたので、住もうと思っている地域の病院をリストアップしていた。

内科、小児科、眼科、耳鼻科、皮膚科…ここまできた時にふと気がついた。

「私のナマケモノを診てくれる病院はあるのだろうか?」

車で30分ほどの場所に、エキゾチックアニマルも見てくれる病院を見つけた。

だけどこの病院の先生は今までにナマケモノを診たことがあるのか?

思い切って診察時間内に電話で聞いてみた。

先生はナマケモノを診たことは一度もないとおっしゃった。

それはそうだろうと思った。だって私の周りにナマケモノを飼っている人なんか1人もいないのだ。誰かが飼っているなんて聞いたこともない。芸能人くらいしかいないのかもしれない。


そう気がついた時、私の夢は消え始めた。


私はナマケモノを子供同然に可愛がり、愛していきたいと思っていた。

けど、そうするには条件が整っていなすぎる。


私のナマケモノが怪我をしたり病気になった時に、助けてくれる人はこの日本にいないのだ。

まだ見ぬ我が子のようなナマケモノだが、そんな思いをさせることはできないと思った。


昨日まで見えていたように思えていた夢が崩れていった。

この日物件を見に行く予定はなかったが、夫の実家に行く用事があったので帰りに昨日見たナマケモノハウスに行った。


車を止めて家の前に立った。

玄関ポーチの斜め上には昨日まで夢見ていたナマケモノの部屋があった。

私を誘うように緑のカーテンが揺れている気がした。


私はナマケモノを飼いたかったが、なによりも愛して私の手で一匹のナマケモノを幸せにしたかったのだ。


それが叶わないなら、私の夢も叶わないのだ。


私は自分でも驚くほどすんなりナマケモノを飼うことを諦めた。

子どもの頃の私が、今の私の行動を見たらきっと泣き喚くだろうと思った。

ナマケモノを飼いたいという夢は3歳から描いていたものだったから。


私は半年後、新築の家にナマケモノのぬいぐるみを連れて越してきた。

夫が買ってくれたのだ。

ナマケモノを飼ったら付けようと思っていた、かれこれ30年以上温め続けていた名前をつけた。

もう私の人生で生きている本物のナマケモノを飼うことはないのだ。

その名前はこのぬいぐるみに名付けようと抱いた瞬間に決めた。


私と夫が寝るベッドの横に、ナマケモノのモノ君がいる。ここが定位置なのだ。

本物のナマケモノとは一緒に寝ることができないが、モノ君とは旅行先だって一緒に寝ることができる。

夢を捨てた後悔はない。

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