第24話 一方、その頃お嬢様はーー。

ーー時は少し遡り、書店内。



「っああ! なんて、なんて素晴らしい装丁なの!」



 人一人が通るのがやっとの狭い空間の中、あたしの前を行くマリー様がいきなり高い声を上げた。

 うっとりと細められたヘーゼル色の瞳には涙が浮かんでいるし、頬は庭園の薔薇と同じ色だわ。

 そんな彼女の変化に驚いていたら、突如彼女がこちらを向いた。

「あ、あの、め、メルセンヌ様」

「な、何ですの?」

「め、メルセンヌ様はその……恋愛小説はお好き、ですか?」

 急にオドオドし始めた彼女の問いかけに、あたしは首を傾げた。

「レンアイショウセツ……ですの?」

「ええ。私、紅茶と同じくらい恋愛小説が大好きなんです! 特にこの、一人の殿方を巡って公爵令嬢とその従者が恋の駆け引きをする恋の花園を愛好していますの!」

「一人の殿方を巡って公爵令嬢とその従者が恋の駆け引き???」

 どうしよう。マリー様のお話がちっとも理解できないわ。

 そもそも、あたしは小説、というか本を楽しむものとして読んだことがない。

 お母様が生きていらっしゃった頃はよくおとぎ話の絵本を読んでもらっていたけど、亡くなってからは教養の本を読むだけ。

 恋愛、と聞いて頭に浮かぶのは、シャンスのラピュセルに選ばれた乙女が、運命の殿方と出会い、愛を育み、シャンス様にその愛を示し、偉大な魔法使いである『ソルシエーヌ』になるという伝承だけれど……マリー様のそれはもっと別のもののような気がするわ。

 あたしが困った顔をしていると、マリー様は一変して眉を下げ、掲げていた本をすごすごと下げてしまった。

「ご、ごめんなさい……ご興味なかったです、よね……」

「あ、いえ、その、そんなことは」

「ご無理なさらないで。私、恋愛小説のことになると少々度がすぎてしまうところがあるんです。ちょっと聞かれただけで、一晩語り尽くすまでお相手を離せなくなってしまったりしそうになったこともあったくらいで」

「ひ、一晩……」

「なのでできる限り控えているんです。小説が好きなことも、兄だけが知っています。兄は相槌を打つだけですが、私の話をちゃんと聞いてくださるとても優しい方なので、私にとって頼もしい味方なんです」

 それは、あたしにも分かる気がした。

 あたしにとってはそれがジュリーだ。

 あたしに対して物申すことが多くて、変なことばかり言うけれど、ずっとあたしの傍にいてくれる。マリー様とのことだって、ジュリーからの後押しがなければ、こうしてお話しすることもなかった。

「では、私、本を買ってきますわ」

「っお、お待ちになって、マリー様!」

 踵を返そうとしたマリー様に、あたしは慌てて呼び止めた。

 ぱっと振り返った彼女に、あたしは自分の手をぎゅっと握りしめる。

「あ、あの、あたし、その、恋愛小説のことはよく分かりませんけど、その……っ、ま、マリー様がお勧めしてくださるものならきっと、好きになれそうな気がします、わ」

「えっ」

「マリー様が教えてくださった茶葉、試飲したものはどれも美味しかったですし、その……だから、きっと、小説も……」

 緊張で震える体を叱咤し、あたしは懸命に言葉を紡ぐ。

 頑張るのよ、クリスティアーヌ! 変わるって決めたじゃない!


「その、だから、あたしにしょ、小説のことも教えーー」


 あたしの唇にそっと押し当てられたのは、ふんわりとした感触のハンカチーフ。

 それを手にしたマリー様の表情は険しかった。

「メルセンヌ様、外に不届者がいらっしゃるようです」

「えっ」

「お兄様の風の魔法が伝えてくれたんです。ことが済むまで私たちはここを出てはならないと」

「そ、そんな」

「メルセンヌ様の侍女さんの身は兄が守ってくれているそうなので、ご安心を」

 あたしを安心させるように、マリー様が微笑む。

 でも、ドアの向こうでジュリーが危険な目に遭っているのだと思うと気が気じゃない。

 と、あたしは微かにぴりっとしたものを感じた。

 これは、魔力の気配だ。マリー様やブラン様の魔力とは違う。めまいを覚える熱さ。

 これは、あたしと同じ……!



 ーー同調せよ、炎の力の主よ。一緒に何もかも燃やしちまおうぜ。



「いやぁっ!」

 ゾワッと寒気を覚えるようなその声を聞いた途端、あたしは耐えきれずにしゃがみ込んだ。

「め、メルセンヌ様?!」

 マリー様の声が遠くに聞こえる。でも、それ以上に嫌な声がぐるぐるあたしの周りを囲んでる。


 同調せよ、同調せよ、同調せよ、ドウチョウセヨ――。


 怖い。なのに怒りがこみ上げてくる。

 何故? 分からない。すべてだ。あたしに悪意を向ける、すべてにあたしは怒っている。

 許せない。あたしの炎で、全部を燃やしてやりたい……!



「――っは、早まらないで! 話せばきっとわかります!」



 怒りで埋め尽くされそうになったあたしの心に大きく響いたのは、ジュリーの声だった。

「ジュリー……?」

「メルセンヌ様!」

 ハッと気がつくと、目の前でしゃがみ込んだマリー様があたしの手を握っていた。ヘーゼル色の瞳に涙をたたえたマリー様。その手から柔らかな風が吹いて、あたしの体を温かく包んでくれている。

「マリー様……」

「大丈夫です、メルセンヌ様。きっと兄が何とかしてくれますから。だからどうか、落ち着いて」

 ぎゅう、と手に力を込め、マリー様が切々と言う。

 今、あたしは取り乱してたの? でも、それとは何か違うものがあたしの中に入り込んでいたような……。

 混乱するあたしの背後で、再びジュリーの声が聞こえた。



「てめえの事情なんか知るかボケ! 変なフラグ立てるんじゃねえよ!!!」


 ……えっ。ジュリー? そんな声、出せたの?

 お父様よりも低いわよ、声が。

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