第33話 竜


「浅黄、起きろ!起きろよ!」


 俺は、必死に浅黄に呼びかけた。


 怖いぐらいに反応がなかったまぶたが震えて、浅黄はようやく意識を取り戻した。


「虹色さん……」


 浅黄は、ゆっくりと立ち上がった。大きな怪我などはない様子であった。


 俺は、ほっとした。


 しかし、浅黄は動こうとはしない。虚空を見つめて、ぼんやりとしている。まるで、この世のことなど見えていないかのようである。


「おい、浅黄!目を覚ましたならば手伝え!!」


 多智の大声が響くなかで、浅黄は唇を動かす。その頬には、涙が流れた跡が見えた。


「僕は、本当は虹色さんを許してない」


 浅黄の近くに、竜の尻尾が落とされる。砂埃が舞うなかで、浅黄の姿が、一瞬だけ見えなくなる。


『死んだ!』

『ばか!直撃もしてないぞ!!』

『……これって、まずいだろ』

『S級冒険者が二人で勝てないって、どれだけボスが強いんだよ。いつもならば、一瞬でS級冒険者が勝つだろ!』


 視聴者のコメントは、驚きに彩られていた。


 今まではS級冒険者は最強だろう、と誰もが信じていた。しかし、二人がかりでも新しいボスを倒せない。その事実に誰もが絶望していたのである。


「くっ……チクショウ!」


 俺は、無力な自分が歯がゆかった。この場で何もできない事が悔しかった。


 多智がボスの竜と戦ってくれているが、一人では長く持たないだろう。浅黄の力が必要だった。


「浅黄、正気にもどれ!!このままでは、多智さんが持たない。お前が戦わなければ、ここにいる全員が死ぬかもしれないんだ!」


 俺は、浅黄の肩を掴んだ。


 助けてくれ、と浅黄に向かって俺は叫んだ。


「あの人は、いつも他人ばかりを助けて……。自分のことは二の次だった。だから、僕は虹色さんの考えが分からないままだ」


 何を言っているのだろうか。


 浅黄の呟きの正しい意味などは、俺には分からない。けれども、一つだけ分かることがあった。


「虹色さんに、囚われなくていい!」


 俺は、浅黄を抱きしめていた。


 S級冒険者故に、発達した浅黄の筋肉が服の上からでも分かる。これが中学生の肉体なのかと驚いたが、その筋肉が浅黄の人生だった。


「虹色さんは、誰かを助けるために死んだ……。虹色さんの行いは、立派だった。称えるべきだし、忘れなくていい」


 自分が刺されてもなお、他人を優先する。そんなことは、誰にでも出来ることではない。


「でも、お前は虹色さんじゃない。浅黄って言う人間で、虹色さんではない……」


 俺は、浅黄から離れた。


 それでも、俺の両の手はしっかりと浅黄に肩を掴んでいる


「他人のためではなくて、自分のため戦ってくれ。俺は、お前のファンだ。お前のことを知れば知るほどにファンになった。お前が、こんなところで死ぬのは見たくないんだ!」


 俺は深く息を吸って、吐いた。


「ファンのために、俺のためにーー生きてくれ!」


 浅黄の瞳に、光が戻った。


 けれども、浅黄は皮肉げに笑っている。


「ファンのために生きろ……か。そんなことを言われたのは初めてだよ」


 気がついた時には、俺は飛んでいた。いいや、跳んでいたのだ。


「へっ……。うあぁぁ!!」


 俺は浅黄に抱き抱えられていた。そのままで、浅黄は高く飛んだのである。元々いた場所には、竜の吹いた炎が届いていた。


 竜もすごいが、人を一人抱えて俊敏に動ける浅黄もすごい。双方ともに、生物の限界を超えている。


「火まで吐くなんて。すっごいなぁ」


 浅黄は、竜の多才な攻撃手段に感心していた。俺は、それどころではなかったが。


「これ、人間のジャンプ力じゃない!」


 悲鳴をあげる俺を無視して、浅黄は刀を抜いた。竜の足元に着地し、俺を抱いたままで再び跳び上がる。


「多智さん!」


 浅黄は、空中で叫ぶ。


 多智は地上で、竜の足に切りつけている。しかし、固い鱗のせいで傷はほとんど与えられないようだった。


「まったく、竜って丈夫すぎるだろ。こっちはS級冒険者二人が出張っているんだぞ」


 多智は、忌々しそうに竜を見た。


 しかし、口元は笑っている。仲間の浅黄が目覚めたからこそ、一筋の希望が見えたのであろう。


 だから、多智は笑ったのだ。


 すごい人だ。


「柔らかいところ……目や鼻を狙って!」


 浅黄の言葉に、俺は震えた。


 多智もふるえていた。竜は火を吹くのだ。だというのに、浅黄は竜の顔を狙えという。


「それは、面白いな!」


 多智は、高らかに言い払った。


 多智が震えていた理由は、俺とは反対の理由からだったらしい。多智の震えは、いわゆる武者震いだったのだ。


「俺と浅黄のタッグの強さを見せてやろうぜ!」


 多智は、剣を振り上げる。


 多智が狙ったのは、膝の関節の裏だった。足元を攻撃すれば、巨大な竜であってバランスを崩す。多智は、そう考えているようだ。


「関節も固いぞ!」


 多智は、舌打ちをする。


 多智は、浅黄ほど身軽ではないらしい。竜の足元を攻撃してバランスを崩させる作戦なのだろうが、竜の防御が鉄壁すぎる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る