第2話「この世界のバグ」

 二人が家に帰ると、彼らの親も既に帰宅していた。正確に言うなら正生の両親であるが。


 再子は製造された瞬間に機械進化を遂げて自我を手に入れた機体である。

 正生とはそのころからの幼馴染であり、今は彼の家に住まわせてもらっていた。


 ちょうど夕食を作り終えたところのようで、正生たちも手を洗って食卓につき四人で夕食を取る。

 居間のテレビにはニュースが流れていて、先ほど正生たちが戦っていた工場群が映る。

 破壊されている建物を見て母親は「あらあ」と苦笑いをこぼした。


「相変わらず派手にやってるらしいな」


 父親はニュースを見て少し呆れた顔をする。

 ニュースに映る壊れた建物の残骸が、機械の化け物ののせいではなく正生がやったことだと両親は二人とも分かっているらしい。


「父さんも若い頃は結構、凄腕の取締官だったが。現役時代にお前みたいな部下がいたら頭痛と胃痛で倒れそうだな」

「これでも抑えてる方なんだけどなあ」


 どこがだよ、と両親も再子も内心でツッコんで苦笑を浮かべた。

 テレビからは飽きもせずバグのニュースが流れている。その画面を目に映して、父親の表情が暗くなる。


「お前たちには、あまり取締官になってほしくはなかったんだがな」


 それを聞いて正生も再子も黙り込む。しかし二人ともすぐに、フッと笑顔を見せた。


「別に俺も再子も、皆を守りたくてこの仕事を引き受けてんだ。親父たちはただ、息子と娘分は皆を救ってんだって胸張って周りに自慢しときゃいーんだよ」

「そうだよ。私たちがたくさん稼いで二人に楽させてあげるんだから」


 両親は二人の言葉を聞いて驚き目を見開く。

 口元をほころばせ、安心したような笑みを浮かべた。


「現状じゃあ、正生は皆を救う英雄っつーか、街を破壊してる怪獣だけどな」


 父親は笑いながら、心の奥底で消えない申し訳なさを食事と一緒に喉奥へと押し込んだ。


 翌日、正生と再子は都心にある巨大な白い建物に来ていた。

 平日の朝ということもあって、人々が忙しなく街を行き交う。

 巨大なビルには〈サイコ取締機関本部庁舎〉と書かれており、中に入れば広大なエントランスが広がっていた。


 最上階の会議室まで来ると、中では十数人が円卓を囲んでいた。

 正生と再子は、円卓の前半分の開いた席に腰を下ろす。


 円卓前方の中央に座す、黒髪の男が口を開いた。


「さて、皆お楽しみの定例報告だが、相変わらず毎日街を壊して回っている奴がいるようだな」


 男は頬杖をつき、片手に持った書類に目を向ける。

 その声は明るいが、顔が引きつっていて目が笑っていない。


 円卓に座る面々の中でも若い二十八歳ながら、その場を仕切っていた。


 隣には秘書の女性が立っている。

 水色のショートヘアはかなり短いが、横髪だけ白く胸の下まで伸びている。

 感情のない水色の目を隣の彼に向けていた。


 円卓に座っている者たちは呆れた表情をしていて唯一、正生だけは平然としている。


「まったく困ったもんですね」

「お前のことだよ」


 男にツッコまれて正生は「え」と短く驚きの意を返した。

 顔は全く驚いた様子がなく、それが余計に癪に触って男の顔に青筋が浮かぶ。


「あんまシワ増えると老後が大変ですよ、境崎さん」

「なら老後のためにもお前を始末しておかなかねばならんな」


 彼は正生の上司なのだが、正生は誰にでもこんな感じで失礼な態度を取っていた。


 境崎真さかざきまこと、【サイコ取締機関】と呼ばれる組織の管理者である。

 サイコ取締機関は$!K0関連の治安維持に務めており、警察とは別の組織になっている。


 設立当初は、サイコ・ブレイクで狂暴化した者達を鎮圧・確保するために設けられた。


 しかし数十年前より、とある物体を処理する仕事が主軸となっている。


「それにしても、二人でバグを十八体も処理したのは凄いな。起動も大変だっただろ」

「いえ、ほとんど細川さんが片付けていましたから」

「その細川が被害を拡大させるから大変なんだろ。そこのバカを抑えながらバグと戦えるのは、ここじゃお前くらいだ。報酬は弾むから辞めないでくれよ」


 再子がいないと彼を制御できなくなる、と言っているようなもので、再子は苦笑いした。


 「バグ」とは正生たちが昨日、工場で戦っていた機械質の化け物のことである。

 あれらは見境なく人々を襲い食らい破壊の限りを尽くす。人間を食糧に生活をしているわけでもないため、腹を満たせば帰って行くというようなこともない。


 そのバグの討伐が、今のサイコ取締機関の主な仕事だった。


 三十年前にバグが発生するようになって以降、機関は専門の部署を複数設け、バグ殲滅の精鋭部隊を作った。


 正生たちはその部署の一つ、「サイコ取締機関特務零課」の取締官である。

 正生は零課でもトップの討伐数を誇るが、毎回のごとく任務の際に周りを破壊するので境崎にとっては悩みの種になっていた。


「十八体くらい少ない方だろ。それより他の奴らが少なすぎる」


 正生のいう通り、他の取締官のサイコ討伐数はよくて二体程度である。


 一体すら仕留めきれない者もいて、戦力が潤っているとは言いにくい状況だった。


「他の奴が辛そうなら、俺がそいつらの分まで全部殺る。そんくらいしねーと一般人の死者が増えるぞ」


 正生の発言に、周りの人々は少し不快の色を見せた。

 窓は開いていないのに、冷たい風が頬を撫ぜるように空気が張り詰める。


「お前は相変わらずだな」


 境崎の少し呆れたような、けれどどこか棘のある声が返ってくる。

 笑みはなく、かといって怒りのようなものも見えず、黒の瞳が正生を鋭く見つめていた。


 しかし正生は気圧されることなく、死んだ目を境崎に向ける。


「アンタらも相変わらず、のんきなことだな」

「みながお前のようにバグを簡単に滅殺できると思うなよ」


 煽るような彼の行動に境崎は少し顔に険を浮かべてたしなめた。


 バグはサイコ・ブレイクの次の段階といえるものなのである。


 サイコの適合率の低い者が副作用でサイコ・ブレイクを起こしたとき、サイコのエネルギーに耐えられずに肉体が無機物の機械へと変化していくことがある。


 初めは指先から、徐々に細胞が浸食されていき、やがて肉体の全てが無機物と化す。


 そうなってしまえば言葉を介さなくなり、うめき声だけは聞こえるが、本人の意識があるのかは分からない。


 生きているのかも、死んでいるのかも分からない。

 しかし人間と言えるものではない、人としての欠落品――それが「バグ」と呼ばれるものだった。


 つまり正生たち取締官が殺さなければならないあの化け物は、元人間なのである。

 サイコ・ブレイクを治すことはできるが、肉体の変化を伴うバグを元の人間に戻すことは不可能だった。


 取締官たちは人間だったものを殺すことに抵抗を持つ者がほとんどである。

 正生のように、積極的にバグ殲滅を謳うものは敬遠されていた。


「もともとは人間だったものだ。お前のように淡々と殺せる方が珍しいんだよ」

「いま生きている人間と、生きているか分からない化け物、どっちを取るんだよ。アレを殺すのは可哀そうだから化け物に食われてやろうってか?」

「貴様いい加減にしろ!」


 円卓の前半分に座っていた者たちが勢いよく立ち上がった。

 我慢の限界とばかりに罵詈雑言を浴びせ、またそれに正生が煽りを返すもので、口論が激化して先ほどの静けさが嘘のように騒がしくなる。


 しかし、パンパンと二度手を鳴らす音が大きく聞こえて全員が静かになる。


 手を鳴らしたのは、円卓の後方中央の席に座る金髪の男だった。

 二十代後半ほど、目は閉じられていて口は弧を描いている。


「先ほどから騒がしいですねえ。ここは養豚場、いや……養人場ですか?」

「貴様!!」

「おや、何を怒っておられるので? 我々、機械種からしてみれば命が一つしかない人間も豚も、肉の塊であることに変わりはありませんよ。それどころか、適性がないというのに己からサイコを服用し、自ら化け物に成り下がる愚かな人間どもは……豚以下な気がしますがね」

「このッ、人工物の分際で調子に乗りやがって!!」

「貴様らが生まれたのは誰のおかげだと思っているんだ!!」


 円卓の前半分に座る者たちが怒りに任せて机を叩き荒い声を上げるのに対して、後ろ半分に座る者たちは特に何の反応もせずにジッと彼らを見ていた。

 金髪の青年はフッと鼻で笑う。


「一人の人間が生んでくれたからといって、人間全てを敬う必要はないでしょう。我々が尊敬するのは、我々を造ってくださったサイクロプス社の社長、示道終時しどうしゅうじ氏とその御子孫のみですよ」


 彼ら円卓の後方に座る面々は全員、機械種である。


 前方には人間種が固まって座っているが、その間には見えない亀裂が入っていた。


「我々は既に自分たちで同族の機体を作れるようになっています。あなた方は必要ありませんので、人間が死のうが生きようが機械種には関係のないことですよ」


 極限まで人間に近づけられたD#54が生まれ、機械進化が起こって以降、機械種はサイクロプス社の技術をまねて自分たちと同じ機体を造るようになっていた。


 機械種繁栄のため、寂しさを紛らわせるため、己が理想を忠実にかたどった恋人を生み出すため、その目的は様々である。

 さながら生物の交尾のように、日に日にその数を増やしていた。


 サイクロプス社の技術を盗用したともいえるが、当初より機械種たちは繁殖で得た利益の多くをサイクロプス社に贈与している。


 単純に一企業の機械開発を担うだけでは得られない数の、「新たな顧客」が勝手に増殖している訳である。

 サイクロプス社としても黙認せざるを得ない。

 彼らが先代を祀っている状況ならなおさら、ただ甘んじて蜜を吸うだけなのである。


 その機械繁栄の環に、他の人間は一切必要がなかった。

 どうでもいい、と表すのが最適だろうか。


 サイクロプス社の関係者ですら、機械種たちの目には映っていないかもしれない。

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