狂刀のヘンバー

倉世朔

狂刀のヘンバー


 俺たちに白い翼などないのだ。

 あるのはただ、赤く染まった汚い翼。


 悪魔の翼。

 そう教えてもらった。


【狂刀のヘンバー】


 曇り空がやけに黒く、雨は鋭く降っている。    

 その下で俺は墓石の上に座っていた。


 長い栗色の髪。輪郭は細長く、肌は青白い。すらりとしたその体は生まれつきなのか、それとも食べていないせいなのか分からない。それほどまでに俺の体は昔から痩せ細っている。


 そして、全身が赤い血で汚れていた。


 俺はぐったりと座って目を瞑り、片膝を立てて、その上に腕を置く。


 森の奥の墓場の下には、恐ろしく赤い彼岸花が咲き乱れていた。


 彼岸花を見ると思い出す。

 涙を流しながらお祈りをしている赤い髪の女のことを。


 生気のない目をゆっくりと開く。

 

 俺は彼岸花に話しかけた。


「祈りなんて無駄だ。望み、祈り、夢、願いも無意味だ。叶いはしない」


 俺は打ちつける鋭い雨を気にせず、ただただ、いつまでも黒い空を見つめていた。 

    

 軽く背中に触れ、そして空に向かって言い放つ。


「神よ……なぜ俺は生まれてしまったのか」


 憎しみと悲しみと、そして後悔の混ざった顔で神を呪う。


 俺は過去を振り返った。


「あの時も雨だった」


 ***


「ヘンバー、ヘンバーはいるかい? おーいヘンバー」


 広くて豪華な屋敷の廊下でコハが俺の名前を呼んでいる。白色の短髪に俺とは対照的ながっしりとした体格。少々楽観的なところが鼻につく男だ。

 

「なんだ?」


 コハは柱にもたれている俺の存在に驚く。


「わぉ! 驚かすなよ」

「でかい声で何度も俺の名前を呼ぶな。うるさい。しかも、ここはお前の家でもないんだぞ」


 コハはため息をつく。


「俺たちはアルアング家専門の殺し屋だろ? 半分は家じゃん」


 俺はコハよりもっと重いため息をついた。


「お前は呑気だなぁ」


 汚れ仕事専門の孤児たちのことを裏の世界では暗躍の子供たちと呼んでいた。


 暗躍の子供たちは貴族たちによって雇われ、一生涯彼らの汚れ仕事を担う。

 仕事ぶりによっては報酬が高くなることもあり、孤児たちはこぞって暗躍の子供たちになろうと必死になっている。


 この時代の悪しき社会問題ともなっていた。


 名が知れた暗躍の子供たちは二つ名が与えられる。

 皆は俺を恐れて、狂刀のヘンバーと呼んでいた。


 狂った刀。

 俺の変わった武器からそう言われている。俺の刀に峰打ちはない。なぜなら、その刀には両方とも刃がついているのだ。

 これで人を欺く。

 それがこの剣の特徴。

 狂刀といわれる所以だった。


 今夜も俺たちは暗殺業務のために夜の森を駆け抜ける。

 

 目的地へ向っている途中、小さな影が見え、俺たちは立ち止まった。


 小さな影の正体は、ユーラージ家に雇われている暗躍の子供たちの一人、死花火のヴァレンタインだった。

 ヴァレンタインはにんまりと笑って俺たちに近づいてくる。


「誰かと思えばNo.3の殺し屋たちか。久しぶりだな。狂刀のヘンバー、異国の問題児コハ」


 俺は臆することなく言い返す。


「今はNo.2だ。ユラン家が滅亡してからな」

「ガキに頼り過ぎたあのバカ貴族か。てことは、今は俺がNo.1だ」


 俺はヴァレンタインを無視して先に行こうとしたが、彼は俺に向かって素早く言い放つ。


「お前の目には迷いがある。迷い刀はいずれ、身を滅ぼすぞ」


 俺は驚いてヴァレンタインを見た。そしてその驚きを隠すために咄嗟に


「チビがでしゃばるな」


 と吐き捨てた。

 それから俺たちは再び目的地へと走った。


 

 貴族はバカだ。

 身の程を知らない奴らばかりだ。


 俺はそう思いながら暗殺を実行する。屋敷の奥へ奥へと進むと、母親と思われる女が暖炉のそばで赤ん坊を抱いて震えていた。


 母親の方は怖がっているが、赤ん坊の方はこちらを見るなり、楽しそうに微笑んでいる。


 背中に痛みを感じた。


 ターゲットの始末は絶対。

 それがたとえ、子供であっても……。


 全ては彼女のために。



-――ザンッ!



 俺は何のために、人を殺している?


彼女のため。


彼岸花のような彼女のために……。


「ヘンバー、終わったか?」


 彼女のため?


 ***

  

 赤はやがて黒に変わる。

 俺は小さい頃から、それが当たり前だと思って生きてきた。


 だから、あの女の髪も次第に黒に染まるんだ。


 今日も俺は、アルアング家の一人娘を見ていた。


 赤色の髪に穏やかな顔はまるで聖母のよう。


 いや、天使のようだ。


 彼女の名前はアリア・アルアング。


アリアは、生まれてはいけない不吉な星に生まれてしまったいわゆる忌み子。

 アリアが生まれてすぐに母親は他界。

 アリアの父親は今の地位を守るため、アリアの出生を知ろうとするものを排除するために、俺たちを雇ったのだ。


 そのことをアリアは知らない。

 俺たちの存在を庭師か何かだと思っているくらいだろう。

 

 これまで長くアルアング家にいるが、未だに彼女と話をしたことがなかった。


 彼女と話がしたい。

 そう思って歳月だけが過ぎていく。

 俺みたいな人間が白い翼をもった娘と会って良いのだろうか。

 そうやって躊躇い、いつも話ができないでいた。

 

 ***


 いつもの暗殺を終え、俺たちは木のてっぺんに立ち、満月を眺める。

 今日は月が低い。

 俺はコハに尋ねた。


「お前は何のために人を殺している?」


 コハは怪訝そうに


「そりゃあ、アルアング家の命令のためだろう?」


 俺は首を振った。


「違う、そういう意味じゃない」


 コハは言った。


「じゃあ、どういう意味だ?」

「……わからない……でも、確かに違うんだ」


 確かに命令のために人を殺している。


 でも、何かが違う。

 そんなもののために自分達は汚れているのか。


 彼女が好きだから?

 彼女を守りたいから?


 俺が赤く汚い翼になったのは?


 悪魔の翼になったのは?


 そんな理由のために俺は見えない白い翼を自ら汚しているのか?


 白い翼を汚すほど彼女を守りたい?


 守る?

 何を?

 翼を?

 彼女を?

 彼岸花を?


 俺はふいに背中に軽くにふれた。

 翼などみえないし、生えているわけがない。


 それなのになぜか、小さい頃に教えてもらった言葉が頭をよぎった。


 俺たちには白い翼などないのだ。

 あるのはただ、赤く染まった汚い翼。


――-悪魔の翼。


 人を殺すのは、良い気分じゃない。


 ***


 当主の部屋に向う途中、アリアの部屋の扉が少し開いていた。悪いとは思うが、俺は少しだけ隙間から様子を伺う。

 

 彼女は灯りもつけずに薄暗い部屋の床に座っていた。

 そしてロザリオを片手に、お祈りをしながら泣いている。


 何を祈っているのだろう。


 当主の部屋に着き、ノックをしようと右手を軽くあげる。

 だがドア越しから話し声が聞こえ、俺は耳を傾けた。


「コハがアリアに求婚してきただって? なんてやつだ!」


 コハが?

 アリアに求婚?


 アリアの兄の声が聞こえる。

 アルアング家の当主であるアリアの父親がそれを返した。


「汚らわしい暗殺者のくせになんということか。コハには死んでもらうしかない。始末はヘンバーに任せよう」

「父上。アリアにはなんと言うつもりですか?」

「あの子には教えてやらねばならない。貴族は貴族と結婚するのが道理だと。あいつらは溝川に住むネズミと同じ。何の価値もないとな」

「そうです。我々貴族に向かってあんな卑しい奴が結婚を申し込むなど、愚の骨頂。あいつらは黙って、我々の汚れ仕事を行っておけばいいのです」


 何の...…価値も、ない?


 俺は勢いよくドアを開けた。


 その後からは、よく覚えていない。


 覚えているのは、血塗れになった無残な2体の死体。俺はその壊れた玩具のように転がった屍を笑いながら踏みつけていた。


 騒ぎを聞きつけ、コハが部屋へやってくる。

 彼は青筋を立てて叫んだ。


「何をしてんのさ! ヘンバー!」

「なぁ、コハ。お前……いつから彼女と会っていた?」


 コハは顔をこわばらせた。

 まるで悪魔でも見るかのように。


「いつから結ばれていたんだ?」

「へ、ヘンバー……言わなくて悪かったよ。俺は彼女のために人を殺してた。彼女を愛していたから」


彼女のため?


「人を殺して……彼女を守る? 結ばれないのに? 俺たちにそんな資格はないのに? 彼女のためじゃない! 人を殺めなければならない理由を彼女に押しつけているだけだ!」

「ヘンバー! お前だってアリアを愛していたんじゃないのか!?」


 俺は目を見開いた。

 俺がアリアを愛していただと?


「お前だってずっとアリアを見ていたじゃないか! あの子のことが好きなのをわかっていたから俺は言わなかったんだ。愛する人のために人を殺さねばならない! お前もそれをわかってたはずだ! 彼女を失いたくないから! 彼女が傷つくのをみたくないから俺たちが代わりに汚れて……」

「あはははははは!!」


 俺は高らかに笑った。

 そして冷たく、凍るような目で静かに呟いた。


「俺たちに白い翼などない。あるのは血に染まった赤い翼。悪魔の翼。殺し屋なんだよ俺たちは。所詮人殺しは人殺しだ。人を殺すのに理由などない。理由を求めてはいけない。暗躍の子供たちの宿命なのだから!」


 俺は自分の狂刀をコハに向けた。


「やめろヘンバー!」

「お前も気づけ、俺たちは汚れた人間なんだと」

「なんでそうなるんだよ!」


 コハ。

 お前は仲間だった。

 でもな……


-――ザンッ!


 俺はただ、自分の翼を洗い流して綺麗な、純粋な白に戻したかった。


 できないとわかっているのに。


 できないと、わかっているのに。


彼女のために人を殺していたんじゃない。


自分のためさ。


彼女のためなら、コハを殺さなかったさ。


所詮皆、エゴなんだ。


 皆、白い翼が欲しいのだ……。


 俺は背中にそっと触れ、見えない翼を確かめた。


 仲間の死などたかが知れてる。


 でも、心のどこかで別に殺さなくても良かったじゃないかという声がじわりじわりと俺に囁いてきた。


 言い訳かもしれない。

 何もかも思い通りになりゃしない。


 背中が痛い。


 俺達は昔からそうだった

 ただ、思い通りになるのは人が死ぬときだけ。


 俺達が人を殺すときだけだ。


 残るはアリアか……。


 アリアは殺したくない。

 いや、殺すつもりは無い。   


 天使を殺すなど恐れ多い。


 俺は静かにアリアの部屋を開けた。


 マリアは涙を流しながらお祈りを続けている。


 お祈りの内容が嫌にでも耳に入った。


「白い髪の方、異国の風のようなコハが死にませんように。あの方が殺し屋でもかまいません。私のためにあの方は人を殺しているのですから。あぁ、神様、どうか。どうかコハをお守りください」


 俺は、マリア目掛けて刃を振り上げた。


 なぜ俺は震えていたのだろう。

 それは、怒りなのか哀しみなのか、それとも愛憎なのか。


 いや、愛憎にするにはあまりにも浅はかな関係だ。



願いなんて無駄さ。



 だってあんたが好きな男は、俺が殺してしまったのだから。


 あの女は知っていた……俺達の存在を……。

 

 俺のことなど見てもいない。

 見ていたのはコハだけだった。


 悪魔は天使を殺めた。


 おかしいな。

 涙が一粒一粒こぼれていく。


「何もかもが思い通りになりゃしない」


 俺は悪魔なのか。

 本当に。

 俺がいなかったらあの二人は……あのときの親子は……そし意味も無く殺された人々は……。


 なぜ俺は生かされているんだ。


 

「派手にやったなー」


 

 後ろを振り向くと、死花火のヴァレンタインがにやにやしと笑いながらやってきた。


「お前すげーよ。まさか屋敷全員を殺すなんて。予想以上だ。あの女は生かしておくのかと思ったのにな」

「なぜ貴様が……笑うためだけにきたわけではあるまいな」


 ヴァレンタインは嘲笑した。


「知らないとは言わせない。主を殺した暗躍の子供たちは始末しなければならん」


 俺は彼に負けないくらいに嘲笑った。


「飼い主を殺した犬は始末されるってわけか」

「そういうことだ。悪く思わないでくれ」


 ヴァレンタインは心無く言う。

 俺はふと尋ねた。


「お前は何のために人を殺している?」


 ヴァレンタインはじっと俺を見た。


「お前は? お前は、なんのために人を殺した」


 俺は静かに答える。


「理由なんてない」


 ヴァレンタインは厳しく言い返した。


「我々は暗躍の子供たちだ。主の利益のために人を殺している。そのために生きている。生かされている。お前は暗躍の子供たちをなんだと思っているんだ!」

「俺たちも、貴族も、ただの人間だよ」


 ヴァレンタインは呆れた顔をした。


「ユラン家の次はお前か」


 俺はコハの言葉を思い出した。


「コハは、ここを第二の家と言った。幸せそうにな。」


 俺は窓の近くに寄り、曇り空を仰ぐ。


「ヘンバー、お前を始末する。最期に何か言いたいことは?」


 俺は、自分が殺めたアリアの死体を見た。


「お似合い……だったんだ」


一瞬だけ映る、二人の微睡んだ顔。


「それが最期の言葉か?」

「俺は愚か者か?」

「ああ、筋金入りのな」


 その瞬間、俺は窓の縁に足をかける。


「お前!」


 俺は顔を上げて高らかに言った。


「ならば、俺は最後まで愚か者になろうじゃないか!」


 俺は窓から飛び降り、見事に着地する。


 その時俺は、自分の翼が背中から外れた音を感じた。


 ***

 

 そして、今に至るわけだ。


自分が生まれつき持っている翼を自分でズタズタに引き裂く。


翼などいらないという表明の証。


我々は何者にも定義されない者。


まさにそれは孤高の存在。


人という存在なんだ。



 あれからさらに月日が流れていく。

 俺は殺し屋から足を洗い、彼岸花が辺り一面に咲く山奥の小屋でひっそりと暮らしている。


 血のように赤い彼岸花を恐れてか、誰一人として小屋に近づくことはなかった。


 これが俺の、狂刀のヘンバーの物語。


 完

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狂刀のヘンバー 倉世朔 @yatarou39

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