第25話 悲しみのビデオ


 浅黄は、俺の撮影を付き合ってくれた。


 というよりは、元は浅黄たちが持ってきた話なのだ。別の大きな問題が浮上してしまったので、お流れになりそうだっただけで。


「多智さんたちは、たかがビデオやポスターが人の行動を変えるなんて思っていないようだったね」


 浅黄は、俺に笑顔を向けた。


「そうだな……」


 多智たちは、写真や映像の力を信じていないようだった。浅黄でさえも半信半疑だ。


 けれども、俺は信じている。


 写真映像には、人の人生を変えてしまうほどの力を持っているのだと。


 だからこそ、俺は緊急事態だというのに今更ながらビデオとポスターを作らなければと思ったのだ。


「それにしても、立派な写真館だ。身内のお店って聞いていたけれども、繁盛しているんだね」


 浅黄は、撮影に使う機材に興味を示していた。今はダンジョンに潜る為の装備を身に着けていないので、ジーンズとシャツのラフな私服姿である。


 浅黄の年齢を考えれば、少し大人びた格好かもしれない。シャツの胸ポケットに付いている小さな犬のシルエットの刺繍が、何処となく高価そうな雰囲気を醸し出している。


「あれから、多智さんたちは忙しそうだな」


 浅黄以外のS級冒険者たちは、それぞれが出来る限りのダンジョンを巡っている。俺たちが潜ったダンジョン以外にも、他のダンジョンに変動がないかを探っているらしい。


「そうだね。僕も撮影が終わったら、ダンジョンに潜るつもりだよ」


 浅黄は、撮影が終わればS級冒険者の役割を果たすつもりのようだ。


 貴重な時間を使わせてしまったことが、申し訳ない。それと同時に、ならば完成度の高いもの作らなければという気概も湧いてくる。


 俺は、伯父が営んでいる写真館に浅黄を呼び出した。今どき写真はスマホで撮ってしまうが、特別なときの写真は写真館で撮る人はそれなりにいる。


 伯父の店は成人式などの時期こそ忙しくなるが、あとは結婚式の前撮りの予約がぽつぽつと入る程度だ。


 今は閑散期なので、店には伯父と俺と浅黄の三人しかいない。


 そのため、店の物は壊さない範囲で自由に使って良いと言われていた。


「浅黄、ちょっと回ってくれるか?」


 俺の頼みに、浅黄は疑問符を浮かべながら従った。私服は似合っているが、俺のイメージにはそぐわない。俺が求めているのが、もっと儚いイメージだ。


「ワンサイズ上のシャツは……持ってきていたよな」


 俺は、浅黄に大きめのシャツを当てる。俺のやうりたいことが分からない浅黄は、ポカンとしていた。


「前髪は、なにかで上げてみるか。ワックスだとぴっしりしすぎるから」


 俺が持ってきたのは、女児用のクリップだった。クリアピンク色のクリップで前髪を留めて、ワンサイズ大きなシャツを着せる。


「幸さん!自分で、自分で脱ぐから!!」


 集中するあまり、俺は浅黄の着ているシャツのボタンに手をかけていた。浅黄はというと俺より強いのに、何も出来なくて涙ぐんでいた。


 本当は拒否したいが、下手に暴れたら俺が怪我をすると思ったのかも知れない。


「あ……悪い」


 俺はボタンから手を離したが、浅黄には上目遣いで睨まれた。よっぽど嫌だったらしい。


「言われた通りの着替えるから、変なことをして!」


 浅黄はご機嫌斜めだったが、持ってきたシャツには着替えてくれた。優しいというか御しやすい浅黄に、俺は心配になる。変な詐欺とかに引っかかりそうだ。


 俺の考えていることが分かったのだろうか。浅黄は、鬼の形相で俺を睨みつけていた。


「幸さんだから、信頼してるの!他の人だったら、絶対に言うことなんて聞かない!!」


 浅黄は怒りながら、大きすぎるシャツの袖をばさばさと振った。これだけは近所の店で買ってきたものだったが、良い買い物をしたと思う。


「なんか、すっごいダボダボ。これって、多智さんぐらい人のサイズだよね」


 浅黄は文句を言いながら、未だに裾を上下に動かして遊んでいる。袖を羽にして空でも飛んでいきたいのかと思われるような遊びである。


 着替えた浅黄は、俺の理想に近づいた。


 サイズが大きすぎるシャツは鎖骨を露わにし、逆に指先まで隠した。庇護欲がそそられる格好だ。今の浅黄は、S級冒険者の一人だとはとてもではないが思えなかった。


 もっと幼くて、もっと可哀想な生き物。庇護欲をそそられる子供の格好だった。


「えっと……本当にいいのかな?だって、手とかも隠れちゃっているし」


 衣装を着た浅黄は、不安そうにソワソワしている。いつも自信がなくなって、迷子になった子犬のような雰囲気だ。


「あ……ああ、それでいい。俺のイメージどおりだ」


 むしろ、ずっとイメージよりも良かった。


 壊れそうで、可哀想で、繊細なイメージ。浅黄は、そのイメージを上手く体現してくれている。


「これを持ってくれ」


 俺が浅黄に持たせたのは、黒い額縁だった。そこには、人物だと分かる程度に影が入った写真がはまっていた。


 個人を特定させない写真だったが、それを見た浅黄は一瞬だけ息を止める。


「これは、遺影……」


 浅黄が連想したものに間違いはない。浅黄が持たせたものは、遺影をイメージした写真だった。


 しかし、誰か遺影かは分からない。見る人が、自分の知っている故人を想像するであろう。


「俺がイメージした映像は、これだ。ポスターもこの雰囲気で撮りたい」


 俺は、自分がイメージをしたイラストを浅黄に見せる。下手くそなイラストのなかの浅黄は、虹色の遺影を持っている。


 イラストの浅黄には表情はない。


 のっぺらぼうだ。


 この瞬間の表情を思いつかなかった訳ではない。描けなかったのだ。浅黄のふさがり始めた傷から血を流した時の表情は想像できるのに、それを俺は描けなかったのだ。


「なんで……こんなものを」


 浅黄は、不安げに俺を見つめる。


 こんな時に限って、浅黄が歳下だと強く意識してしまう。まだ中学生で、周囲の手助けが必要な歳なのだと思い出してしまう。


「浅黄には辛いかもしれないけど……」


 泣いて欲しい、と俺は言った。


 亡くなった虹色を想って泣いて欲しいのだ、と。


「今更になって、虹色さんのことを思い出せと言うのは酷だと思う。けど、虹色さんの事を大切に思っているからこそ、他人のために自分を大事にして欲しいと言う思いが伝わると思ったんだ」


 俺の無茶を聞いた浅黄は、少し疲れたような顔をしていた。


 それは、俺が予想した表情だった。


 浅黄は、虹色の死を受け入れられていない。心のなかには、新鮮な傷があるのだ。俺は、その新鮮な傷をビデオやカメラに写したかった。


 浅黄の傷は、まだ新鮮だ。だからこそ、第三者にも失う痛みを思い出させる。共有することができると思うのだ。


 浅黄は震えていた。


 悲しみを突きつけられて、それでも涙を見せなかった。表情だけは、暗いものだったけど。


「これでも悲しみすぎたと思っているんだ」


 ポツリ、と浅黄は呟く。


「だって、他のS級冒険者には随分と心配をかけてしまったから。多智さんなんて面倒見が良いから、余計に手をかけさせてしまっている」


 だから、浅黄は悲しみを克服したフリをするしかできなかったのだろう。そうでなければ、周囲にもっと心配かけてしまうから。


「浅黄。俺は、癒えてしまう傷などありやしないと思うんだ」


 俺の言葉に、浅黄は何も答えなかった。


 浅黄がなにを思っているのかは、俺には分からない。それでも、俺は自分の考えを口にする。


 俺の考えや手段は、間違っているかもしれない。浅黄を傷つけるだけで、終わってしまうのかもしれない。


「時間が経っても、傷は癒えない。その痛みに慣れてしまうだけ。痛くないフリができるようになってしまうだけだ」


 それでも、俺は信じたいのだ。


 浅黄の悲しみは、人の行動を変えるほどのモノであることを。


 俺は、浅黄を椅子に座らせた。


 バックスクリーンは緑で、撮影が終わったら編集で砂漠を思わせる砂礫の色を使う予定だ。悲しみを砂漠の乾いたイメージでも表したかったのだ。


 俺はうつむいてしまった浅黄のおとがいに触れて、俯いていた浅黄を上を向かせた。もうすでに、浅黄は涙目になっている。


 普通だったら「可哀想に」と言っていたであろう。でも、俺に浮かんだのは別の感情だった。


 泣きそうになっている浅黄が、ダイヤの原石に見えたのだ。原石を削りたくて、磨きたくて、しかたがなくなってしまう。


「浅黄、俺に傷をえぐらせてくれ。吹き出る鮮血の代わりに泣いてくれ。この世から虹色が消えてしまった悲しみを……俺に撮らせてくれ」


 浅黄は、ぎゅっと額縁を抱きしめていた。あまりに弱々しい姿だ。普段の自信の溢れる姿からは、想像できない。


 普通だったら、この時点で撮影を止めようと言うかもしれない。だが、今の俺は浅黄を撮りたくてしかたがなかった。


 今の浅黄は、俺がイメージボードに描いた通りの浅黄だ。その弱々しさに、深い悲しみに、俺は目をそらすことができない。


 最初こそはうつむき、浅黄は自分の表情を——感情を隠していた。


 だが、それを俺が揺るがす。


 心の傷をえぐる。


 そこにいたのは、たった十四歳の少年だった。


 大切な人を失くして、もはや感情の抑制が出来なくなっている幼子であった。


「虹色さんは、僕にとっては兄のような人だったんだ。いや……あの人が弟みたいに扱ってくれた」


 浅黄は、俺を見上げる。


「僕の両親は忙しくて、僕は祖父に育てられた。祖父は元冒険者で……僕に戦うことしか求めなかった」


 戦いの才能がある孫は、祖父にとってはかつての自分の代わりだった。自分が届かなかった高みに登れる可能性がある子供だった。


「僕の価値は、強い冒険者になることだった。けど、虹色さんは人には沢山の価値があることが教えてくれた。強くない僕にも価値があるって……」


 浅黄は涙を流しながら、悲しげに笑った。


 美しい笑みだった。


 儚く、気高く、寂しい笑顔。


 俺は、その瞬間をカメラに収めた。シャッターを切る音が、スタジオに響く。


「あの時は、上手にお礼も言えなかった。僕は今より幼かったし、優しい虹色さんに対して甘えていた。僕の反抗期の相手は、虹色さんだった」


 虹色は、自分を見捨てない。


 大人に甘える子供の傲慢さが、反抗期である。浅黄は虹色に対してのみ、反抗してしまう事もあったらしい。


 普通の反抗期は、身内に対してイライラすることが多い。しかし、それは身内なら自分を嫌わないという甘えも多分に含まれているのだと俺は思うのだ。


 仕事が忙しい両親と孫に強さだけを求める祖父。


 身内に甘えられない浅黄が、無償の愛を感じられる存在は虹色だけだったのである。


 俺は、そんな傷だらけの浅黄をビデオやカメラで撮影した。


 撮るたびに、浅黄の悲しみを深く知れた。喪失の痛みは写真や映像で、浅黄を映すたびに鮮明になる。


 みっともなく嗚咽を漏らして泣いている浅黄の姿は、とても可哀そうだ。そして、同時に人の心を抉る姿でもあった。


「大切な人に死んで欲しくはないし、死んでしまえば自分を大切に思っている人を悲しませることになる。自分も『誰かの大切の人』だということを自覚して欲しい」


 浅黄の涙と虹色の死には、そんな当たり前を人々に訴えることができる。


 ダンジョンが危険な場所だ、と再確認させることが出来る。


「幸さんは、ズルい」


 浅黄は、俺の目を見ていった。


「……僕の感情を利用した。虹色さんの死すらも利用した」


 けれども——


 と浅黄は続けた。


「幸さんは優しい。ダンジョンで死ぬ人が少なくなるように、真剣に考えてくれた」


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