月下の屍宴(げっかのしえん)

@zpa

第1話異変の始まり

第1話


木村優斗は、浦添西海岸ショッピングセンターの駐車場で原付を止め、ふぅ、と小さく息を吐いた。今日も一日、清掃の仕事に追われる日々が続く。8年も働いていれば、掃除のルーチンは体に染み付いていた。無心でモップを動かし、ゴミを集める。それが彼の生活だった。


ショッピングセンターの入り口をくぐると、同僚の上原隆が待っていた。「おはよう、優斗」といつも通りの低い声で挨拶する。上原は少しやつれた顔をしていて、疲れが顔に出ている。糖尿病の影響だろうか、彼の健康状態は優斗にとっても心配の種だったが、深く聞くのは気が引けた。


「おはようございます、上原さん」と優斗は答える。


「今日も長いぞ。新しいパートさんが入るって話、聞いたか?」


「聞いてます。俺が面接しましたし」


上原は薄く笑った。「ああ、そうだったな。面接官なんてお前に似合わねぇよ」


「そうですかね」と優斗は軽く笑い返したが、上原の言う通り、自分はこの仕事にしてはおとなしすぎると思うことがある。仕事に関しては真面目だが、人付き合いは得意ではない。今日入る予定の織田美香という女性も、面接では明るい笑顔を見せていたが、果たしてうまくやれるだろうかと心配だった。


仕事が始まり、優斗はいつも通りモップを手に取り、フロアの掃除を始めた。いつもの音、いつもの匂い。だが、どこか違和感があった。ここ数日、ショッピングセンター内で何かが変わりつつあるような気がしてならなかった。


「最近、北谷の方で奇妙な噂を聞いたか?」休憩中、上原がふと話しかけてきた。


「噂ですか?」優斗は首を傾げた。


「そう、ゾンビの噂だ。なんでも、夜中に徘徊する不審な連中がいるって」


「ゾンビですか?」優斗は思わず笑ってしまった。「それ、都市伝説じゃないですか?」


上原も肩をすくめた。「俺もそう思ったんだが、ニュースでも取り上げられてたんだ。目撃情報が相次いでいるらしい」


優斗は苦笑しながらも、どこか気味の悪さを感じていた。都市伝説にしては妙に現実味があるような話だった。特に、最近の沖縄では妙な事件が増えている。高齢化が進む中で、心霊スポットでのトラブルも増え、除霊師が対応に追いつかないという話を聞いたことがあった。それでも、ゾンビなんてあり得ない。そんなことを考えながら、優斗は仕事に戻った。


その夜、仕事を終えた優斗は、原付に乗って那覇の自宅へ向かっていた。疲れた体を引きずるようにして、普段通りのルートを通る。だが、その日は何かが違った。周囲の空気が異様に重く、夜道はいつも以上に静まり返っていた。


しばらく走っていると、ふと違和感を感じた。道端に、人影があった。最初はただの酔っ払いだと思ったが、その動きは異様に鈍く、不規則だった。優斗は原付を止め、少し距離を取ってその人物を観察した。


薄暗い街灯の下、その人物はよろよろとした足取りでこちらに向かってきた。服はボロボロで、肌は不自然なほど白く、ところどころが腐っているように見える。


「…まさか、ゾンビ?」


冗談だと思っていた話が現実になる瞬間、優斗の心臓は凍りついた。恐怖で体が動かない。だが、すぐにその人物が急に手を伸ばし、よろけながらも接近してくるのを見て、優斗は原付に飛び乗った。


「嘘だろ…!」


アクセルを全開にして、その場から必死に逃げ出した。振り返ると、ゾンビはゆっくりとだが、確実にこちらを追いかけてきていた。冷たい汗が背中を伝い、頭の中は恐怖で真っ白だった。


なんとか自宅まで逃げ込み、ドアを閉めると、優斗は息を切らしながらもようやく安全を感じた。しかし、彼の心には恐怖が残り続けていた。あれは本当にゾンビだったのか? ニュースで噂されていた徘徊者の正体が現実に存在するのだとしたら、これから何が起きるのか。


翌日、優斗は再びショッピングセンターに出勤したが、昨日の出来事が頭から離れなかった。同僚たちに話そうかと思ったが、馬鹿にされるのが目に見えている。


「優斗、どうした? 顔色悪いぞ」と上原が心配そうに声をかける。


「いえ、大丈夫です」と優斗は首を振ったが、昨夜の恐怖がよみがえり、言葉に詰まった。


何かが始まっている。この日常が、少しずつ崩れ落ちていく予感がした。それは、ただの恐怖だけではなく、もっと大きな何か――沖縄全体を覆う暗い影の前触れかもしれない。


優斗はそれをまだ知らなかったが、彼の運命はすでに狂い始めていた。

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