第4話「疑いの芽」
廊下を歩きながら、再子は横にいる正生の顔をうかがった。
「……なんか、怒ってる?」
「別に怒ってはいねーよ。ただちょっと、やり場のない不満が溜まってるだけだ」
「それって」
「俺は自分で自分守れるから別に盾とか要らねえ。機械と人間の種族がどうとか心底どうでもいいし、なんなら一人でも十分だ。けどお前がいないと色々破壊しすぎて境崎さんに怒られるし……なんか仕事も楽しくない」
「え……あははっ!」
正生が顔を背けてこちらを見ようとしないもので、再子は思わず声を出して笑ってしまった。
「なに笑ってんだよ」
「いやー? 正生ってほんと、素直じゃないなあって」
「うるせ」
でも、と再子は前方に走って立ち止まり、振り返る。
「ありがとう正生。私、あなたになら安心して背中預けられるよ」
ニッと笑う彼女の青い瞳はキラキラと白い光が浮いていた。
太陽の光を受けて、その青色はサファイアの如く美しく輝く。
正生は驚いて目を見開いた。
少し頰が熱くなって慌てて手で顔を隠す。
「お前、外装オプション入れすぎ」
「え。いやこれ正生がカスタマイズしたんでしょ。私を通して過去の自分のセンスにケチつけないでよ。そういう正生こそ目死んでるし眼球オプションつけてあげる。課金しな課金」
「うるせー俺は目死んでていいんだよ」
正生は再子を追い越して建物の外へ出る。
二人が外に出ると、朝にあった人の群れは無くなって静かな街が広がっていた。
正生は胸ポケットに入れていたボールペンの一つを出して、小さなボタンを押す。
するとペンが正生の身長より長い鉄の棒に変形した。前に出して手を離せば、鉄棒は宙に浮遊する。
これは「コラプシブル・ヴィークル」と呼ばれる、飛行型スクーターである。
サイエネルギーを利用して変形・浮上する機器で、高質なものは値段が張るが使い勝手のいい移動手段として広く普及している。
正生は鉄棒の端にある摘みを取り外し、手首に持っていく。
摘みが大きな手錠のようなリングに変形して両手首に巻き付いた。
鉄棒に手をつけ、手に力を入れて飛び乗る。
棒は彼の体重を受けて一度沈み、鉄棒が緑色に光った。
棒から紐のようなものが飛び出て足に絡みつき固定する。
正生に続いて、再子は耳にかけていた銀色のイヤーカフを取る。
イヤーカフの小さなボタンを押せば、たちまち鉄の棒に変形した。
鉄棒を浮かせて両端の摘みを取り、手首のところでリングに変形させて装着し棒に乗る。
棒が緑に発光して紐状のものが足を固定させた。
二人が少し屈んで手首のリングを棒に近づけるとリングも緑に光って、二人の乗る鉄棒がゆっくり上昇する。
信号機より高い場所まで上がり、二人が手を前に払えば鉄棒が上昇を止めて前進し始めた。
高層ビル群の間を、鉄棒に乗りながら飛び進む。
ガラス張りのビル群には、外からだけに見えるように巨大な広告がいくつも映されていた。
広告だけでなくテレビの映像も流されており、至る所で広告とニュースやドラマ、アニメの音が混ざる。
正生は不快そうに眉を寄せて片耳を指で塞いだ。
「ったく、公害だろこんなん」
「まあ仕方ないよね。今はどこも壁面広告と空中広告の収入で食べてるトコが多いから」
サイエネルギーを利用した空中投影技術が普及すると、広告の掲示媒体はそちらへ流れていった。
街を見下ろせば、路地の入り口の端や街灯の下、信号機の横、果ては住宅のベランダや河原など空いたスペースにいくつも広告が並んでいる。
場所によってはスペースに入る限りベタベタと広告で埋め尽くされている所もあった。
ガラス窓などに映す壁面広告であれば、その建物の所有者が広告の掲載許可を出して広告を募集する。
空中広告であれば、その空間の所有者、土地の所有者が許可を出し広告を募る。
アパートやマンションでも大家が許可して、借用者が外のベランダやガラス窓に広告を募集することもあったりする。
空いたスペースに一つだけ広告を置くか、全面を埋めるかは空間の所有者次第だった。
街中で広告がびっしり詰まって空間が埋められている場所があると、土地の所有者の性格が若干もれて見えてくる。
広告掲載時には自治体に届け出をしなくてはならず、音量もその時に指定される。
企業所有の壁面・空間の広告は自治体の音量規制が緩い。一般人の募集する空間は最低音量、もしくは最低音量プラス一にするよう規制されていた。
「チッ。ヘタに音量あげても企業への心象悪くするだけだぞオイ」
「でもほら、代わりに動画サイトとかアプリで広告が流れなくなったから、そこは良い面だよね」
「それはそうだけど……ぬわ!?」
突然、目の前の空中にポップアップ画面が現れて、正生は驚きガクッと降下した。
慌てて軌道を直して元の高さまで戻る。
ポップアップ画面は何やらネット記事のようで、正生の手元あたりでくっついていた。
「大丈夫? 割り込みポップアップが出るなんて……ネットサーフィンでもしてたの?」
「あー、まあな。ちょっと気になることあって」
正生は目をそらして頭を掻いた。
携帯端末でネットサーフィンをしてページを飛びまくっていると、時たま外で急に割り込みポップアップ広告や記事が出てくることがある。
大抵そういう時は調べた物で長時間、閲覧していたページに関連するもの出てくる。
再子は彼の手元の記事を見た。
〈P$!・JAPAN NEWS、ログサイト。21t5t年十二月九日、東京の街の一角で莫大なサイエネルギーの暴発を確認。三十年たった現在でも原因は不明〉
〈彩景新聞アーカイブ。三十年前の$!K0-βЯE@K事件の発生者は行方不明。少女が一名死亡、何らかの事件に巻き込まれたとみられるが未だ身元不明のまま――〉
「あ」
再子がタイトルを黙読していると、正生が画面を手で横に流して消してしまった。
「この事件のこと何か調べてたの? 三十年前って言えば、ちょうどバグが出てくるようになった時期だけど」
「機関の中にゃ、バグ発生の原因はこの事件の犯人だとみてる奴も多いからな」
バグが発生し始めたのは、三十年前のこの事件のしばらく後だった。
それまでも人がサイコを飲むような事例はあったが、現在のようなバグという化け物になることはなかったのである。
そして、サイコを飲めば人間にも良い効果が出るなどという眉唾物の噂が出始めたのもこの時期。
バグの発生は人体の自然な副反応などではなく、何者かが何らかの計略のもと作為的にサイコを暴走させているのではないかという説もあった。
当然、疑いの目はサイクロプス社へ向いた。
サイクロプス社はサイエネルギー研究の先駆者である。
バグを起こす要因であるサイコは、サイエネルギーを用いたもの。
三十年前にサイエネルギーが暴発した事件も、サイクロプス社が何かよからぬ実験をしているのではないかという疑念の声が大きかった。
だがしかし、警察やサイコ取締機関が調査に入っても何も出なかったという。
今ではバグの原因は人体の副作用ということで落ち着いている。しかし一部ではバグの発生原因の論争が、多種族を攻撃するための一つの道具となっていた。
やれ機械種による人間機械化計画だとか、機械種が変な電波を送って人間を洗脳して化け物にしただとか。
やれ人間種が機械種を断罪するために、同族に人体実験をして機械化させて濡れ衣を着せようとしているだとか。
この手の話題は事を欠かない。
「正生も、サイクロプス社が怪しいと思ってるの?」
「どうだろうな。まあ確かにサイクロプス社はサイエネルギーを知り尽くしてるが、バグに関しては機関の方が詳しいだろ。もし仮に、世間の言う通りバグが作為的に作られているものだったとしたら……その犯人は案外、機関の中にいたりしてな」
バグは、機関にとって必ずしも都合の悪い存在とは言いきれない。
無作為に攻撃してくるバグという脅威存在は、人間種と機械種の共通した敵となり得る。
バグ討伐という名目のもと、公式に人間種と機械種の監視関係を築き上げることができる。
間接的に人間も機械も制御することができてしまう。
その権限の主軸を担うのは、サイコ取締機関でである。
「正生、それって……」
再子の脳内に境崎の姿が浮かぶ。
サイコ取締機関のトップは彼であるが、三十年前の機関の管理者は彼の父親である。
「あくまで、もしもの話だ。普通に、バグはただの人間の副反応ってだけかもしれねえし。確定してないことをヤイヤイいう気はねーさ」
話している間に学校につくが、校門は閉められている。
二人は校門の内側に降下してヴィークルからおりた。二人ともヴィークルをペンとイヤーカフへ戻す。
静かな空間に、二限目の終わりを告げるチャイムが鳴り響いた。
生徒たちが教室から出てきて静けさが押し消される。
正生たちはそれに混ざって昇降口で靴を履き替えた。
「細川君、再子ちゃん。おはよー」
「おー」
「あ、おはよう」
すれ違う生徒たちから挨拶をされて全てに返事をしながら教室へ向かう。
教室につくと、正生の席の前で二人の男女がそれぞれ椅子に反対向きで跨って座っていた。
男子の方は
二人は正生と再子を見て笑顔を浮かべた。
「お、再子に細川君。おはよー」
「やっときたか。重役登校お疲れ様っす、正生さーん」
「うるせー。遅れたくて遅れてるわけじゃねーっての」
下野は意地の悪い笑みを浮かべていじってくるが、いつものことなのか正生は悪態をつきつつも嫌がらずに流して椅子に座った。
機関の取締官、特に特務零課は学業より仕事を優先させられる。
朝の会議に召集されれば、こうして登校が遅れてしまうのが常だった。
ただ機関と学校が連携を取っており、成績に影響の出ないよう手厚いサポートが設けられている。
再子も正生の隣の席に座り、二人とも空中に手をかざして電子ウインドウを起動させる。
右端のタブを押すと、今日あった授業の動画が載っていた。
全ての授業は自動録画されており、いつでも見られるようになっている。
再生中は授業内容の概要や要点が画面に抽出される。
授業全体を確認することもできるが、時間がないときは抽出機能を活用する者も多い。
「一限の山下の授業めちゃくちゃ脱線してたし、なに話してるか分かるようにタイムマークつけといた。共有しとくわ」
「私も二限の川上先生の授業、メモつけといたから送っとく」
「おー、さんきゅ」
「ありがとう下野君、凉ちゃん」
下野と上野は電子ウインドウを出して自分のデータを二人に送信する。
正生たちが受け取ったデータを開くと、授業動画の画面下のタイムバーにピンがいくつか差してあった。
山下先生の授業動画のピンは右から順に、〈前回の復習〉〈山下が週末食った旨い鶏白湯の話〉〈実習・VRを用いた小説の没入体験『羅生門』〉〈VRで登場人物の視点から見た感想談議〉〈文豪の裏話〉〈山下の専門オタク話〉〈実習・AIを使った物語の作成〉〈山下の心理テスト〉〈忘れてたのに最後の十五分で山下が思い出しやがった今日の漢字テスト〉と名前が付けられていた。
再子は最後のピンの名前を見て苦笑いする。
「何か、最後めちゃくちゃ私怨こもってるね」
「相変わらず山下のやつ真面目に授業してるのかしてないのか分からんな」
二人とも授業はあとで確認することにしてウインドウを閉じる。
しばらくしない内に三限目の予鈴が鳴り、教室に生徒たちが戻ってくる。
いつものように授業が始まるが、正生は気の抜けた様子で窓の外を眺めて授業を聞き流していた。
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