群青ペンギン

イグチユウ

第1話

 天井を眺めていたらエリッククラプトンと目が合った。俺の部屋には所狭しとロックスターのポスターが張られており、壁が限界を迎えたため天井にも何枚か飾ってある。いつもは自分の好きなものに囲まれているという心地よさがあるのだが、部屋に閉じ込められている現在においては、まるで無数の目で監視されているかのようで、気分が落ち着かない。

 俺は現在親父の怒りを買い、一週間部屋の中で謹慎の罰を受けている。今はまだ俺は高校生だが友人宅で酒盛りを行い、そのことがばれてしまったのだ。今は夏休み中で、出かける計画を幾つも立てていたというのにもう既にその多くが頓挫している。(酒盛りを行うというのも計画の一つだった。)スマートフォンは没収されているし、テレビは自分の部屋にない、パソコンもうちは一家で共有の一台しかなく謹慎の身である俺には貸し出される余地はなかった。暇つぶしといえば、何度も読んでもう飽きてしまった漫画を読むか、CDを聴くくらいしかない。

 俺は布団の上に寝転がり、何も考えずに天井を見上げていた。CDプレイヤーは今、Creamの「Crossroads」を流している。(知らない人のために言っておくと、Creamとはエリッククラプトンが在籍していたイギリスのバンドである)。エリッククラプトンは俺の最も好きなギタリストの一人で、ブルースというものに一切興味がなかった俺が興味を持つきっかけになったミュージシャンだ。この「Crossroads」は特にお気に入りの曲で、今までに数え切れないほど聴いている。

「君は若いのにいい趣味をしているじゃないか。感心だね」

 突然寝転がった俺の枕もとで全く聞いたことのない声がした。大げさでわざとらしい演技をする声の高い男性声優のような声だった。俺は驚いて起き上がった。

「しかし、部屋を見る限りジミヘンドリックスには興味がないみたいだね。とりあえずパープルヘイズから聴いてみるといい。きっと気に入るよ」

 そこにいたのは緑色のペンギンだった。体が緑色であるという点を除けば動物園などで見たことのあるペンギンそのものの姿をしていた。一体どこから現れたのかは分からないが、まるでそこにいるのは当然とばかりに堂々と立っている。

「やぁ、僕は群青ペンギン。よろしくね」 

 そう言って手(?)を彼は差し出してきた。ペンギンに握手を求められるなんて初めての経験だ。俺は胡散臭いなと思いながら、その手に目をやった。

「群青? お前は青くないじゃないか」

 俺がそう指摘すると、群青ペンギンは心外だとばかりに甲高い声で鳴いた。

「昔日本では緑のことも青と言ったのだよ。緑色の信号を「青信号」と呼ぶのはその名残さ」

 俺はどうしてペンギンごときに日本語の知識をひけらかされているのだろうか? 状況は全く意味不明なものだが、自分の中で沸き立つこの感情は間違いなく「苛立ち」と呼ぶべきものだろう。

「俺は今謹慎中なんだ。飛べもしない鳥なんかにかまっている暇はない。さっさとどっかに行ってしまえ。出ないと焼き鳥にして食ってしまうぞ」

「全く呆れたものだよ。飛べないかどうかなんて確認してないだろう? 発言には気を付けたまえ。君の年ぐらいの子供というのはもう大人に近いというのに何の責任感もないんだ」

「なんだ飛べるのか?」

「いや、飛べはしない。だってペンギンだもの」

 ――こいつ、本当に食ってやろうか。

 もし手元にスマートフォンがあったら、きっと俺はペンギンの調理方法を検索していただろう。クックパッドに掲載されていればいいが。

「しかし、私はもちろんただのペンギンではない。こうやって君と話をすることができるし、何といってもブルースを理解することができる。これは普通のペンギンではまず不可能なことだろう。エリッククラプトンやジミヘンドリックスを好むペンギンなんて世界広しといえども私しかいない。あぁ、なぜ私の手はこうなのだろう。この手ではギターを持つことすらできない」

 俺は現在今までの人生の中で最も暇を持て余しているわけだが、このペンギンの相手をしているのは非常に苦痛だった。いちいち口にすることが演技じみていて鬱陶しく、何より鳥ごときにバカにされているようで非常に不快だった。なんのためにこいつがここに現れたのかは知らないが、さっさと要件を済まさせて帰ってもらうことにしよう。

「で、そのブルースを理解することのできる賢い世界に一匹しかいない群青ペンギン様がこの俺ごときに一体何の用でございましょうか?」

「おぉ、そうだった。危うく自分の仕事を忘れてしまうところだったよ。私は君のためにここに来たんだ。君はきっと私に感謝し、涙を流しながら言うでしょう。あぁ、群青ペンギン様! あなたはなんて――」

「ペンギン様にしてもらうことなんて一つとしてありませんよ。さっさと帰れ」

 またうざい独演が始まろうとしていたのでそう遮った。頭痛薬を常備していないことをこんなに悔いる日が来るとは夢にも思わなかった。

「全くせっかちだなぁ。それじゃぁ、簡潔に言おう。私は君の願いを叶えに来た」

「は?」

「私はただのペンギンではない。どんな願いでもかなえることが出来るのだよ」

「じゃぁ、飛んでみろ」

「そいつは無理な相談だ。私はただのペンギンではないが、ペンギンとしてのアイデンティティがある。君は無責任なことを言う奴だなぁ。もっと自分の役に立つことを言いたまえよ」

 その口ぶりに苛立ったが、物は試しにと別の願いを口にした。

「それじゃぁ、とりあえずこの部屋から出してみろよ。親父が外側から鍵をかけているんだ」

「それぐらいならお安い御用だよ」

 群青ペンギンはドアの方へとぺたぺたと歩き、扉を軽く二回叩いた。それによって何か目に見えるような変化が起こったわけではないが、群青ペンギンはそうしただけで俺の方に顔を向けてきた。どうやら開けてみろということらしい。

 俺は疑いながらもドアノブを回した。するとまるで初めから何もなかったかのように、ドアノブは回りいともたやすく扉は開いてしまった。確かにこの扉は父親の手によってカギがかけられていたはずだ。

「言っただろう。どんな願いでも叶えられると」

「飛べないくせに」

 威張ったように喋る群青ペンギンに俺はそう毒づいた。確かに、こいつは不思議な力を持っているようだが、どうしてもこのむかつくペンギンには賞賛の言葉を送るのはためらわれる。俺が廊下に出て台所へ向かうとその後ろから群青ペンギンもペタペタとついてきた。

 現在は午前二時ぐらい父親はサラリーマンをしているので、この時間帯には当然家の中にはいない。しかし、専業主婦でいつも家にいるはずの母親の気配も家の中からはしなかった。母親はパートもしていないし、この時間は大体韓国のテレビドラマを見ている時間帯なので、本来必ず家にいる。しかもどこかに出かけて行ったなら、おそらく俺も気づいたはずだ。まるで最初から誰もいなかったかのように家からは人の気配が消えていた。聞こえてくるのは俺とペンギンの足音、そして俺の部屋からかすかに聞こえてくるCreamの曲だけだ。

「ぱーぷるへーいず、おーるいんまいぶれいん~」

 群青ペンギンは気分がいいのか、俺の後ろでいきなり歌いだした。へたくそなカタカナ英語ではあるが、ジミヘンドリックスの「パープルヘイズ」だ。ジミヘンはあまり聞いたことがないのだが、有名な曲なので流石に知っている。

 台所にもやはり母親の姿はなかった。俺が知らなかっただけで、今日は何か用事でもあったのだろうか。しかし、何か用事があって出かけるのなら教えてくれるはずだ。部屋に閉じ込められた状態では自分の力でトイレにも行くことが出来ない。思考を巡らそうにも正解を導くための情報が一切ない。俺は考えるのをやめ、冷蔵庫を開けた。冷蔵庫の中には大したものは入っておらず、すっからかんだ。仕方なく俺は飲みかけのペットボトルのコーラを取り出した。

「ところで君は一体どうしてあの部屋に閉じ込められていたんだい?」

 群青ペンギンは俺にそう尋ねた。目を離していたので気づかなかったが、群青ペンギンはいつの間にかいつも食事の時に父親が座っている椅子に座っていた。あの短い脚で一体どうやって座ったのだろう。

「友達の家で酒盛りをしていたのがどうしてか父親にばれたんだよ。家に帰ってきたら激怒されて、お前はしばらく部屋から出るんじゃないって言われたんだよ。全くまだ夏休みの計画一つ目だっていうのに……。他の計画もダメになっちまった」

「他には一体何をするつもりだったんだい?」

「他か? まぁ、結構あるが――」

 俺は時間を持て余していたからか、群青ペンギンに俺が計画していた内容を伝えた。

 俺が計画していたのは――。

・酒盛りをする

・海に行く

・ナンパをする

・彼女を作る

・童貞を捨てる

・ロックフェスに行く

・自転車でどこまでいけるか試す

・バンドを組む(ギター、ベース、ドラムその他の楽器一切経験がない)

 他にもいくつかあったような気もするが。すぐに思い出したのはこの8個である。こうやった改めて思い出して羅列してみるとバカバカしいものも結構ある。

「なんというか、高校生が考えそうなことのオンパレードといった感じなものばかりだね」

「しょうがねぇだろ、実際に俺は現役の男子高校生なんだからよ」

 しかし、貴重な夏休みの一週間はこうして無駄に消費されているのである。実際今週にロックフェスに行く予定でチケットも買っていたのだが、謹慎のせいで無駄になってしまった。

「高校生ってのはいい時代だ。大人に大分近いけれど、責任っていうものを意識しなくていい。高校生にもなれば体格は大人と大して変わらないし、考え方ももうすでに子供のそれではなくなってくる。責任というのは大人と子供を隔てる最も大きな壁なんだよ。責任がるっていうのは本当に面倒なことなんだ」

「ペンギンが何を語ってんだ」

「ペンギンとはいえ私は大人だからね。――ところで次は何を叶えようか?」

 そう言われ俺は考えた。とりあえずこいつに願いを叶える力があるということは分かった。ならば、とりあえずやりたいことをすればいいのではないか。この謹慎中に失ったことを、とりあえずやってしまおう。酒盛りをして謹慎になったので、この間の酒盛りにはケチがついてしまい悪い思い出だ。なので、まずはそれを仕切り直すことにした。

「それじゃあ、酒が飲みたいな。色んな種類の酒をたーんとな」

「……」

 群青ペンギンはなぜか沈黙した。しかし、人間である俺にはペンギンの表情など読めるわけがなく今こいつが何を考えているのかが分からない。しかも全く動かないのでまるで機能が停止したロボットのようだ。

「おい、どうしたんだ?」

「――いや、なんでもないよ。それじゃぁその願いを叶えてあげよう」

 群青ペンギンは椅子から降りると冷蔵庫の方へ歩いてきて、先ほどドアにしたのと同じように冷蔵庫を軽く二回叩いた。開いてみると先ほどまで大したものが入っていなかった冷蔵庫の中が様々なお酒の瓶や缶でいっぱいになっていた。

 俺はその中からビールの缶を一本取りだした。父親がよく飲んでいる銘柄のビールで、親しみがあるものだ。缶はキンキンに冷えていて、プルタブを弾くと心地のいい音がした。少し口に含むと、口の中に苦みと絡みと麦の味が広がる。

 正直言ってあまりおいしいとは思えなかった。どうして大人がこれをあんなに頻繁に飲みたいと思うのかが理解しがたい。俺は半分も飲まずに缶を机の上に置いた。味は好きではないが頭の中が揺れたり胃に違和感を覚えたりすることもないので、体がアルコールを拒絶しているというわけではないようだ。

 ――そういえば、この間の酒盛りではどんな酒を飲んだんだったか?

 考えてみるとあまりその時のことは覚えていなかった。父親に怒られ謹慎する羽目になったという嫌な思い出がくっついたので、忘れてしまったのだろうか? 俺はそう思いながら、他にどんな酒があるのかと思い冷蔵庫の中を見回した。

 ワイン、日本酒、焼酎、カクテル、チューハイと基本的なものはしっかりと揃っていて、何という種類の酒なのかよく分からないものもたくさんある。俺はどれがおいしいのか分からないのでその中から適当に一本の瓶を手に取った。俺が取り出したそれはウオッカだった。ワインはブドウ、焼酎はイモや米から作られているということは知っている。しかしウオッカが何から作られているのかは全く知らない。知っていることといえば、ロシアでよく飲まれている酒であるということだけだ。

 俺は食器棚からいつも父親が酒を飲むときに使用しているグラスを持ってきて、とりあえず注いでみた。透明で、何の色もついておらず、見た目は水と何ら変わりない。ウオッカは俺に対して自分がどういう酒であるのかという情報を一切与えてくれない。知りたければ飲んでみろと挑発してきている。

 俺は覚悟を決めてグラスを持ち、その得体のしれない液体を流し込んだ。

「――クァッ!?」

 まるで喉が焼けるかのような感覚がして、飲み込んだはずの酒のほとんどを吐き出してしまった。口から喉にかけてが異常に熱くなっている。そして飲んでみて分かったが、見た目そのままに味はほとんどない。まるで水とアルコールをそのまま混ぜただけのようだ。一体こんなものを誰が好んで飲むのだろうか。

 もう二度とこの酒を口にすることはないだろう。俺は流し台にグラスに残ったウオッカを捨てようと、グラスを手に移動しようとしたが、その瞬間足がふらついた。グラスは落ち、床にぶつかり砕け散る。しかし、その砕ける音がなぜか遠くから聞こえてくるのだ。体が自分の思い通りには動かず、ふらつきながら机や冷蔵庫にぶつかり最終的には床に倒れこんでしまった。立ち上がろうとするが、体はそんな俺の意思と反して力が入らない。目に映る景色はぐるぐると回り、頭はまるでおもりを付けられているかのように重い。

「あ~ぁ、また……何しているんだか」

 ぐるぐる回る景色の中に緑色が紛れ込んできた。俺の目の前には群青ペンギンがいるらしい。群青ペンギンの呆れた声だけが朦朧とする意識の中、いやにはっきりと聞こえてくる。

「子供っていうのは本当に無責任だね。その後のことなんて一切考えていないよ」

 その言葉を聴いたのを最後に俺は意識を失った。


 その後目が覚めたのは病室のベッドの上だった。医者と両親の話によると、俺は友達の家で酒を飲み、急性アルコール中毒で病院に運ばれたらしい。俺はその後、父親からこっぴどく叱られ一か月間の外出禁止を命じられた。これで夏休みの計画はほとんど失われてしまった。

 酒はもう飲まない。俺は心にそう誓った。

 とりあえず、退院したらジミヘンドリックスのCDでも買いに行くことにしよう。

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