金糸の祝福 ~the great game~
澁澤弓治
初めての不思議な目覚め
森の近く、湖をもつ村の教会はゴッシク建築だった。切り出された石のレンガはところどころ黒くなっていて、地面に近いところは緑色苔むしていた。
教会の中には蓋のない石櫃がいくつかあった。そのうちの一つを覗き込む一体の女性形の球体関節人形人形、ハンナがいた。赤茶色の髪に同じく赤茶色の瞳で、キュッと締めたコルセットと重ね履きして厚みを持たせたスカートが特徴的だった。
ベットで眠るかのように石櫃の中で赤褐色の髪の毛に紳士らしい服装で童顔の青年形の球体関節人形、シモンは目を覚ました。
シモンは自分が今いる場所が硬いく冷たいことに違和感を覚えて、辺りを見渡した。自分を見下ろすハンナを発見して、なんだこの人形はと、狭い石櫃の中で後づだろうとするも、石碑の淵にあたる。次第に冷静に今いる場所が教会の中で、目の前の人形はカゾクだと認識して、落ち着きを取り戻した。
「やっと起きたの?」
ハンナはそう言った。人形の硬いはずの唇がちょっとだけ動いてその狭い隙間からはっきりと発音した。
シモンは何もかも理解できなかったが、病人みたいに上体を起こすと、お風呂に入りすぎて、のぼせて立ちくらみがする時みたいに石櫃から出た。
石櫃の淵を掴む自分の手が球体関節人形と同じでいくつもの球体関節がついていることにさほど驚きはしなかった。むしろ、さっきまでの驚きがおかしいと認識していた。
ハンナが倒れそうな高齢者にするように手を差し出していた。シモンは自然とハンナ、妹という単語が浮かんできて、ハッとハンナの顔を見るも、くりっとした赤茶色の艶やかなガラスアイにも、ぷくっと小さい鼻も、もっちりとているけど、硬そうでチークの効いた頬も見覚えがない。見覚えがないにも関わらず、会ったことがある気はした。
疑問はいくつも湧いてるがそれを留めておけないほどに頭の中はぼやぼやとしている。自分の中に別の何かが住んでいるような気持ちの悪さもある。
白昼夢の感覚で泥をかき分けるようにゆっくり進む、そんなシモンに配慮するようにハンナはゆっくりと進む。
教会を出ると町があった。はちみつ色の石レンガの壁とスレートの屋根。たまに白い漆喰。それ以外特筆すべき点を書き出す方が困難だ。
長い通りを進む。土が剥き出しの地面の凸凹に靴底が突っかかる。完全に住宅街で景色に面白みはない。
ハンナは警戒したように左右に目をやって歩いている。
前方からポカポカ、ゴロゴロと音が近づいてきた。重たい頭をぐいっと動かして音の方向を確認する。
全身が鋼鉄でできた馬が荷台を引いていた。骨格の形をしたパーツと内部で蠢く複雑なパーツが肋骨の隙間から見える。口の隙間から水蒸気が常にゆらゆらと吐き出されている。
荷台で馬を操作するのは荒い布でできたシルクハットを被った機械だった。人っぽい形をしているけど、ずんぐりむっくりの鋼鉄製。簡単な機械で製造したようなシルエットなのに、指とか細かいところには細い鉄棒だとか、歯車が垣間見えていた。
馬車とすれ違ってしばらくすると、家に着いたらしかった。
木製の扉をハンナが開けるとキィと小さな軋み音がした。
「いつまでもボーとしてないでちゃっちゃと寝ちゃえば?」
ハンナはシモンに語りかける。
「あ」
口が重たくて思うように声が出ていない。限界まで歌ったあとに脱水になったみたいだ。
またハンナが開けてくれた部屋に入ってホテルみたいに整えられたベットに横たわる。
ベットの柔らかさに飲み込まれるように眠った。
数日もすれば、自分が球体関節人形であることも元々そうだったことだと次第にクリアにわかってきたけれど、どうにも昔の記憶が蘇らない。
ハンナは自分の妹で。私はシモン。球体関節人形。おかしいところはどこもない。おかしくないはずだからこそ、ハンナにこの違和感を言い出せなかった。
「おにぃちゃん」
ハンナの呼び声。リビングに出ると、机の上には香水の瓶が一つ。香事だ。
香事は食事みたいに席について香りを得る事だ。
本当は記憶がないんだ。たったそれだけだけど、記憶があるふりしてすでに2日ほど過ごしているから尚更切り出せない。
「今日の匂いはね、自然よ」
ハンナはどこか浮かない表情だ。
「自然ならすぐそこに森があるじゃないか」
「そう、言おう言おうと思ってたんだけど、おにぃちゃん」ハンナは一度言い淀んで顔を下に向けた。顔に陰影がくっきりと浮き出た。「おにぃちゃんが狭間の世界に居た時、こっちの世界では、皇帝が殺されてしまったの……だから、もう祝福もないし復活も無くなってしまったの。東の君主は新しい皇帝の座を狙ってるってていう噂だし……」
シモンは状況が全く読めていない。このくらい空気感の理由のその全てが。皇帝も祝福も復活も何もかも。
いっそのこと今ここで全て質問してしまおうか。ポッと思ったけれど、不安そうなハンナを見ていたらそんなこと言えないと思い直して。
「大丈夫だよ」
と、口走っていた。自分に対して言っているのかわかったもんじゃない、そう思った。
次第に夜の暗幕が垂れて、どこからともなく現れた霧に街は包まれた。月光すら地表には届かない。これから朝まで影の世界が現れるらしい。
「良い? おにぃちゃん、ぼんやりしてるから言っておくけど、夜、外に出たら獏とか影魚に記憶持ってかれるからね」
と、数日前に言われたことがなんだか懐かしい。窓の外の霧は濃く、きっと1メートルと先は見えない。小さい象みたいな鼻が霧の奥にぼんやり見える。鼻は近づいてきて、次は猪みたいなシルエットが見えてくる。獏だ。
鼻を動かして何かを嗅いでるようだ。鍵を確認する。窓はしっかり閉まっている。
カーテンを閉めて、ベットに身を投げて眠る。
目が覚めてカーテンを開けると昨夜の霧は嘘みたいに快晴だった。
復活とか祝福とか、昨夜意味を聞かなかったせいで今更聞きにくくなってしまった。すでに過ぎ去った会話を戻しにくくて、上手い切り出し方を見つけるまで街を散策でもしようかと考えた。
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