2章11話 消えた影の痕跡

彩奈とおばぁが祭り会場に足を踏み入れると、昨晩とは異なる異様な静けさが漂っていた。かつての賑やかな祭りの名残は、散乱した露店の瓦礫や踏み荒らされた飾り物の中に消え去り、代わりに残っているのは惨状だけだった。会場のあちこちにべったりと乾きかけた血痕が残り、辺りには緊張した空気が張り詰めている。


「まるで悪夢のあとみたいね…」彩奈は呟くように言ったが、口元が引きつり、声も震えている。


昨晩の出来事が一瞬夢だったのではないかと思いたくなるが、目の前の現実がその甘い考えを打ち砕く。会場は人の気配がなく、ゾンビの存在を感じさせる独特の臭いも漂ってこない。祭りが一瞬で消え去り、残されたのは無惨な光景だけ。彩奈は心の奥に恐怖がじわじわと広がるのを感じ、深呼吸をして気持ちを落ち着けようとした。


ふと、彩奈の視線がある木に留まった。その木は、まるで何か強力な力で押し折られたかのように、彩奈の腰のあたりでぽっきりと折れていた。さらに驚くべきことに、折れた部分から上の葉がついた枝が数メートル離れた場所に転がっている。


「おばぁ、見て。この木、折られてるみたい…」


彩奈は不思議そうに木を見つめ、おばぁも静かにその木に目を向けた。おばぁの顔には、何かを悟ったかのような険しい表情が浮かんでいる。彩奈はその表情を見逃さなかったが、何を考えているのか察することはできなかった。


「この木だけじゃないみたいじゃね…」


おばぁがそう呟くと、彩奈は他の木々にも目を向けた。周囲には、同じように半端な高さで折れた木がいくつも散らばっている。さらに、その周辺には切り取られた葉や小枝が、まるで力強い衝撃で飛び散ったかのように無造作に散乱していた。


「何が起こったんだろう…まるでここで何か激しいことが…」


彩奈はその場に立ち尽くし、頭の中で想像が巡り始めた。昨晩の戦いの名残なのか、それとも何か異なる力が加わっているのか、判断がつかない。彼女の視線が彷徨う中、突然、昨夜の恐怖がフラッシュバックのように蘇り、心臓が一気に跳ね上がる。


「彩奈、この辺りをもう少し詳しく見て回ろう」


おばぁが優しく、しかし確かな声で言い、彩奈もそれに頷いた。彼女たちは足元を慎重に確認しながら、辺りに何か手がかりが残っていないかと探し始める。


足元には、昨晩の激闘の痕跡なのか、草木が無残に踏みつけられた跡がいくつも残されていた。さらに、地面には鋭い爪のようなものが引きずられた痕が見て取れる。その爪痕はまるで猛獣が通ったかのように太く、深く地面に刻まれている。


「これ…人間がつけたものじゃないよね」


彩奈は思わず口に出し、背筋に冷たいものが走るのを感じた。この場で何が起こったのか、理解はできないが、ただのゾンビではない存在がここを通り過ぎたことは間違いないように思えた。


「怨念の力が強すぎると、ゾンビでも異常な力を発揮することがあるんじゃ。戦時中に失った命たちの怒りが、そうさせるのかもしれんね…」


おばぁの声はいつもと違って低く、まるで遠い過去を振り返るような重みがあった。彩奈はその言葉に恐怖と疑念を抱きつつも、目の前の現実を受け入れるしかないことを悟った。


「もしここに残った怨念が強すぎると…またゾンビが出てくるかもしれないよね」


彩奈がそう言うと、おばぁは静かに頷いた。


「そうじゃ。だからこそ、私たちは準備をしておかなければならん。あんたの力が必要になるかもしれんよ」


おばぁの言葉が、彩奈の心に重く響いた。彼女は自分がこの場で役割を果たす必要があることを、改めて痛感した。


「私は…本当にこの力を使えるのかな…」


彩菜は護符を握りしめ、自分に問いかけるように呟いた。自分の力が覚醒するのを待つしかないのか、それとも自分自身で何かを変えなければならないのか。彩奈の胸の中で、様々な思いが入り混じっていた。


静寂が再び彼女たちを包み込み、遠くから鳥の鳴き声がかすかに聞こえてくる。彩奈はその音に耳を傾けつつ、再びおばぁと共に歩き出した。会場を抜け出すその瞬間、彼女は心の中で決意を新たにし、これからの戦いに備える覚悟を固めていった。

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