小噺『小瓶』

鳩原

小瓶

 我々学生の宿敵は何か、貴方はご存知でしょうか。人間関係?いいえ、違います。宿敵というのは避けられない上に許し難い存在を言い表す言葉でございます。避けようと思えば人間関係を宿敵と表現するのは、私から言わせればとんと見当違いな行為であります。他に意見をお持ちの方はいらっしゃいますか。え?甘酸っぱい青春真っただ中の学生生活には悩みこそあれど敵などいない?馬鹿おっしゃい。それならば一つ伺いますが、こんな駄文をインターネットに垂れ流す暇野郎は貴方の想定なさった青春に登場しましたかね?しませんね。

 埒が明きません。宿敵とはずばり、試験のことでございます。余程の天才かお気楽者でもない限り、誰もが一度は恨んだことでしょう。老いれば老いるほど時が経つ感覚が短くなっていくという理屈に則ればまだまだ濃い一年を過ごせるであろう我々でもひっくり返るような速さで、は詰めて来やがります。枚挙にいとまがありません。もちろん、数字がものを言う現代社会で、一定の基準で能力を数値化する制度は大切でしょう。理解しています。ええ、理解していますとも。その上で罵っております。ふざけんな滅べ。


 散々に申し上げましたが冗談半分、いや冗談三割です。本題はそこではありません。

 さて、明けたんだか、そもそもなかったのか今ではわからない梅雨に、事件は起こりました。


  その日はあのくそ忌々しい期末試験最終日の放課後でした。私は寝不足と詰込み学習で冷却装置がぶっ壊れた機械みたいな頭を何とか首の上に乗せ、オムライス屋の席で注文をしておりました。友人からお勧めされた店で、暇ができたら行こうと思っていた素敵そうなお店です。お得なセットメニューやらドリンクの割引やらに戸惑いつつも何とか注文を済ませます。待ち時間、背負い鞄リュックサックから前々から読もうと思っていた本を取り出しますが、如何せん眠気で集中しきれない。結局大人しく、試験から解放された喜びを噛みしめながら窓の外を眺めて待つことに致しました。そのレストランは、景気のいい時に駅前に建て直されたばかでかい百貨店の上階に位置しています。少し曇ってはいたものの、立地のために辺り一帯を鳥瞰できて気分がいいものでした。


 居眠りに落ちる寸前で、料理がやってきました。だいぶ迷った挙句に選んだビーフシチューオムライスセット。大きな白い皿の中央にどっしり構えたオムライス。その奥にサラダと小さなパンケーキがちょこんと横並びになっていました。その間に、おそらくパンケーキにかけるであろう真っ白い液体に満ちた、これまた真っ白い小瓶が置いてありました。ただ食品を並べただけではこうはならないでしょう。一皿に小綺麗にまとまっていて、調和のとれた、上品なワンプレートという印象を受けました。続いてアイスティーと、これまたパンケーキにかける用のシロップが置かれ、かくして注文は揃いました。

 さて、その正面を張るオムライス、たまに家で作る私のそれと目の前の料理を、同じ名前で呼ぶのもおこがましいと感じるほどに美しいものでした。柄にもなく写真を撮りました。アイスティーでいびきをかきかけた喉を潤し、フォークを掴みます。いきなりメインにいきたい気持ちがないと申し上げれば嘘になりますが、やはりお楽しみは最後にとっておくほうが性に合っています。いつもの戦場のような食卓ではなかなかこうもいきません。しかし今日は外食、しかも一人です。私のやり方で、存分に楽しむことに致します。


 そんなことを考えながら、サラダを口に運びます。味付けはございませんでした。特段気になりませんが、しかし疲れた脳には味気ない気もします。逡巡した私はほんの少しだけ手を止め、そして、オムライスから垂れて白い皿に焦げ茶色の光沢を作っているビーフシチューを水菜でぬぐうようにしていただきました。

 さあ、いくらオムライスがメインであったとすれど流石の私もデザートを先に食べるほど無情緒ではありません。スプーンに持ち替え、ライスにそっと乗せられたオムレツのそのきめ細やかな表面を開こうとします。……ほんの僅かな力でスリットが入り、中からメレンゲが顔をのぞかせます。何か特別な調味料を混ぜているのでしょうか、は、冬の控えめな夕日のような薄い橙色をしていました。味付けが濃いという訳でもありませんでしたが、食感で私を存分に楽しませてくれたは、オムレツを崩す行動自体にわくわくしてしまうような童心を蘇らせてくれる、そんな優しい味でした。

 つい舞い上がってしまいしばらく無心でスプーンを口に運んでいましたが、本当に幼い時とは違い無意識にオムレツとライスとシチューの量を調節していました。最後に残しておいた牛肉の塊をとろとろの卵に絡んだライスと一緒に口に放り込み、私の幼い感情の昂りは終わりを迎えました。変わって心の中で舞台に上がったのは甘いものに目がない高校生でございます。

 質素ながらもしゃれた小瓶をつまみ、パンケーキの上で傾けます。粘度が絶妙だからでしょうか。液体はパンケーキ全体に広がったもののそれ以上零れ落ちずに、生地の上に留まります。ふと、ところでこれはどんな味のトッピングなのだろうかと考えてみることにしました。あまりお店でパンケーキを食べることがないのでよくわかりません。ああでも、と2、3年前の出来事を思い出します。イギリスで食べたアップルパイは酸っぱくて、似たようなものをかけながら食べた気がします。私の英語力が未熟であれが何から作られているのかは聞き取れませんでしたが美味しゅうございました。おそらくは生クリームの類でありましょう。未知の食品は挑戦に限るというものでございます。それに私は、スイーツは甘ければ甘いほどいいという持論を掲げております。下品なのは重々承知で、私はどぼどぼと白いソースをかけ、続いてシロップも溢れんばかりにかけ、分厚いが小ぢんまりとしたパンケーキに容赦なくナイフとフォークを突き立てました。アイスクリームやソースと絡ませながら少しずつ口に含み、噛みしめます。美味しい。疲れた心身に染みわたらんばかりの甘さ。荒んだ脳は慈愛の雨によって愛を思い出し、五臓六腑は何にも縛られない自由な快感に悦びを叫びます。特にこの白いソース、記憶に残っているよりも甘じょっぱいくて好いものです。前回はリンゴの酸っぱさにかき消されてしまっていたのでしょうか、もしくはこれが日本人好みの味付けにしてあるのでしょうか、とにかく美味しい。

 感動を超えたのでしょうか、懐かしさまで覚えます。しかし、一週間と少しのイギリス旅行だけでここまで懐かしさを覚えるものでございましょうか。それだけの衝撃が私に走ったのは事実ですが、もしかしたらさらに前にどこかで口にしたかもしれません。私は懸命に思い出そうとしました。

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小噺『小瓶』 鳩原 @hi-jack

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