第5話「悲しむ者の存在」
午前の授業が終わり、休み時間になるとみなが机を合わせて弁当を食べ始める。
正生も再子と下野、上野の机を合わせて昼食を取る。
食べ終わってしばらく談笑していたが、下野は何か気になることがあるのか正生と再子をじっと見つめた。
「なあ。お前らって、サイコ取締官なんだよな」
「んあ? おう」
「けど、他の奴らと違って全然怪我してないよな」
「あー、まあそうかもな」
サイコ取締機関の取締官は、年齢問わず筆記試験と実戦試験を合格した者であれば誰でもなることができる。
しかしそもそも、その実戦試験がかなり難しいため高校生で取締官になれる者は多くない。
そのうえ、バグと戦う特務零課ともなれば学生など珍しい。
この高校にも何人か取締官がいるが、正生は興味がないのか何組の誰かまでは把握していない。
特務零課以外の取締官は、サイコ・ブレイクを起こして狂暴化した、サイコ・ブレイカーの鎮静化が主な仕事である。
バグのようなバケモノと戦うより危険度は低いものの、任務から帰ってきた者たちは大なり小なり怪我をしていることが多い。
そういった者が学校でも見受けられるが、彼らより危険度の高い場所に放り込まれているはずの正生と再子はほぼ無傷である。
上野と下野は、そんな二人が不思議でならなかった。
上野は不安そうに下へ視線を落とす。
「二人とも怪我隠したり、してないよね。学校にいる取締官の生徒、みんな怪我してるから……この間さ、三年生の取締官が任務に出て意識不明の状態で病院に運ばれたみたいなんだけど。その数日後に、その人の名前が生徒名簿から消えた、らしくて……」
上野は膝の上でグッと拳を握りしめ、スカートにしわが寄る。
彼女の話を聞いて、再子は眉を下げた。
二週間前、学生の取締官が一人亡くなっている。
不運にもサイコ・ブレイカーとバグが同時発生した事件であり、正生たちもバグ討伐の目的で近くにいた。
(あれか……バグが発生したのは、ちょうどその取締官がサイコ・ブレイカーを取り押さえていたすぐそばだった。バグに四方を囲まれ、取締官は鎮静化途中のサイコ・ブレイカーに攻撃されたらしいが)
その直後に正生たちが現場に到着してサイコ・ブレイカーもバグも治め、すぐに取締官を病院に送っていた。
(応急処置はしたが助からなかったのか……まあ、さすがに俺も急にバグに囲まれたら同じように死ぬかもしれないが)
不安げな様子の上野を見て、正生は小さくため息をつき頭を掻いた。
「心配すんな、俺たちゃ死にはしねーよ。あんま知られてないが、俺たちは最強のタッグなんだ」
正生は再子の隣に来て彼女の肩に手を回し、ニッと笑って見せた。
再子は少し驚くが、ここは上野を安心させるために微笑んでおく。
「なら、いいけど……」
「大丈夫だよ、凉ちゃん。私たちちゃんと分かってるから。私たちが大怪我したり死んじゃったら、凉ちゃんと下野君が大泣きしちゃうって」
上野も下野もそれを聞いて目を見開く。数秒して、ふっと笑った。
「分かってるならヨロシイ!」
上野の不安げな表情が明るい笑顔に塗り替えられる。
彼女が正生たちと楽しげに話す横で、下野は手元に電子ウインドウを開く。
彼の手の平の中で隠れて他の人には見えないが、ウインドウ上に一件のメールが表示されていた。
〈サイコ取締機関入所試験早期・実戦試験――不合格〉
下野は眉を寄せ奥歯を噛み締め、強く拳を握りしめて電子ウインドウを破壊した。
授業が全て終わり、正生は再子と共に帰路につく。
まだ夕焼けには早い青の空を眺めて、再子は昼間のことを思い返した。
「あまり、他人と深く関わるべきじゃないかもしれないね……私たちの命は私たちしだいだけど、あの子は優しすぎる。私たちの痛みまで、あの子の痛みになっちゃう」
上野の辛そうな様子が脳裏から離れてくれず、再子は眉を下げた。
取締官になった以上、二人ともそれなりの覚悟はできている。
しかし自分は良くても周囲の人間は、自分という存在が消滅することへの覚悟などできていない。
「そうかもしれないが、たぶん上野たちと関わることは避けられなかったと思うぞ」
四人が出会ったのは、中学校の入学式だった。
ちょうど入学式の日、学校に複数のバグが発生した。
正生と再子は当時すでに取締官として機関に所属していたため、二人は応援を待ちながらバグと戦うこととなる。
下野と上野がバグに襲われているのを二人が助けたのだがそれ以降、下野と上野は正生と再子を命の恩人として慕ってくるようになった。
しかし助けたとはいえ当時は正生も再子も強いわけではなかったため、二人ともほぼほぼ死にかけていた。
そこで上野と下野は、二人を守りたいと願い、正生たちの隣に立つことを目指すようになった。
『俺は、二人に傷ついてほしくない。お前らが無理をするっていうなら、俺が隣に立って攻撃を防いでやる』
『私は、あなた達を守りたい。あなた達がそうしてくれたように。絶対、二人の支えになるから』
正生は今でも、そのときの事を覚えている。
下野と上野は、強い意志と覚悟を持った目をしていた。
仮に正生たちが関わりを持たないようにと彼らを突き放したとしても、きっと上野と下野は諦めずに追いかけてきていただろう。
出会った以上、二人との縁の糸は固く結ばれていたのである。
結局二人とも実戦試験がうまくいかず機関に入所することはできなかったが、今でも何かあればできる限りのことをしようと前のめりになっている。
正生と再子は親にしろ友にしろ、自分の死を悲しむものがいるということは分かっているつもりだった。
しかしバグとの戦いに絶対的な生の保証はない。
「皆を悲しませないためにも、もっと強くならなきゃな」
「……うん」
不安とプレッシャーを押し込むように、二人ともグッと拳を握った。
翌朝、正生が再子と登校していると手元に電子ウインドウが出て業務通知が流れてきた。
二人とも立ち止まり、ウインドウを拡大して通知内容を確認する。
「特務零課の戦力強化?」
正生は内容を見て眉を寄せた。
通知には、正生たちの所属する特務零課に何人か入ってくるという旨が書かれていた。
先日、狐打喜に戦力不足を指摘されたための対応だろう。
しかし、現在の零課以外の取締官でバグと戦える実力を持つ者は少ない。
「この間、実戦試験があって選考も終わってるけど、新人を急に零課に回すとは思えないし。誰だろうね」
特務零課は、経験を積み実力のある者だけが入隊することを許される。
零課に入るには少なくとも五年はかかると言われ、新人がダイレクトに配属されることは滅多にない。
「どんな奴にしろ、境崎さんが戦力強化と銘うって任命したんだ、きっと相当強いぞ」
(他の取締官が何人か左遷されるかもしれねえな)
これを機に人員整理が行われる可能性が大きい。
正生は自分が主戦力であると自覚しているが、もろもろの評判の悪さもある。
より良い人材が入ってくれば、異動の対象になる可能性は少なくはない。
正生は苦い顔をしてウインドウを閉じ、重くなった足で学校へ向かった。
いつも通りの穏やかな学校生活が流れていく。
取締官が常に警戒態勢を怠ってはならないが、穏やか過ぎて正生は授業中ほぼ寝かかっていた。
しかし突如、地響きがして運動場の方で大きな破壊音が鳴った。
「!!」
正生と再子はすぐさま椅子から立ち上がる。
腕のところで電子ウインドウが起動し、バグ発生の通知が流れた。
正生は電子ウインドウが出現した瞬間、胸ポケットからヴィークルのペンを出して鉄棒に変形させながら廊下に出る。
窓を開け、窓枠に手をついて四階から外に飛び出した。
「ちょ、正生!」
正生は外に飛び出て落下するが、瞬時にヴィークルを起動させて鉄棒に乗りバグのいる運動場へ向かった。
再子もイヤーカフを外し、急いで外に出てヴィークルで正生の後を追った。
運動場には土煙が舞い、悲鳴が混ざって聞こえてくる。
煙の中には白い巨体のバグがいて、地面に向かって拳を叩きつけていた。
体育の授業中だった生徒たちは一斉に逃げ始めるが、一人腰が砕けて動けなくなっている男子がいた。
バグがそちらに向かって拳を振り上げ、大きな影が男子を覆う。
恐怖で体が震え、男子の目が見開かれた。
「う、うああああ!! あっ?」
男子は身構えて叫び声をあげるが、横から正生が地面スレスレに突進してきた。
彼は男子の腹を持ち上げ、抱えて勢いそのままに横に回避する。
後方でバグが地面に拳を叩きつけ、再び大きな破壊音が轟き土煙が大きく広がる。
煙が正生たちのところまで来るが、視界が悪いなか攻撃の気配がした。
「おっと」
「うぼぉえ!?」
正生がすぐに高速で上昇し、俵抱えされていた男子は急な上昇に驚いて汚い声をもらす。
正生が上昇した直後、元居た場所をバグの巨拳が薙いで土煙が消し払われた。
「正生!」
「お、再子。ちょうどいいや」
再子が追い付いてくるが、まだ距離が離れている状況で正生は彼女に向かって男子生徒を放り投げた。
「ぎゃあ!?」
「おわっ」
再子は男子をお姫様抱っこで難なく受け止めるが、男子は空中で投げられて涙目になっていた。
「そいつ安全な場所に運んどいてくれ。俺はこいつを倒しとくから!」
「え? あ、ちょっと一人じゃ危ないって!」
正生が一人でバグに突進していき、再子は大きくため息をついた。
ひとまず十分に離れた場所で降下し男子を下ろす。
再子は再びバグを見やった。
このバグの拳は大きく、攻撃範囲が広い。
おそらく攻撃の威力も高く、地面の割裂した破片や瓦礫が周囲の校舎にも当たる可能性がある。
運動場近くの校舎には生徒が何人かいて、再子は先にそちらに避難勧告をしに行った。
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