霊鬼爭衡

イカ奇想

第1話 生贄

     1.生贄(サクリファイス)


 十字架――。

 ウィトルウィウス人体模型図を借りるまでもなく、人を磔刑する最適解とは言い難い装置。

 でもオレは今、そこに磔とされていた。

 些細な問題があろうと、人を解体する見世物として、それは最適だから。

 オレはこの、熱狂する聴衆を前に、憐れな姿をさらす道化――。

 腹を割いたときの血の滴り、引きずりだされる臓腑、苦悶する表情をさらすディスプレイ。敵を懲らしめ、溜飲を下げる、多幸感を得られる愉快なショー。

 それは〝生贄の儀式〟――。

 クライマックスは心臓をとりだすとき。そこで尚鼓動するなら、彼らは嬉々としてこう叫ぶ。

「悪魔憑きだ!」と。善である我らに敵対する、悪魔にとり憑かれた憐れな男を救済する、これは善行なのだ、と……。


 妹が大病を患った。

 両親はそれを何らかの禍……。超常的な力による負の作用と考え、救いを求め、すがった。

 黄福のミチシルベ――。

 創始者である張 鷹伯が若いころ、貧困の中で病を患い、死を目前とするほどの状態に陥ったとき、彼の前にあらわれて救い、啓示を与えた神、ミチシル――を唯一神とする新興宗教だ。

 ミチシルにより新生を賜った彼は、広大宣布を誓い、教勢拡大にまい進することとなる。

 なりふり構わぬ勧誘、資金集めでトラブルとなることも多いが、罪に問われることもなく、今に至る。

 それは政治との深い関係、宗教団体をそのまま政治団体とし、数の力によって政治と結びつき、警察もマスコミも、その数の力で沈黙させる。この国の根深くも悪臭ただよう構図を民衆が知ることもない。

 そんな宗教に、両親はどっぷりとのめりこんだ。


 全財産を教団へと寄付、献金し、献身と称して家を空けることが多くなり、最近は帰ってすらこない。

 親戚も関わらなくなり、オレは古いボロアパートで、意識をとりもどすこともない妹の世話を、一人でみることとなった。

 中学すら通わなくなり、わずかな時間にバイト、内職などをしながら細々と妹との二人暮らし――。

 それでも、オレは妹が目覚めてくれれば……と一縷の望みを抱いていた。でも珍しく帰ってきた両親が、妹のおむつ代まで持ちだすのを必死で食い止めたとき、両親を何とかしないと……と考えるようになった。

 黄福のミチシルベ被害者の会――そんなものがあるのを知り、相談に訪れたところ捕えられ、磔にされる。

 被害者の会に集まってくる者を排除する目的の組織――そう気づいたが、後の祭りだった。


 特にオレは幹部候補生の家族であり、彼らにとってはより罪が重かったようだ。

 両親はすでに妹を治癒するより、教団の中で地位を上げよう、とする自己実現へと意識を変えており、妹やオレのことなど興味ないらしい。人を騙し、信者とすることに血眼だ。

 それに随わず、まして教団と敵対するなど、オレを〝悪魔憑き〟で世に徒なす存在とする。だから磔にする。

 白いマントととんがり帽子、教団のシンボルマークを胸につけた、教導者と称するリーダー的立場が登壇してきた。

「世界は調和を失っている。父子の情さえ通じず、正しいことから目を背け、親の心に逆らう。これが調和の喪失でなくして、何であろうか⁉」


 信者たちはその演説に熱狂し、怒号のような地鳴りがおこった。調和……? どうやらオレはそれを破った極悪人のようだ。

「貧富の差、身分の上下、イジメ、親殺し、子殺し、善人が苦しみ、悪人が甘い汁を吸う。すべてが調和の乱れ、喪失により起こることである。我々は世界に調和をとりもどす。ミチシル様のお導きによってッ‼」

「ミチシル! ミチシル!」

 信者は涙を流しながら、自らが信奉する神の名を叫ぶ。彼らは信者を〝道を知る〟神の部民、ミチシルベと呼ぶ。創始者である張が「調和の乱れた、火で炙られる赤の時代を終わらせ、大地に根ざす土、黄色の時代をもたらす」とするため、黄色をシンボルとする。

 信者たちは集会で黄色をどこかに身につけ、信仰心の篤さを示す。幹部候補は黄色のスカーフを頭や首に巻く。そんな幹部と並んで、両親もいた。教導者による演説に感動し、歓喜の涙で噎びながら……。


 司祭はとりだしたサーベルを、躊躇いもなくオレの腹に突き刺す。

 熱した火箸を刺しこまれたような、全身を痺れさせるほどの激痛に、オレは一瞬、意識が遠のく。

 それは、身体を固定する虫ピン――。標本にするときのあれだ。

 これからはじめる残酷なショー、その見せ方を熟知する、手慣れた雰囲気すら感じさせた。

 教導者が、一羽の小さな鳥をワシ掴みにし、掲げてみせた。

 それは翼を怪我して、飛べなくなった鳥。このままではカラスの餌食――。それが自分の姿と重なった。

 オレはその小鳥を拾い、連れ帰った。貧乏でろくな治療はできなかったが、二度と飛べずとも、二本足で跳ねまわるぐらいには元気になった。

 それが嬉しかった。妹のことも少しは希望がもてた。頭のよい子で、妹の傍らで、わずかな変化を啼いて知らせてくれるまでになった。それはまるで新しい家族のようだった。


「亜土内家にとり憑いていた元凶。それがこの悪魔であるッ‼」

 教導者はそう断じた。

 乱暴で、理由も理屈もなく、知性さえ感じないけれど、民衆にその虚実を見抜く術も、その必要もない。信者は自らが信じる真実(うそ)に従うだけ……。彼らの中で教導者の言葉は絶対だ。

「この悪魔の血をもって、穢れを祓わんッ‼」

「やめ……」

 制止しようとする言葉も口からでてこない。肺にたまった血が、そこから噴きだしただけだった。

 チュケ……。チュッ、チュッと啼くから、そう名付けた。チュケと目が合った。

 ありがとう……。その目はそう語っているように感じられた。

 チュケの首が斬り割かれた。

 その瞬間、オレは怒りで我を忘れていた……。

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