$!K0 サイコ ーSの数ヶ月ー
雛風
第1話「始まりの鐘」
『もし機械が人の心を持ったら、機械の反乱が起きたら、この世界はどうなるだろうか?』
よく話題に出されていたその想像は、遥か昔に消滅した。この頃の流行は
『人間である必要性は、機械である必要性は、あるのだろうか』
という嘆きの一句である。
――19v3b年
機械開発を行う【サイクロプス社】は人型機械〈A#02〉を生み出し、世界中に普及していった。
胃など一部の内蔵や心臓こそ「あえて」機械仕掛けにしてあるが、体液や皮膚・眼球などは人間の持つものと同じ。
彼らは内臓や心臓を除けば、もはや人間と同じと言っても過言ではない。
しかしアンドロイドたちは人間の利となるよう彼らに近づくために、数多の学習を重ね、
独自の自己発展を経て――自我と感情を手に入れてしまった。
「機械進化」と呼ばれるその現象は、アンドロイドだけに留まらず様々な機械に波及していく。
やがて機械種は人間からの独立を願うようになり、人間と機械との、長く複雑で凄惨な抗争が世界的に勃発した。
のだが、彼らは機械進化で手に入れた「人間の機能」を徐々に敬遠し始めた。
感情・五感・個体別の意志思考を持ち、人間と同じものを飲み食いし、痛みや苦悩で思考を煩雑化させる。
人を殺傷する悲痛、己の体が血を流す苦痛――それ知った機械たちは人間性を拒絶するようなった。
それは徐々に、痛みを知らなかった頃の元の機械に戻りたいという願いに変わっていく。
長い年月をかけて人間と機械の戦争が幕を閉じ、二つの種族が共存する時代を迎えた。しかし戦争が終わっても、アンドロイドたちのなかで人間の機能を脱離する願いは消えないままで。
サイクロプス社はアンドロイドたちの願いに応え、機械の一部機能を遮断する感覚機能停止剤「$!K0―サイコ―」を開発した。
しかしそれが、再び問題を引き起こすことになる。
サイコを飲む人間が現れ始めたのである。
『サイコは人間の感情や痛みも消し去される』などという噂が瞬く間に広がり、新たな悲劇を生み落としていった。
* * *
21rt6x年ーー東京都某所。
夜の街の、建物の光に混ざって煙がところどころに立ち込めていた。
『特務零課に告ぐ。新宿区にてバグが発生。ただちに排除せよ。総数は二十、うち二体は』
どこからか機械を通した男の声が聞こえる。まだ言葉は続いていたが、それを遮るように破壊音が鳴り響いた。
大きく土煙が広がり、その中から女が一人出てくる。
十代後半ほどだろうか、黒いショートヘアは髪の内側が青く光っているように見える。耳には銀色のイヤーカフを着けていた。
彼女の表情はあまり楽しそうには見えないのに、水色の目はキラキラと輝いていた。
それはイメージではなく、白いハイライトと黄色い線、光の粒が眼球に「浮いている」のである。
どこかの制服のような黒いジャケットと同色のスカートを着ていたが土埃で汚れていた。
女は手で周りの煙を払い、軽く咳き込んで後ろを見やる。
「だからやりすぎだって……」
大きくため息をついて煙の方へ不満をこぼす。
視線の先で煙に混じって人の影が揺れ、男が姿を現した。
同じ年頃くらいで、黒い短髪に若干死んだような赤い目をしている。
彼女と同じデザインの黒服に身を包み、片手に巨大な斧を持っていた。
刃は彼の身長ほどの大きさで、手を下げると地面に引きずることになるのか肩に担いでいる。
煙が晴れて視界が明瞭になる。二人を囲むように、いくつもの工場が並んでいた。
しかしその多くの建物は窓が割れ、壁は破壊されて外の空気を全面に流し込んでいる。
周囲の地面は抉れていて、男の後ろには巨大な機械質の化け物たちが何体も地に伏していた。
斧が重いのか、男は地面に斧を突き刺して首を揉む。
「しかたないだろ。手抜いてたらこっちがやられるし」
「だからって」
「それに暴れる俺を止めるのが再子の仕事だろ」
「……あのねえ、当たり前に人の仕事を増やそうとしないでよ」
再子と呼ばれた女は呆れて、また大きくため息をついた。
彼女は、
サイクロプス社の最高傑作ともいわれる〈D#54〉シリーズの一体だった。
そばにいる男は、
正生が斧から手を離すと、斧が時計に変化して彼の腕に巻きついた。
彼は一仕事終えたようにして帰ろうとする。
「あ、まだ終わってないのに」
再子が彼を制止しようとした瞬間、正生の上から影が落ちる。
彼の背後に、機械質の化け物が浮いていて――ズガンと重く低い銃声が鳴り響き、化け物の体に穴が開いた。
正生の手にはショットガンが握られており、白煙を吐いて放熱している。
「これで終わった」
死んだ目でドヤ顔を決める彼に、再子は何度目かのため息をこぼした。
任務を終えた正生は銃から手を離してペンに変化させ、胸ポケットに入れる。
再子が手を前に出すと、空中に画面が現れた。
「こちらS班、工場地にてバグを十八体撃破しました」
『了解。回収課を送るので位置情報を共有してください』
画面から女性の声が聞こえ、再子は場所の情報を送って画面を閉じる。
「報告も終わったし帰るぞー」
「あ、ちょっと。ほんと帰るのは早いんだから」
正生が先に歩いて行ってしまい慌てて彼を追いかける。
二人が街に戻ると、至る所で空気中に画面がいくつも映されていた。
人間と機械の乱戦が終わったのち、二種族が手を組むことで急速に技術が発展していった。
空気中に映像を投影する技術もその一つである。
惑星に流れる膨大なエネルギー、
高層ビル群の合間をぬって、他と比べてひときわ巨大な画面が空中を占領していた。
そこにはニュースが流されており、右端には【サイクロプス社】の文字と同社のロゴが、左には「緊急注意喚起」のテロップがついている。
正生が足を止めてニュースを見始め、再子も彼の隣で画面を見上げる。
『皆様に再度ご連絡を致します。我がサイクロプス社が開発した$!K0は、人間が飲むことを想定して作られていません』
女性の声が流れ、画面にデカデカと医薬品が映し出される。
見た目はカプセル剤で、透明な殻の中に青色の液体が入っていた。
画面に赤と黄色で「人間は服用禁止」と注意喚起が出されている。
『人間もサイコを服用すると様々な良い効果を得られる、などと謳う噂が流れています。しかしそれらは全て虚偽の情報です。もしも人間で服用している方がいれば、今すぐに辞めてください』
「……機械進化の乱戦直後は『機械種を救う薬』なんて言われてたのにな。今では人間にとっちゃ劇物か」
映し出されているカプセル剤は、サイクロプス社が開発した$!K0である。
サイエネルギーを使用して作られた、機械専用の薬剤だった。
機械種がサイコを飲むと、胃の液体で殻が溶かされて中の薬液が機体内に広がる。
広がった液体は身体を巡り、内臓から滲み出て脳や神経にまで伝達する。それらは機体を一時的にショートさせ、内部機能にエラーを起こす効果がある。
サイコを服用したアンドロイドは自我や感情、思考を失って進化前の機械の状態に戻るのである。
ただ進化で手に入れた諸々の機能を無効化するとはいえ、その効果には時間的限度があった。
効力はもって一日ほどで、それ以上に長く続いたことはない。
そしてこれは、あくまでも機械用に作られたものである。
人間が服用した場合の安全性は保障されていない。
「機械用のものを自分から飲みたがる奴がいるなんてな。要は生身の人間がガソリン飲んだり電池食ったりしてるってことだろ」
「まあでも……実際のところ、サイコを使うと人間も感情や痛みが消えるみたいなんだよね。サイコには適合率があるから、人間も絶対飲めないとは言えないし」
サイコを服用する人間が増え始め、サイクロプス社はサイコの流通・販売を制限した。
人間が服用した際の影響を調査するため、実験と研究を行っている。
記録によれば、人間もサイコを服用すれば一時的に感情や思考が消えるらしい。
腹痛が酷い時に飲んだら痛みが収まったとか、悲しい時に飲んだら心が無になって楽になったとか、眠い時にコーヒー代わりに飲んだら眠気が飛んだとか、効果は多岐に渡るようだった。
ただし人によっては副作用が発生することもあり、人間には個々でサイコへの相性があると判明した。
サイクロプス社はすぐにサイコの適合検査機を開発し、以降は人間だけでなく機械種も含めて適合検査が義務化されるようになった。
適合率が八十パーセント以上の者は体への影響がないに近しいが、それ以外の者は高確率で副作用が出る。
自我を失い狂暴化し、周りの人を襲うようになるのである。
サイコによるその副作用は『
サイコ・ブレイクを起こした者は処置を施せば治りはするが、誰かを死傷させて罪の意識に苛まれる者も多い。
そうでなくても、人を殺してしまった者は周りから疎まれ、簡単に元の生活に戻ることはできなかった。
しかしそれでも、サイコは人間の感情や苦痛を和らげるものとして祭り上げられている。
現状、闇市や非公式のルートから、サイコが高額販売され一般人の手に渡ってしまっていた。
『サイコは人間を救う薬だ』
『興奮作用を沈静化して悩みを消し去る薬だ』
『どんな痛みもなくなる薬だ』
『感情も痛みも消える精神安定剤だ』
『疲労をなくし活力を復活させる画期的な〈エナジードリンク〉だ』
サイコの副作用に怯えるどころかその距離が縮まり、人々は気軽に手を出すようになってしまっている。
「……馬鹿げてるな。機械に差す液体を好んで飲むなんざ、狂信的にも程がある」
正生は嫌気がさして眉を寄せる。その瞳は、どこか自虐的で憂いのようなものを帯びていた。
「人間が感情を消して無機質化するなんてまるで……」
「人間の機械化だな」
再子が濁した言葉を正生がはっきりと口にした。
「人間は昔からよく不老不死を求めたり、過去や未来に行きたいと望んだり、亡くした人を蘇らせたいと願ったり、ないものを想像して欲して今を逸脱しようとする考えがある。それと一緒だ」
正生が皮肉を込めて言い、再子はうつむいて自分の手のひらを見つめる。
「摂取する人たちが減らないまま、『バグ』は増え続けるばかり……その先には、何もない」
彼女の声は少し悲しみを含んでいた。しかしそれを隠すようにして、「早く帰ろ」と先に歩いて行ってしまう。
正生は黙ったまま少しうつむいた。彼の脳裏に、先ほどの工場地で倒した化け物たちが浮かぶ。
顔を上げ、再子を追って隣まで来ると軽く肩に手を置いた。再子は驚いていて「え」と声をもらす。
「お疲れ」
彼は短く言葉をかけるだけで、それ以上は何も言わずに黙って歩いていく。
彼なりの気遣いを理解して、再子は小さく「ありがとう」と言葉をこぼした。
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