少女エリン

 アシェンはしばらくの間、少女エリンに黙って手を引かれ続けていた。


 あの母親達がいた区画からある程度離れた場所に来て、ようやく彼女は手を放してくれる。


 アシェンが掴まれていた手を摩るように触れていると、エリンが訝し気な視線を送ってくる。




「何してるの?」


「いや、まぁ」




 久々に触れる人の温もりに感傷を覚えていたなどということは態度に出さず、適当にお茶を濁しておく。




「アシェン。昨日、何処に行ってたの?」


「何処?」


「帰ってこなかったから。……心配した」


「ああ、いや」




 ここで誤魔化す言葉は考えていなかったことを、アシェンは内心で悔やんだ。そもそも、そういう細かいことを考える性分ではなかったともいえるが。




「その、星を見ながら眠ろうと思ってな」


「……嘘。本当はお父さんとお母さんに、何か言われたんでしょ」


「あー、まぁ……うん」




 取り敢えず頷いておく。詳しい事情はわからないが、元よりあんなところで夜とはいえ人目も憚らず殴り殺される娘だ、碌な扱いを受けていないことは想像に難くない。




「……あの二人の言うことは、気にしなくていい。今ちょっと」


「ちょっと、なんだ?」




 エリンが言い淀む。それ以上を無理に問いただす理由は、今のアシェンにはなかった。


 一先ず、この少女が元のアシェンが護ってくれと願った相手でいいのだろうか? そんなことを思いながらも、余り大胆なことを尋ねるわけにはいかない。




「エリン?」


「……何?」




 エリンは変わらず、こちらにジト目を向けてくる。訝しんでいるのか、それとも単純に外泊したことを責めているのかを読み取ることはなかなかに難しい。


 知らなければならないことは幾つもある。とはいえ、焦りすぎても問題を生む。


 大抵のことならば力尽くで解決するだけの自信はあるが、だからといって余計な混乱を望むわけではない。




「あー、私とお前は友達……だよな?」


「……そうだけど。ちょっと違う」


「まさか恋人か?」


「……何言ってる?」




 訝し気な視線が更に厳しくなっていく。


 今のは少しばかり早計な問いだったかと後悔している間に、エリンがこちらを覗き込むように見つめていた。


 目の形は相変わらずジト目のままだが、ひょっとしたら彼女は元々こういう顔なだけなのかも知れない。




「アシェン、目」


「目が、どうした……?」


「目の色が、金色」


「ああ、美しいだろう?」


「綺麗……だけど、そうじゃない」




 何とか流してもらえないかとも思ったが、そういうわけにもいかないようだった。




「いや、これはな……えっと」


「変な魔法の練習でもしてた?」


「……魔法の?」




 アシェンにとってその言葉は別に珍しいものではないが、急に目の前の少女から発せられるとは思わなかったので、少し戸惑いを覚える。


 そしてそれは、いい方向に作用したようだった。




「魔法の副作用」


「あ、ああ。まぁ、うん。そういうことだ。ちょっと嫌な奴を蛙にしてやろうと思ってな」


「……そんなことできるわけない」




 呆れたような態度のエリン。だが、これで目の色についてはなんとかなったようだ。


 同時に、こんな奴隷のような者達しかいないような場所で魔法という言葉を知っている目の前の少女に対する疑問は深まったのだが。




「それにしてもエリン、そろそろ何かこう、仕事とかしなくていいのか?」


「……そうだね」




 辺りを見れば、誰もが何かしらの労働をしている。男達は別の場所に働きに出ているらしく、ここにいるのは女と子供達だけのようだが、全員が疲れた身体に鞭を打って何かしらの労働に従事しているようだった。




「元はと言えば、アシェンがいなくなるからいけない。わたしは、アシェンを探すために出てきた」


「そうだったのか、それはすまなかったな」


 もし労働にノルマなどがあるとするならば、探しに来た時間を無駄にさせたことにある。


「……その喋り方も、どうしたの?」


「いや、これは……あれだよ。ちょっと雰囲気を変えてみようと思ってな」


「……そう」




 エリンは一瞬眉を顰めたが、どうやらそれ以上は追及しないことに決めてくれたらしい。


 何よりもここで口論をしているより、早く労働に向かわなければならないのだろう。


 それ以上は何も聞かず、アシェンを先導するように前を歩き始めていった。




「……さて、ここからだな」




 何はともあれ、自分が置かれている状況を確認する必要がある。


 この世界に蘇った『彼』が何をするのか、それを決めるのはそれからでも遅くはない。


 そう思いながらも、その心の半分程度は決まってはいるのだが。




「アシェン?」


「す、すまん」




 止まって考え事をしていたところを、エリンの苛立った声に急かされて、アシェンはその後に続いていくのだった。

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