グマルタ、あるいは人間と魔族のあいだで

二汁一菜

邂逅

「またお前の仕業か! この魔女がッ!」


「ちっ、違います、おじさん! 私は何も──」


「口答えするなッ!」


 鈍い痛みが腹部に走り、私はその場にうずくまります。

 少し離れたあたりから、おばさんのせせり笑いとため息の中間のような呼吸音が聞こえました。その音がやけに大きかったから、おばさんが私のすぐ側まで来ているような気さえしました。

 見上げると、怒りに満ちて歯を剥き出しにしたおじさんの顔が、背後にある卓上のランプの影になって真っ黒に見えます。もはや人というより獣のように感じられるその表情は私をむしろ冷静にさせました。まだこの家に居続けるために私がとるべき行動がすぐにわかったんです。


「……申し訳ありません、おじさん。私がやりました。すべて私の責任です。この通り愚図で役立たずな私ですが、どうかこの家に居させてください」


 すると私の脇腹におじさんの手が差し込まれ、ふわりと宙に浮いたかと思うと私は麦袋を担ぐように肩に乗せられていました。


「ヴィエーラ、コイツを森に捨ててくる」


「!? お、おじさ──」


「わかりましたわ。──やい、もう二度とこの村に顔見せるんじゃないよ、魔族の子め。次あんたの顔を見るときは、あんたをぶち殺す時よ」




 


 外は夕焼け空で、見上げると我関せずと言わんばかりに輝く一番星が見えました。


 絶望に身を浸していた私には、もうどんな抵抗も無駄なことがわかっていました。だから私はおじさんが私を『魔女の森』に運ぶのを止めませんでした。止めようとしたって無意味だったからです。


 魔族の娘に生まれて九年、私の魔生じんせいは……幸せだった、とは言い切れないかな。


 私の家はお父さんもお母さんも魔族でした。二人とも優しくて強い人でした。

 この国では……いえ、この大陸では、私たち魔族は少数派です。だからお父さんとお母さんと私みたいに、多くの魔族が人間の中に溶け込んで暮らすことを選んでいます。

 人間の中に混ざっていれば、私たちは身も心も人間になれる。身も心も人間になれれば、私たちは差別されることはなくなる。そう信じていました。


 だけど、私は心のどこかで魔族であることを恥ずかしいというよりもむしろ誇りのように感じていました。周りの人間の子供たちに「魔女」と呼ばれるのを嬉しくさえ思いました。

 きっと、それが間違いだったんです。


 私が七歳になるとき、つまり二年前ですが、とある病気が流行りました。その病気はどこか外国から来たとのことですが、瞬く間に国中に広がって、多くの魔人ひとびとが死にました。

 私たちの村でもたくさんの村人が亡くなりました。


 そんな中で、人間たちは噂しました。

 この病気は人間を敵視する魔族の魔法、呪いに違いない、と。魔族がこの病気を作って人間に撒いているのだ、と。


 そうして魔族わたしたちは人間にいじめられることになりました。魔女狩りの始まりです。お父さんもお母さんも、人間から逃げる途中で私を逃がすために囮になって、それで…………。


 私はたった一人で逃げて逃げて逃げ続けました。そしてとある優しいおじいさんに拾われます。今にして思えばバカなことですが、私はおじいさんに自分が魔族であると堂々と言いました。するとおじいさんはニッコリ笑ってこう言いました。


「人間と魔族は仲良くできる。第一、魔族だから何だというんだ。見た目も言葉も心も、どこも人間と変わらないじゃないか。ワシが子どもの頃は人間も魔族も仲良しだったもんだ」


 でもおじいさんはしばらく後に倒れてしまい、やがて亡くなります。私は同じ村に住むおじいさんの娘であるおばさんと、その夫であるおじさんのところに引き取られました。


 二人は私が魔族ではないかと疑っていました。ある日、おばさんは「やい、魔女め」と私を罵りましたが、私はそれを罵倒だと受け取らずに「何ですか?」と返事をしてしまったのです。気味悪がるおばさんに私は自分が魔族であると胸を張って答えました。


 それから二人は明らかに私を邪険に扱うようになりました。無理難題を言いつけられ、できなければ殴られたり、ご飯をもらえず家畜の餌が与えられたり。


 極めつけがさっきの「森に捨ててくる」です。かねてより魔女が棲むという伝説のある森に、私は捨てられるのです。


 やがて周りが真っ暗になってからもさらに何時間か運ばれたような気がします。おじさんはその真っ暗な中でも一際真っ暗な森の中に入っていきました。しばらく進んだ後で、私を雑に地べたに放り投げてこう言いました。


「俺はここで帰るが、ついてくるなよ」


 ついていってやるものですか。魔族であるこの私が、人間であるあなたのところになんて帰るはずがありません。そう心の中で言いながら、おじさんの冷たい目を見返していました。


「あ? 何睨んでんだ、テメエ」


「ちっ、違、睨んだわけじゃ──」


 まずい、と思った時にはもう遅く、私の目の前におじさんの足が近づいて、顔面に強い痛みが走りました。


「そうやってマセた面しやがって、ムカつくんだよ畜生! お前ら魔族が魔人戦争のときに人間に何したか、俺たちは百年経ったって覚えてんだ! この恨みは永久に忘れねえ!」


 そう言いながら何度も何度も私を踏んだり蹴ったりするおじさん。痛みのあまりだんだん涙が出てきます。もう九歳のお姉さんだっていうのに、こんなに泣いてちゃいけない歳だってわかってるのに。


『私が知ってる最後の魔法、あなたにかけてあげる──』


 こんなに時は、お母さんが最期に唱えてくれた呪文を繰り返します。


「《ラハマ・ナ・レへ》……《ラハマ・ナ・レへ》……」


 この言葉は何故かわからないけどとても暖かくて、繰り返すたびにお母さんの胸の中にいるみたいに心が落ち着きます。意味はよくわからないけど、私の大好きな言葉です。


 すると突然、どこからともなく声がして、真っ暗だった目の前が明るくなりました。


「──何だィその鬱陶しい呪文メレァ。アタシをおちょくってンのかィ?」


「!?」


 まず眼前に飛び込んでくるように現れたのはこちらを怪訝そうに見つめるしわしわの顔。人間で言うと80歳から90歳くらいでしょうか。でも奇妙なことに、その顔の持ち主の背筋はピンと伸びていて声もはきはきしているし、はつらつとした感じです。

 そして何より目につくのは、独特の禍々しい紋様の入ったぶかぶかの上着に、その上着に似た意匠で飾られたランプに、目元を隠してしまえるほど大きなつばの三角帽子。


「うわあああああ!? まっ、まままままま、魔女おおおおおお!?」


 おじさんはさっきまでとは打って変わって素っ頓狂な声を上げて、私と魔女から思いっきり距離を取りました。

 それから、「魔女め……! まさか本当にいやがるとはな! 俺が成敗してやるぞ!」などと遠くから思いっきり吠えていましたが、魔女は全く聞き入れもしない様子でした。


 魔女は煤けたランプを私の顔のそばに近づけて、しげしげと私を色んな角度から見つめました。


「…………見たところァ普通の人間だが……。アンタ、人里に降りた魔族だね?」


「……うん。私も、魔女なんです」


 私は話を続けようとしますが、それを魔女がさえぎります。


「わた──」


「──アタシァ人里に降りた魔族のこたァ人間だと思ってる。だから人間同士の争いにァ干渉しないつもりなんだ」


「そっ、そんな……! 困ります! 私、もう行くところがないんです!」


 そう言って私は、服の下にしまっていた首飾りを手にとって見せました。


「お母さんが『他の魔族に会ったらこれを見せなさい』って言ってました! これは私が魔族である証拠になりませんか!?」


 首飾りの真ん中には手のひらに収まるくらいの大きさの石があります。石は深い藍色で、何かの木の葉のように見える綺麗な紋章がカリグラフィックに書かれています。

 この石はお母さんがいつも肌身離さずつけていたもので、人間には絶対に見られてはいけないと口を酸っぱくして言っていました。きっと魔族にとって何か大事なアイテムに違いありません。


 ところが魔女は面倒そうな顔をして言います。


「悪りィけどアンタァ魔の道に戻るこたァもう出来ないんだよ。わかったらさっさと帰ンな」


 私は胸の底の方からわなわなと震え出すのを感じました。人の話を聞こうともしないで私のことを決めつける彼女に怒りを覚えたんです。

 魔の道には戻れないとか何とか、よくわからないことを言っていたけれど、彼女が私を魔族だと認めずここから去らせようとしているのはわかりました。


「ハッ、ざ残念だがそれは無理な相談だぁあ。お前お前はこっここでこの娘と一緒に死んでもらう……!」


 おじさんは遠くから手当たり次第にこちらに石を投げつけていましたが、ほとんど当たりませんでした。

 一つだけ魔女に当たった石がありましたが、それは投げられたのと全く同じ軌道でおじさんの方向に帰っていき、おじさんの頭部に直撃しました。おじさんは悲鳴をあげながら姿をくらませました。


「ほら、アンタも帰ンだよ」


 彼女は本当に私の話を聞くつもりがないようです。それが私を余計に苛立たせました。

 追い返すか受け入れるか判断するのはせめて私の話を全部聞いてからにしてほしい。聞きもしないで追い返すなんてあり得ない。そんな気持ちで煮えくり返った心を吐き出すように叫びました。


「ねえ、待ってよ!! 《シュマー》!!」


「……ッ!!」


 シュマー。お母さんが私を叱りつけるときによく使っていた呪文を、私は咄嗟に唱えていました。

 すると、立ち去ろうとしていた魔女はびっくりした様子でこちらを向き直り、私を見つめました。


「魔の道に戻れないって!? 私、人の道にだって戻れないんだからね!? 人間の世界あそこには私の居場所がないの!! 毎日すっごくすっごく苦しいんだよ!? あなたが何と言おうと、私は魔女として生きるしかないの!!

 ……私は魔女としての誇りを持って生きてきたつもりです。お母さんに教えてもらった呪文も、この首飾りの石も、どれも私にとってのアイデンティティーなんです。

 私、あなたのところに行くしか生きていく術はないと思います!

 ついにこうやって人間の世界から逃げ出すことができました! 人間の世界とさよならをして魔法使いになる、その覚悟はとうにできてるつもりです!」


 私の思いの丈を聞いて、魔女はしばらく黙っていましたが、やがて声を低くして言いました。


「……言っておくことが四つある。一つ目、アタシの家ァ狭い。アンタにくれてやれるスペースァ限られてるけど、文句言うんじゃねェよ」


「……! それって……!」


 魔女はがさつに私の手を掴んでぐいと引っ張り、星々が木々の隙間から覗く森の中を進んでいきます。


「ねえ、それってつまり私のこと受け入れてくれるってことで良いんだよね!?」


「二つ目! アタシが喋ってる時は口を挟まずに最後まで話を聞くこと。面倒ったらありゃしねェだろうが、全く……三つ目、アンタを預かってやるなァとりあえずそのケガが治るまでだ。それから後のこたァ知らねェ」


「えっ、そんな……」


 それでも、今は一時的にでも預かってくれることを喜ぶしかありません。わかってるけど、いつかは見捨てられることが少し苦しく感じられました。


「四つ目、アンタァ自分で言った通り、魔の道からも人の道からも外れてンだ。これから魔の道に入って魔族として生きてくなァ厳しい道のりになるぜ。覚悟はできてンだろォね?」


 それでも、私はやれるところまでやってやる。ここにしか私の居場所はないから、意地でもしがみついてやる。その譲れない気持ちは持ち合わせていましたから、返事は当然決まっていました。


「……もちろん、できてますよ」


「ふゥん、じゃァいいや…………あァ、もう一つあった。アンタ、名前は?」


「ディジアーナです。ディジアーナ・ヴェルツィオ・デ・キンディア」


「それァ人名インメンだろォが。アタシが訊いてンなァ魔族名シャマだよ」


「えっ? 何、それ?」


 シャマ。知らない言葉が出てきて私は固まってしまいます。

 魔女はやれやれ、と言わんばかりに説明します。


魔族名シャマっつゥなァ、さっきアンタが見せた魔宝石と並んで魔族が命より大事にするモンだ。アタシのだったらタガ・ディ=アビドタ、といった具合さ」


「えーっと……あっ、お母さんが私にはもう一つ名前があるって言ってました。確か、ガ、ガ、ガマルタ?」


「それァグマルタだ。そのグマルタっつゥのと、さっきの魔宝石の印章を見るにカハナ氏族だから、グマルタ・ディ=カハナがアンタの魔族名シャマだ。アンタァ今日からディジアーナじゃなくてグマルタ、いいかィ?」


 魔族の世界に入るには、今までずっと連れ添ってきた名前を捨てなければいけません。でも、いよいよ人の世界とさよならをするんだと思うと胸の奥が熱くなってきて、名前ぐらいで今更躊躇なんてしていられなくなります。


「わかりました、おばあちゃん」


 そう返事をすると魔女はおかしそうに笑いました。


「カッハハハハハ、おばあちゃんだってェ? アタシがァ? いいかィ、魔族は家族相手にだって『お父さん』とか『おばあちゃん』みてェな呼び方ァしないよ。皆平等に魔族名で呼び合うのさ。だからアタシのこたァタガと呼びな」


 そんな話をしているうちに、目の前には木造りの家……というよりは倉に近いものが見えてきました。これがタガの家だそうです。その周りは見たこともない植物がたくさん植わっていて、とても不思議な香りがしました。

 その香りは初めて嗅いだはずなのに、何故かとても暖かい心地がして、存在しないはずの昔の記憶をくすぐられているような気分になりました。私にも魔族の血が流れているからでしょうか。


 こうして、私の魔女としての全く新しい生活が幕を開けました。

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