灰の少女は独り
「……ここは、何処だ?」
それから数時間後の夜明け。
何事もなかったかのように灰の少女はその場からむくりと起き上がった。
彼女から流れ出した血の塊が、ぱりぱりと音を立てて剥がれ落ちていく。
かつて灰の少女であった誰かは立ち上がる。
手足の動きを確認すると、大きく伸びをした。この世界の空気を思いっきり全身で感じ取るように。
「ふふふっ、久々の日光というのはやはり心地よいものだ。少しばかり空気が淀んでいるのが気になるが」
少女の身体に男達から受けた外傷はない。
着ている服はぼろぼろで、血の跡こそ残ってはいるが、それ以外の傷はまるで何事もなかったかのように修復されていた。
「しかしまぁ」
少女が首を動かして、石碑を見る。
いつの間にかそこには罅が入り、今にも崩れ落ちそうになっていた。
「随分と長い間封印されていたものだ。果たして何年ほどであるのか。ま、そんなことを考えても仕方がないか」
灰の少女は気を取り直し、一先ず辺りを見渡す。
「ふむ、何とも景気の悪い場所に出てきてしまったものだ」
足元は全く舗装もされていない砂地。
周囲には瓦礫がそのまま放置されており、碌に区画整備もされていないようだった。
乱雑に立ち並ぶ建物は適当に組み上げられた石や木で、それもまだマシな方。布でできたテントのような住居まであるような有様だった。
「それに空気も淀んでいる。こんな陰気な場所では、折角の現世の楽しみもたかが知れているというものだろう」
腕を組み、考え込みながらも一先ずは知り合いを探すことにする。
今身体を貰っているこの少女は何者であるか、どういう立場であるかを知る必要があった。
行動を起こすのはそれらの知識を得てからでも遅くはない。
最後に、灰の少女は石碑を振り返る。
そこに今日まで灰の少女であった誰かがいるわけではない。彼女は間違いなく、命を落とした。
そして今わの際の祈りによって、その肉体を譲渡したのだった。
だが、それでも。
その場にいないからといって彼女がここに生きていたという事実を無視することは、今の灰の少女の矜持に反する。
「礼を言うぞ、哀れな小娘よ。貴様の最期の祈りによって、私は再びこの世界に顕現した。既に忘れ去られた存在故に、次に大地を踏みしめられるのはこの大地が全て灰と化した頃かと思っていたぞ」
少女は不敵に笑う。その笑みに最期までに他の誰かの幸福を願い続けた少女の死にざまへの喜び、最大の敬意を払いながら。
「貴様の願い、聞き届けた。この身体の代償として、それを果たしてやろう」
最後にそう言い残すと、灰の少女は背を向けて歩き出す。それを見届けるようにしてから、小さな石碑は音もなく、まるで灰のように崩れ落ちていった。
一先ず、灰の少女はあてもなく町中をウロウロとする。
どうにもここは、町というよりは集落と呼ぶ方が近いほどの規模しかないようだった。商店の類も見つからず、店も殆どない。一応は酒を置いているような木造の建物もあったが、穴からネズミが出入りしているような始末だった。
「しかし何処も寂れているな」
風に巻き上げられた砂埃も酷く、こんなところに長く暮らしていては身体が壊れるのもすぐだろう。
時折すれ違う者達は誰も彼もが生気のない顔をして、男達は這いずるような足取りである方向へと歩いていっていた。道の端を歩く灰の少女には、全く目をくれることもない。
女達の状況も劣悪なのだろう。食事の準備や洗濯、掃除などが彼女達の役割なのだろうが誰もが真面目にそれらの作業をやっている様子はない。ただ虚ろな目で、同じような作業を繰り返しているだけの者達すらいた。
「果たして何があればここまでになるのか。……まぁ、想像するのは簡単ではあるが」
灰の少女自身もそうだが、身体には襤褸のような服を纏っている。あくまでも彼女の常識ではあるが、田舎の貧乏人ですらもう少しまともな格好をしている。
で、あれはここにいる者達は灰の少女も含めてそれ以下の階級と考えるのが妥当だろう。
つまりは奴隷階級、もしくはそれに近しい存在であるということだ。
「辛気臭いな、私ならいてっ」
頭に何か硬いものがぶつかって、思わず灰の少女は立ち止まる。
視線を向けてみれば二人の子供が、こちらを指さしながら笑っていた。年齢は恐らくは灰の少女よりも年下だが、当然のようにこちらに対する敬意などは存在していない。
「なんだ……?」
状況がわからず首を傾げると、次の小石が灰の少女に目掛けて飛んでくる。
身体を僅かに逸らして最低限の動きで避けるが、どうやら子供達にはそれが気に入らないようだった。
やがては指でつまめる程度の小石ではなく、手のひらサイズの石を拾って投げつけてくる。
そして子供達の親はといえば、母親らしき女が近くで水汲みをしているのだが子供達に注意する素振りはない。どうやらこれは彼等の中では日常化しているらしく、咎められるようなことではないようだった。
「ふむ」
飛んできた石を、掴んでそのまま投げ返す。
思いっきり手加減した石は子供の額に当たり、少年は大声を出して泣きわめく。そうなって初めて母親は何事かと、水を汲んでいた桶を置いて大股で灰の少女の前に歩み出てきた。
「灰色、あんた何のつもりだい!」
灰色、というのはどうやら灰の少女のことのようだ。勿論、それが名前であるわけではないだろうが。
「何のつもり、と言われてもな。やられたからやり返しただけだ。喧嘩を売る勇気は買うが、将来的にもっと痛い目を見る可能性があることを思えば、感謝してもら」
「親なしの灰色、役立たずの分際で!」
どうやら、灰の少女改め灰色の言い訳は聞いてもらえはしないらしい。怒鳴り声でこちらの言葉を掻き消すような態度に、内心で腹を立てつつも平静を装う。
「力仕事も何にもできない忌み子、不気味な灰色はここにいられるだけで幸せに思いな!」
「はっはっは! こんな寂れた場所で幸せとは片腹痛いな! 現に貴様達も、心に膿が溜まっているから私に石を投げつけそれを見て見ぬふりをしたのだろう?」
「あんた……!」
女が手を挙げる。
灰色はそれを、全く動じることなく睨みつけた。
「もういい。戯れは許したが、これ以上は不敬だ」
「うっ……」
その瞳。
灰色と呼ばれていた少女のころとは違う金色の瞳に射竦められて、女はその腕を振り下ろすことができなかった。もし彼女を黙らせるために頬を叩けば、取り返しのつかないことになるであろう予感がしたからだ。
そうやってできたほんの僅かな時間の後、一人の少女の声が二人の間に割って入った。
「アシェン」
「ん?」
この淀んだ場所には相応しくないほどに澄んだ、一瞬聞きほれてしまうような儚くも美しい調べに耳を打たれ、灰色は思わず女を無視してその方向へと首を向けていた。
「エリン……」
金色の長い髪、緑の瞳に病的なほどに細い身体。
とてもではないがこの場には相応しくない、神秘的とも呼べる雰囲気を纏った少女の名を、反射的に女が呼ぶ。
「アシェンが何か問題を?」
「い、いや」
「そう。じゃあ……」
エリンが、灰色改めアシェンと呼ばれた少女の手を握る。
「行こ」
そういって、やや強引にその場から連れ出すのだった。
こうして灰の少女改め灰色の名前は、アシェンであることは判明したのであった。
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