第26話 帰還命令


 その日も、いつもと変わりない日常だった。

 寝起きの悪い主を起こし、朝食を一緒に食べ、執務を手伝う。

 

 いまジョアンが特に力を入れているのは、人材を育てることだ。

 自分が仕切れば仕事の効率は上がるが、それではいつまで経っても下や周囲が育たない。

 以前から仕事は割り振っていたが、将来を見据えさらなる行動を起こす。

 個人の適性を見極め、適材適所に人員を割り振ることを始めた。

 デクスターの執務室で育った人材を、効率化を希望する他の部署へ派遣する。

 他人に教えることで己も成長していく、一石二鳥の方法だ。

 

 指導に熱が入るジョアンを、デクスターが目を細め眺めている。

 そこへ、国王の従者が書簡を手にやって来た。

 すぐに内容を確認したデクスターだが、首をかしげている。


「国王陛下から緊急招集がかかった。おまえも連れて来いと書いてあるが、なんだろうな……」


「何か、急ぎの用件なのでしょう。すぐに参りましょう」


 呼び出されたのは謁見室でも私室でもなく、執務室だった。

 部屋には、国王のスタンリーと宰相だけ。

 いつも傍にいる王妃の姿がないこと。場所が国王の執務室であることに、私的なものではなく公的な案件だとジョアンは推測する。

 しかも、少人数なことからあまりおおやけにできない内容の可能性が高い。

 そのような場になぜ自分まで呼び出されたのか、皆目見当が付かない。


 席に着いたデクスターの後ろで、ジョアンは緊張感を持って控えた。


「国王陛下、何かあったのですか?」


 今は公的な場のため、デクスターの言葉遣いも改まっている。


「実は、ヤヌス王国からこのような書簡が届いたのだ」


 ヤヌス王国と聞き、デクスターの顔色が変わる。

 ジョアンも顔色こそ変えなかったが、顔を引き締めた。

 嫌な胸騒ぎがする。

 自分の予感が外れていることを切に願う。


「内容を簡潔に述べると、ジョアン…ヤヌス王国の貴族である『ジョシュア・インレンド』を、国へ帰してほしいそうだ。迎えの馬車を寄こすとある」


(!?)


「差出人は、どなたなのですか?」


「女王陛下だ」


 嫌な予感というのは、得てして当たってしまうもの。

 ジョアンはきつく拳を握りしめた。


「しかし、ジョアンの記憶はまだ全部戻っておりません」


「デクスター殿下、畏れながらジョアン殿の身元が判明した以上、母国へお返しするのが我が国の務めかと」


「それは、私も理解しているが……」


 宰相へも、スタンリーを通じて一部の事情だけが知らされていた。

 記憶を失い森を彷徨っていた特異体質持ちのジョアンを、デクスターが保護し傍に置いている…と。


 デクスターへすべての事情を打ち明けた翌日、国王夫妻へも同様に報告は済ませていた。

 ジョアンが特異体質持ちで記憶喪失であることは以前から知っていた二人だが、公爵家の子息で女王陛下の元婚約者だったこと。

 命を狙われていたことには、さすがに驚きを隠せなかった。

 ただし、デクスターの判断で、記憶喪失が嘘であったことだけは主と従者だけの秘密となっている。


 しかし、宰相はジョアンが国で命を狙われたことを知らない。

 帰国させることを渋るデクスターを、正論で説得しようと試みる。


「ジョアン、其方はどうなのだ? 国へ帰ることに不安があるのであれば、ヤヌス王国と交渉してもよいぞ」


 スタンリーは、ジョアンがデクスターの番いであることを知っている。国で命を狙われたことも。

 弟の心情とジョアンの不安を慮っての発言だった。

 

「陛下、何をおっしゃっているのですか」


「はっきり言えば、ジョアンほどの人材を手放すのが惜しいのだ」


 これは、スタンリーの嘘偽りのない本音だ。


「それは、たしかにその通りですが、しかし……」


 宰相も、ジョアンの有能さは認めている。

 彼の影響を受け、文官たちの仕事に対する姿勢も良い方向に変化していた。

 ただ、ここでヤヌス王国の心証を悪くすることは、国益を損ねることに繋がる。

 それだけは絶対に避けなければならないと考えていた。


「私は其方の意見が聞きたい。ジョアン、遠慮なく申せ」


「……私のために、エンドミール獣人王国へご迷惑をかけるわけにはいきません」


「ジョアン! 俺が守ってやるから、余計な心配はするな!!」


「デクスター殿下、私は一度国へ戻り、手続きをしてまいります」


 トミーから話を聞いた兄ダニエルが、国へ戻るように手配したのだろう。

 王配にならなかった時点で、ジョシュアはもう公爵家にとって不要の人物のはず。

 あっさりと自分は切り捨てられると思っていたが、そうはならなかった。

 ジョアンとしては、そのまま病死扱いにしてもらいたかったが。

 

 きっとこれは、きちんと説明責任を果たせという兄からの伝言なのだ。

 ならば、ヤヌス王国へ行き兄へ事情を説明。それから、除籍などの正式な手続きを踏めばよい。

 そして、晴れてエンドミール王国の国民となれば良いのだから。


「私は、こちらへ必ず戻ってきますので」


「……わかった」


「デクスター、ジョアンが我が国へ戻り次第、がすぐに始められるよう準備をしておけ」


「かしこまりました」


 諸々の手続きの中に、二人の婚姻準備も含まれていることは明白。

 スタンリーは、「俺も一緒に付いて行く!」と言い出しかねない弟を押し留めたのだった。

 




 ヤヌス王国からの迎えの馬車の到着が、二週間後に決まる。

 ジョアンは、自室の片付けをしていた。


 仕事に関しての引継ぎは、ほとんど終わっている。

 いつでも旅立てるよう、ある程度は荷物をまとめていたが、国へ持って行く物はあまりない。

 着替えと旅費、この国へ流れ着いたときに身に着けていたカフリンクスくらい。

 

 そもそも、ヤヌス王国に長く滞在するつもりは全くない。

 早急に必要な手続きを済ませ、一日でも早く獣人王国へ戻るつもりなのだ。

 デクスターは、印の効果が切れてしまうことを懸念している。

 往路とは逆に、復路は獣人王国から迎えの馬車を出すと言われた。もちろん、『人』だけで構成された従者のみで。

 こまめに手紙を書き、主へ進捗状況を報告することも約束させられる。

 

 ジョアンの帰りが遅くなれば、心配性で過保護なデクスターが直接迎えに来そうだ。

 その姿を想像し、ジョアンはクスッと笑った。



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