第20話 悲鳴の正体



「ん……なんか忘れてるような」


 浅黄は、首をかしげていた。


 激闘を終えて、自分がどうして戦ったのかを浅黄はすっかり忘れてしまっていた。


「悲鳴が聞こえたんだろうが」


 俺が耳打ちして、浅黄はようやく自分が戦った理由を思い出してくれた。


「そうだよ。悲鳴だ。悲鳴が聞こえて……」


 俺と浅黄が周囲を見渡せば、物影に隠れていた人影を見つけた。顔などは見えないので、高橋であるかどうかは分からない。けれども、無事ではあるようだ。


「すっかり忘れていた……」


 浅黄は残っていたチョコレートを口いっぱいに頬張って、隠れている人物に近付こうとした。


「こっちに来るな!」


 だが、隠れている人物は接近を許さない。けれども、今の声で分かった。隠れている人間は、高橋に違いない。


「モンスターに勝てなかった自分が格好悪いの?そんなことはどうでもいいから、出ておいでよ」


 浅黄が説得を試みるが、高橋と思わしき人物は出てこない。


「仕方がないか」


 浅黄は隠れていた人物の元まで近づき、首根っこを掴んで俺のところまで持ってきた。なお、引きずられてきたのはやはり高橋だった。


「馬鹿!撮るな、馬鹿!!」


 高橋は叫んで逃げようとしているが、浅黄は逃がそうとはしない。それにしても、高橋も校則破りをしていたなんて知らなかった。


 今はダンジョンに潜る事についてのうんぬんは校則破りではなくなったが、高橋には関係ないだろう。元より校則破りなんて、屁にも思っていない人間だ。


 それにしても高橋は、なんで『撮るな』と叫んでいるのだろうか。


 配信用のカメラに顔が映る心配をしている、という可能性はあった。


 モンスターと戦って逃げたことが恥ずかしくって、カメラに映されたくないのかもしれない。しかし、相手のミノタウロスは、S級冒険者をちょっとばかり本気にさせた相手だ。


 それに浅黄が倒したミノタウロスは、普通の個体よりも大きかったから。負けて逃走したとしても恥ではない。プライドが高い高橋は、それすらも許せないのであろうか。


「ん?なんか変な臭いがする」


 浅黄が首を傾げる。


 言われてみれば、それとなく匂うものがあった。臭いのもとを探すようにカメラを動かしていれば、高橋のズボンにたどり着く。


「あ……」


 俺は気がついてしまった。高橋のズボンの股間が濡れているのである。


 高橋は、恐怖のあまりに失禁していたのだ。しかも、それは全世界に放映されてしまったのだ。いたたまれなくなった俺は、浅黄からカメラをズラす。カメラのモザイク機能を切っていたからだ。


 その……よくあることだ。


 恐怖からの失禁というのは。


『あーあ、ミノタウルス相手に漏らしちゃっているよ』

『一人でいたってことは、パーティに置いていかれたのか?』

『おもらし野郎なら置いてくだろ』

『初心者ならともかく、第四階級に潜れるような冒険者が失禁してるのは情けないよな』

『冒険者の恥だ』


 高橋のことは映像には映さないようしたが、色々と遅かったらしい。視聴者は様々なことを好き勝手言っている。


『あー、コイツ。高橋じゃん。高橋望』


 視聴者のなかに、高橋の本名を知っているものがいた。ちなみに、俺はクラスが違うので高橋の本名を知らなかった。


『いつもは第二階層ぐらいでたむろっていて、初心者から金を脅し取っているんだよ。今日はミスって、第四階層まで来たんじゃないのか』

『モンスターを舐めていたんじゃないのか。普段は弱い人間ばっかり相手にしているからな』

『パーティの仲間がいないのが笑える。一緒にいる奴らに見捨てられたんだ』


 俺と視聴者は、モンスターに恐れをなしたパーティが高橋を見捨て逃げたものだと思っていた。


 それにしても、高橋というのが予想以上の悪である。ダンジョン内でもカツアゲをしていたなんて。


「ふーん」


 視聴者のコメントを聞いた浅黄は、少しばかり悩んでいた。


「君って、どれぐらいの強さなの?」


 浅黄の質問に、高橋は顔を背ける。とても恥ずかしそうだったが、浅黄の視線の耐えきれなくなって高橋は口を開いた。


「A級冒険者だ。でも、何時もはこんなことはないんだからな!今日は仲間が集まらなかっただけで……」


 いいわけじみた言葉だったが、仲間を連れてこなかった事は真実なのだろう。一人でミノタウロスに挑んで、恐怖のあまりに失禁したに違いない。


 俺は、高橋に対して思わず溜め息をついた。ダンジョンでさえ、高橋は徒党を組んで悪さをしていたらしい。今日だけ一人できた理由は分からないが、きっと悪事をしに来たに違いない。


 それにしても、A級冒険者だと言っても一人で第四階層に挑むなんて無謀に過ぎる。普通だったら、もっと仲間を引き連れて攻略するべき場所だ。


「くそ!また、お前らかよ!!俺の行き先に何度も現れやがって」


 高橋は俺たちに向かって怒鳴っていたが、失禁姿では迫力もない。むしろ、哀れだ。


「えっと、高橋君……。タオルいる?」


 浅黄は気まずそうな顔で、タオルを高橋に出す。高橋は無言でタオルを受け取って、なんとも言えない無言の時間が流れた。


「もしかして、第四階層は初めて?初めての階層を一人で挑むのは感心しないよ」


 浅黄は、S級冒険者としての注意喚起をおこなう。それによって場は和まなかったが、視聴者のコメントの勢いを増していた。


『どうせ、金目当てだろ』

『第四階層は実入りがいいからな』

『パーティを組むと金を分配しないといけないから、ソロでやっているのか?』

『そんな奴は助けなくていいって』


 高橋の日頃の行いが悪すぎた故に、彼に同情する声はなかった。ダンジョン内でカツアゲをやっていたようなので、自業自得だろう。


 俺だって同じ立場にいたら、高橋のことを擁護せずに攻撃をしていたかも知れない。


「ダンジョンでカツアゲなんて、普通はしないよな」


 ダンジョン内でも外と同じことをしているなんて、と俺は呆れてしまう。こんなのでもA級冒険者になれるのだから、S級冒険者には人格も求められるのだなと思った。いくら強とも高橋のようなS級冒険者なんて御免である。


「今日は、ここら辺にしようか。彼を出口まで送らないといけないし」


 いくら高橋が悪党であってもダンジョンにいる限りは、浅黄は死なせたくないと思っているようだ。撮影を中止してまでして、すぐにでも高橋を外に連れ出したいと思っているようだった。


 浅黄の提案に、待ったをかけた人間がいた。高橋で自身ある。高橋は顔を赤くしており、みっともなく失禁している状態だ。


 俺と浅黄は、顔を見合わせた。


 まさか助けられる側が文句を言うとは思って見なかったので、俺はびっくりした。普通の救助者は、自分の希望なんて言わないものだ。


「出入り口には……人は多いだろうが」


 高橋は、人の目につくことを嫌がった。


 恐怖のあまりに失禁したというのは、たしかに恥ずかしいだろう。プライドが高い高橋にとっては、それこそ死にたいほどの屈辱だろう。


「でも、それが一番安全だよ」


 浅黄は、高橋の失禁をなんてことない事のように扱う。ダンジョンの警邏を普段から行なっている浅黄にとっては、恐怖からの失禁はよくあることなのかもしれない。


「こんな姿を人に見せられるか!」


 高橋は、怒鳴った。


 その声が反響して、ダンジョンに響き渡る。


「あの……大丈夫ですか?」


 第四階層を攻略中のパーティが、ひょっこり顔をだす。


 モンスターに誰かやられたと思って、親切心から様子を見に来たのだろう。いつでも攻撃できるように武器を握っており、メンバーのそれぞれが緊急事態に備えている。さすがは第四階層に潜っているパーティだ。緊張感が違う。


「失禁した人を保護したんだ。でも……ちょっと問題が」


 浅黄は、なんのためらいもなく事情を話す。やってきたパーティが高橋を見る目が冷たくなったのは、気の所為ではないだろう。


「入口に戻るのも嫌だっ言って、困っているんだよ。入り口には人が多いって言って。失禁なんて、よくあることなのに……」


 浅黄は、ため息を吐く。


 他人を助けることが多い浅黄にとっては、失禁など慣れたものなのだろう。浅黄の顔には嫌悪感がなかった。ただし、高橋の言動を面倒くさがってはいた。


 パーティの一人が浅黄の顔を見て、息を飲む。その人は震えながら、浅黄を指さした。


「もしかして、浅黄?S級冒険者なんて初めて見た!」


 パーティ内に、浅黄のファンがいたらしい。目輝かせながら、汚れた手を色んなところにこすりつけて綺麗にする。そして、浅黄に向かって手を伸ばした。


「S級冒険者になりたての時からのファンです。よかったら、握手してください!」


 浅黄は少しばかり困った顔をしながら、握手に応えた。コメント欄は『俺も握手したい!』という言葉が無限に飛び交う。


「僕なんかの握手より、多智さんとかの握手の方がきっと価値があるのに」


 首をかしげる浅黄は、自分の価値が分かっていない。推される側のちょっとしたことが、俺達ファンには素晴らしい栄養になるということを。


「あの……S級冒険者の浅黄さんがいるなら、第五階層のボスを倒すのはどうでしょうか?」


 浅黄のファンは、そんな提案をした


 自分のファンの言葉に、浅黄は「その手があったか」とぽんと手を叩いた。俺と高橋は、互いに顔を見合わせる。


 ダンジョンではボスを倒すことで、普通の出入り口とは別の場所に飛ばされる。そこはダンジョンの裏口のような場所で、正規の入り口と比べれば人気は少ない。


『失禁を隠すためにボスを倒すって』

『でも、もうネットで画像は出回っちゃってるぞ』

『名前と学校も特定されちゃっている。今までしてきた悪さのツケがまわってきた感じか』


 出来るだけカメラに映さないようにしていたのに、高橋はネットの中の玩具になっていた。しかも、本名まで特定されている。この分だと成績や住所まで特定されそうだ。


 浅黄が、俺のカメラに映り込むために近づいてくる。浅黄のやりたいことは分からなかったが、俺は浅黄の撮影を続ける。


「あんまり、高橋の映像を流出させないで欲しいな。可哀想でしょう。あと、あんまり高橋に対して酷い事を言うとボスにいどまないよ」


 高橋を擁護する言葉に、俺は唖然とした。


 ネットの世界では無理な話であろうし、何より遅すぎた。すでに浅黄の失禁映像はネットの世界をさまよって、流出をしてしまっている。それらを消そうとするのは無理があるし、流出だって止めようがない。


 しかし、浅黄の発言に、コメントは沸いた。


 浅黄が高橋をかばったことに、視聴者が感動したのだ。俺としては浅黄の言葉は、優しいとは思えない。


 高橋の失禁動画の拡散防止など不可能なのだから、浅黄が頼んだところで焼け石に水だ。


 つまりは、浅黄は不可能なものお願いしているのだ。俺は浅黄に対して、無知さを感じる。


 視聴者たちは違うらしい。


 しかし、コメント欄は浅黄を褒め称えている。


『さすが、S級。やさしー』

『そんなやつのことは考えなくていいよ』

『高橋は何言われようとも自業自得』

『S級冒険者のボス戦は絶対に見たい』

『高橋なんて、どうでも良い。ボス戦が見たい!!』

『失禁したのって、全面的に高橋が悪いよな』


 浅黄の言葉には、様々な意見が飛び交った。


 そのうちに高橋は許せないが、浅黄の戦闘は見たいという中途半端な意見が大多数になる。想像できたことだ。それにしても、高橋は周囲に嫌われ過ぎている。


「なら。ボスと戦うから、勝ったら個人情報をさらしたりするのは止めてね」


 浅黄の決断に、俺は首を突っ込む気は最初からなかった。しかし、すでに特定された情報の拡散を防ぐのはさすがに無理だろう。高橋の悪名は知り渡っているようだし。


「個人情報の拡散を止めるのは無理だ」


 俺は、浅黄に耳打ちした。


 あまり高橋とは関わって欲しくもなかった。高橋の粗暴さが、浅黄に移ってしまうかもしれないという馬鹿な考えが浮かんできた。


 すると浅黄は、少し悲しそうな顔をする。


「分かっているけど、少しでも嫌な情報を広がるのは防ぎたいよね。僕も戦闘中に転んだ時の画像が広がったことがあったし」


 それとこれとでは話が違う。


 浅黄は自分のドジだが、高橋は自分で撒いたタネのようなところがある。普段の行動が少しでも良かったら、悪意を持った映像の拡散はされていなかったであろう。


 しかし、浅黄は俺が思うよりも考えていた。


 拡散を止められると思っているあたり浅黄はてっきりネットに詳しくないと思ったが、そういうわけでもないらしい。


 独善的とも言える浅黄の行動に、俺はどうしてか虹色を思い出していた。自分を刺した人間すらも助けた虹色に、浅黄は似てほしくはなかった。


 俺は、浅黄に死んで欲しくはなかった。


 他人の命を助けるのならば、自分の命も大切にして欲しかった。


「あのな、浅黄。お願いがあるんだ」


 俺は真剣な顔で、浅黄に向かって言っていた。さっきまでと俺の様子が違うことに、浅黄は首を傾げていた。


「人のために死なないでくれ」


 まるで、祈りのような気持ちだ。。


 浅黄は、俺の脳裏に虹色が浮かんだことを分かっているようだった。


 浅黄は十四才あることを忘れてしまいそうなほどに大人びた顔で答えた。俺は、その表情を忘れないであろうと思う。それぐらいに、印象的な表情であった。


「無理だよ。僕は、S級冒険者。悲鳴を聞こえたら、走らなければ」


 それは、虹色に影響を強く受けているからの言葉からなのか。俺には分からないが、少し悲しくなってしまった。


「それに、僕は強いよ。心配しないで」

 

 にこっと浅黄は笑った。


 俺を安心させための笑顔である。浅黄は、賢く優しかった。だからこそ、相手の気持ちが分かってしまう。この言葉が、俺の機嫌をとるための言葉ではありませんように。


「じゃあ、ボス戦に行こうか」


 パーティの人々とは、ここで別れることになった。全員が経験彷彿そうであったが、彼らはボス戦に耐えきる装備を持ってきていないらしい。


 それでは、足手まといになるというのである。自分の装備と経験。状態に応じて行動できるということが、俺には好ましかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る