第6話 ちびっ子賢者
魔王ルシフェルは走った。
ただひたすらに。
ただやみくもに。
全てはあの勇者の癪に触れたことが原因である。
邪神龍すらも軽く一捻りするほどの危険人物。
聖剣すらもその辺の失敗作と同等に捉えるほどの強者。
――あの男を懐柔? いや目論見が甘かった。
ルシフェルが放った最大級の魔法を見ていたあの男の表情を見て、甘い考えを捨てた。
“その程度か?”
あの冷めた視線がそう訴えかけているように思えたのだ。
ルシフェルの最大の力がまるで初級魔法だと言わんばかりに。
本来なら屈辱ともとれるその仕草も絶対強者たるかの者には許される。
それほどまでに絶望的な力の差があるのだ。
――勧誘する? いや、甘かった。
あの場にいた者、おそらくは聖女も含めてかの者の真の力には気づいていないだろう。
あんな力の持ち主を野放しにするなんて到底考えられない。
――ならばどうする? 魔王軍全軍を持って進撃? いや、ダメだ。かの者の力の前には数など無意味。ゼロはいくら多くてもゼロだ。それならば少数の強者で攻めるか? それもダメだ。魔王軍は強者の集まれなれど、それでもかの者の前には無力なのだ。特筆すべき能力を持つ四天王ですら無に等しい。いや、それは我も同じか……。
かの者とは戦おうとすること自体がおこがましいことである。
当然ながらこれほど力の差があるのだから手を組むなんてあり得ない。
ドラゴンがゴブリンと手を組むことなんてないのだから。
つまり戦おうとすることも手を組もうとすることも間違いである。
かの者に付きまとっている聖女はそのことにすら気づいていないようだった。
力の無い奴はこれだから困る。
――我にできること……、それは……。
変な欲望を持たずにただ友誼を結ぶこと。
力の上下に関係ない友情とやらならかの者相手でも結べるはず。
――それができないといずれ我に訪れるのは破滅だけだ。
戦って破滅するのならそれはルシフェルとしての本望でもあった。
しかし、戦うことすらできない相手に蹂躙されるなど、考えたくも無い。
何のために己を鍛え、魔王にまでのし上がったのかわからないではないか。
そのためには手始めに魔王城の宝物庫を開き、最大限の贈り物を……。
いや、それだと聖剣の二の舞になるな。
おそらくはあれだけの力を持っているのだ。
世界中のありとあらゆる武器防具宝物を集めているのだろう。
とてもそうは見えない小屋に住んでいるようだが、我は騙されない。
かの小屋の地下からとてつもない魔力の残滓を感じることができたのだ。
おそらくは障壁ですら防ぎきれないほどの魔道具などが地下室に隠されているのだろう。
もしかすると地下ダンジョンのようになっているかもしれない。
一体どれほどの宝が保管されているかはわからないが、おそらくは我が持っているものとは比べものにならないほどの宝ばかりなのだろう。
何せ我が脅威に感じ保管していた聖剣ですら表札扱いするほどなのだ。
――そうなると贈り物は消耗品がいいだろうな。あとは……。
ルシフェルが懸念すべき問題は魔族領にもあった。
――邪神龍がいなくなったこと、鋭いやつなら気づいているだろうな。そうなると魔王の座を狙う奴も。いや、素直に攻めてくるなら返り討ちにすれば良いだけだが絡み手を使い、かの者を脅迫するなどという手を取る奴もいるやもしれん。それをどう抑えるか……。
「いや、抑える必要はないか。我に無縁の所で勝手に襲うのなら自己責任だ。その対価は己の身で払うだけだからな」
むしろ敵対勢力が勝手に消えてくれるのは我としても歓迎である。
「我は我にできることをしておこう」
◇◆◇◆◇◆
ゴブリン襲撃の翌日、俺は相変わらずのんびりとした一日を過ごしていた。
想像以上に心労が溜まっていたようで、起きたときには既に昼前となっていた。
「リック様、朝ですよ」
ゆさゆさと体が揺らされる。
ただ俺のことをこんな風に起こしてくる相手はいない。
つまりはこれは幻覚。
まだ夢の中にいるのだろう。
「あと三……」
「三分ですね」
「三年……」
「さ、さすがに長いですよ。それだけ寝ていると体が石になっちゃいますよ」
――この反応……。
俺はゆっくりと目を開けるとすぐ目の前には聖女ミリアの姿があった。
――そういえばまだミリアがうちに泊まっていたんだったな。
一体いつまでいるのかわからないけど、一度泊めた手前、途中から追い出すようなマネは中々できなかった。
「えへへっ、ご飯の準備ができていますよ。一緒に食べませんか?」
「そこまでしなくてもよかったのに……」
「そんなわけにはいきません! 泊めていただいているのだから私にできることはさせていただきますよ!」
なぜかグッと気合いを入れてみせるミリア。
その愛らしい姿は思わず見とれてしまうが、どうしてここに聖女がいるかを考えると逆に気が滅入る。
そもそも彼女はメインキャラ。
彼女が旅立ってくれないと原作がクリアにならずに平和が訪れない。
そんなキャラをいつまでもこんな所で引き留めていることに僅かばかりの罪悪感を感じてしまう。
「あぁ、それじゃあ一緒に食うか」
「はいっ」
満面の笑みを浮かべるミリアと共に食事を取り始める。
すると、ミリアが思い出したように言ってくる。
「そういえば近々私の親友もこちらに来ると言ってましたよ」
なんてことはない変哲な言葉。
ただ、それを聞いた俺は思わず食べていたものを吐き出してしまう。
「ど、どういうことだ!?」
「あっ、リック様、失礼なことを考えてますね。こう見えても私にもお友達はいるんですよ。アーくんとかマーちゃんとか」
どう見ても初期勇者パーティーの戦士アーカスと賢者マーシャのことだった。
しかし、俺の気がかりは全く別のところにあった。
――ま、まさか来るのってこの二人のどちらか……なんてことはないよな?
たった一人でさえ未だに追い出せずに困っているのに、それが二人ともなると今以上に手を焼くことこの上ない。
「そ、そうか。お迎えが来るんだな」
「違いますよ!? リック様に会いたいと来るんですよ。私がリック様の素晴らしさを存分に語りましたので」
――余計なことを……。
楽しそうに笑顔を見せるミリアを歯痒く思う。
ただ、少し気になるところもあった。
「でも、いくらなんでも手紙のやりとりが早くないか?」
「そ、そんなことないですよ!? ちょっとだけ。その、ちょっとだけ裏技を使っただけで……。べ、別にわ、悪いことじゃないんですよ。お、お金が少し掛かっちゃうくらいで」
ミリアは早口で必死に誤魔化している。
おそらくは超特急料金で手紙を出したのだろう。
確か魔法を使って念話を飛ばす形ですぐに情報を伝える、というものを聞いたことがある。
それを利用したのかもしれない。
それに掛かる値段は俺が二三年で稼ぐ金額に匹敵するとか何とか。
わざわざそんな手紙を出して一体何を報告してるのか……。
――ま、まさか俺が“真なる勇者”だとか送ってないよな!?
ミリアが抱える急を要する件なんてそれくらいしかないはず。
でも、俺は何一つ勇者らしいことはしていない……はず。
料理を食べる手が止まってしまう。
すると、ミリアが慌てて訂正をする。
「あっ、ち、違いますよ!? ちゃんと私のお財布からお金は出してますからね!? 借金なんてしてませんから!」
全く見当外れのことを言ってくる。
でも、これで少しだけわかったこともある。
手紙を送る相手が国や大神殿ならば自分で金を払うなんてことはしないはず。
それなら送った相手はミリアの知り合い。おそらくは戦士アーカスか賢者マーシャ。
この場合、アーカスならば難しい事を考えずに俺の力が無いことをすぐに理解してくれるだろう。
でもマーシャは……。
「いや、聞きたいのはそうじゃなくて、ここに来るのっていったい……」
「えっと、とっても可愛らしい子ですよ。マーちゃんって言うんですけど」
――賢者マーシャじゃないか……。
がっくり肩を落としてしまう。
ただ、さすがに王都にある魔術塔からこの田舎村までは早くても数ヶ月かかる。
その頃にはきっとミリアも帰ってるし、彼女がいないことを知ったらマーシャもすぐに帰るだろう。
何も悲観することは無い。
そう安心した瞬間に突然家の扉が強く叩かれる。
「ミリア、迎えに来たよ!」
「あっ、マーちゃん!」
「ちょ、ちょっとま……」
俺の静止を振り切ってマーシャは扉を開けてしまう。
するとそこに居たのは子供のようにしか思えない、小柄な少女だった。
ただし、着ている服装が賢者の装備である黒ローブととんがり帽子、長い杖だったために彼女が賢者マーシャであることはすぐにわかる。
――そういえばメインキャラの賢者マーシャはハーフリングだったな……。
思わず現実逃避していると次の瞬間に鋭い視線で睨みつけられる。
「そこのきみ、ミリアは返してもらうよ」
「あっ、はい。どうぞ」
「って、リック様!? 何を言ってるのですか!?」
思わず返事をしてしまったことでミリアが大きく目を見開いて驚いていた。
ただ、俺の本音はマーシャからしたら馬鹿にされたと思い込んだようだ。
「真面目に話す気がないんだ……。それなら勝負で決めるのはどうかな? きみが本当に勇者なら断らないよね」
「断る!」
「そう、それじゃあ、戦う場所は……って、えっ!?」
俺があまりにも即答するものだからマーシャは呆然としていた。
――勝負なんてどうでもいいからさっさと連れて帰って欲しいんだけど……。
反応に困ったマーシャはミリアに助け舟を求めて視線を送っていた。
ミリアは俺に視線を向けてくる。
“断って、そのまま帰ってくれ”
そんな気持ちを込めて見ると何を思ったのか、ミリアは大きく頷いて言う。
「えっと、この家だと危ないですから外でなら良いそうですよ」
――違う!! そうじゃない。なんで勝負をする前提で進むんだよ!? しかも仕事をしましたよって満面の笑みを向けてきて……。
ただマーシャはミリアの言葉は素直に聞くようだった。
「確かにこんなぼろっちい犬小屋だと危ないね」
――おいっ、犬小屋じゃないぞ!
少しだけムッとするが、相手が賢者だとまともに戦っても勝ち目はないので俺からは何も言わない。
「わかった。その要求を飲んであげるね。その代わりボクが勝ったらミリアは返してもらうよ」
「よし、それなら俺が勝ったらこいつを連れて帰ってもらうぞ?」
「あれっ? 私、どちらでも帰ることになってませんか?」
ミリアは首を傾げて呆然としている。
これならどういう結果になっても俺に損はない。さっさと負けてしまえばいいだけだ。
ただ、勝負なので俺にできる最低限のことだけはしておこう。
「それで場所だが、あの柵の向こう……とかはどうだ?」
「ボクはどこでも構わないよ」
「あっ、そこって……」
そういうとマーシャはぴょんっと柵を跳び越える。
俺としてはちょっと驚かせるだけのつもりだった。
何せ殺傷能力はないし、賢者なら飛行魔法とかで簡単に抜け出せるのだから。
ただ、賢者マーシャはここで予想外の結果を引き起こしていた。
柵を飛び越えた瞬間に裾を引っ掛けてそのまま顔から地面へと突っ込む。
更にそこにあった落とし穴に真っ逆さまに落ちていく。
頭から落ちたマーシャはそのまま目を回して気を失っていたのだった。
「えっと、勝者はリック様、ですね」
目を回しているマーシャを見て、ミリアは堂々と宣言する。
あまりにも予想外の結果に俺は呆然としていた。
――なんでこんなことになったんだ……。
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