第13話フレア


家を出ると侯爵家の馬車が待っていた。


中から工房主任のマイクさんが出てきて、私が馬車に乗るのに手を貸してくれた。

工房の経営者でもある侯爵様が、私の迎えに馬車をよこしてくれたのだった。


私が働いている工房はジェームス侯爵が所有する宝飾工房で、王都でも一番大きなジュエリー工房だった。

ジェームス侯爵は、大きな鉱山の採掘権を所有していて、そこから宝石になる原石が採掘されている。侯爵様は、それを研磨、加工し商品化するまで、全て自分の会社で行うことに成功した。

加工してできあがったジュエリーは世界のセレブ達や、王族に人気だった。

ジェームス侯爵のビジネスは成功し、今では国で一番の宝石商となり莫大な利益を得ていた。


ジェームス侯爵はとても上品な初老の紳士で人望も厚い。奥様である侯爵夫人もお優しく、皆に慕われる方だった。

私の作ったジュエリーを気に入ってくれた奥様の紹介で、今の工房に職を得た。引き抜きのような感じで雇われたこともあり、かなりの好条件で働かせてもらっている。


迎えに来てくれたマイクさんは、私より5歳ほど年上で、侯爵様の片腕として働いていた。


「大丈夫だった?」


マイクさんが心配して声をかけてくれた。

彼は私の事情を知っている。


「ええ。大丈夫でした」


「言いたいことはちゃんと伝えられた?」


「そうですね。顔には出しませんでしたけど、離婚届けがすでに提出後だったことに驚いていたようでした」


「離婚したくないと言われなかった?工房へ来たとき、かなり俺に突っかかってきたからな」


そう言われても、すでに離婚は成立している。


「その節はご迷惑をおかけしました。単に離婚により、自分の社会的な立場を脅かされるのが心配だったんじゃないでしょうか。そういう人です。それに……」


「それに?」


「子どもも2人もいる40近いオジサンなわけです。恋愛にうつつを抜かして、脳内が十代のようなところに、すこし引きました」


「え!そう……なんだ」


「ええ。だって、家庭を持った立派な父親なわけです。不倫相手と旅行へ行ったり、高価なプレゼントをしたり。はしゃいでいた彼の行動に恥ずかしさを感じました。もっとやるべきことがあるでしょうと思いました」


私がグレンと彼女の浮気のことを話している間、青ざめて小さくなっている彼の姿は情けなかった。

顔を伏せたきりで口も利けないように打ちひしがれるグレンはみじめで嘆かわしいと思った。


いっときでも、この人を愛したことがあるなんて信じられなかった。

思わず彼を冷めた目で見てしまった。




家を出ることを決めたとき、住む場所を探してくれたのはマイクさんだった。

今私は、王都にアパートを借り、工房の近くで快適に暮らしている。


夫の下着の洗濯やアイロンがけ、彼の好きな物を買いに行き、食事の準備をする必要もない。


全ての家事は自分のためだけにすればいい。

これはかなり快適な生活だった。


好きな物を好きな時に食べればいいし、自分のお気に入りの家具や雑貨を揃えられる。

そしてジュエリー制作は、趣味と言ってもいい大好きな仕事だ。今では時間を気にすることなく何時間でも働ける。


一日中自分の好きなことだけしてればいいなんて、まさに天国だと思った。


「今まで君が受けていた酷い扱いに対して、仕返しはできた?」


「夫が浮気をしていた。彼をまだ愛していたのなら、それはとても辛かったでしょう。けれど正直、もう何年も前から、夫は給料を運んでくるだけの人としか思っていませんでした」


「そうなんだ」


「彼に同じ思いを味わってほしいとか、復讐に労力を使うのは時間の無駄です。彼に謝ってもらったり、彼の反省の態度を見たいわけでもない。それでお腹が膨れる訳ではないですから。失った時間は取り戻せませんしね」


「それでも、謝ってもらわなくちゃ気が済まないだろう?」


「私は、謝られても今更だと思っています。償ってもらう手段はお金しかないでしょう」


「彼に対して、慰謝料を請求するんだね。フレアは長年精神的苦痛を受けていたわけだから当然だ」


そうは言っても、慰謝料の金額などたかが知れている。

妻が家事をするのは当たり前、夫に尽くすのは当然だと言われる時代だ。

離婚に対する慰謝料請求は、この国の法律ではきちんと定められていない。


争ったり、訴えたりする労力は無駄だし、なにより時間がかかり面倒だ。



「彼が自ら償いのお金を差し出すように仕向けます」


「どうやって?」


マイクさんは問いかけるように眉を上げる。



「方法は考えているので大丈夫です。彼の身ぐるみを剥がします」



「元旦那さんを丸裸にするんだ……はは、なんだか少し……怖いな」


彼は目を丸くした。


「もちろん浮気相手のメリンダ様にも、その恐怖を味わってもらうつもりです」



私はいたずらっ子のような笑みをマイクさんに向けた。




***



騎士の仕事で一番お給料が高くなる職務は、命を危険にさらすような場所で任務に就くことだ。


騎士の奥さん同士の会話の中で、危険手当が付き、なお且つ歩合で報奨金が出る勤務地を私は知った。


グレンがその仕事を志願するよう私は彼を誘導する。


グレンが騎士の仕事を辞めてしまえば、収入源がなくなる。それは避けるべきだ。


今回の話し合いで、グレンは私が教育資金として貯めた、1000万ゴールドを好きに使えばいいと言った。

彼の性格上、一度口から出た言葉は取り消さないだろう。


そして学費はグレンが出すと言っていた。

寮費と学費の全額を資料としてまとめて渡したから、彼が自分の貯金からそれを支払うだろう。


まだゼノとルナは未成年だ。月々、子どもの養育費を出すというのなら、しっかり頂くつもりだ。

責め立てて奪い取るのではなく、自ら進んで支払うように仕向ける。


正直にいうと、私の給料は現在の彼のそれを上回っている。

子ども二人を私の収入だけで育てるのは可能だ。

けれど、グレンはそれを知らない。


私はゼノとルナの前でグレンを悪く言ったことは一度もなかった。

父親を嫌わないよう、生意気な態度を取らないように育てた。

幼い頃から、グレンを父親として尊重するよう教えてきた。

彼はそういう子どもたちを可愛いと思っているし、愛情もあるはずだ。


離婚して子どもたちを見捨てたとなれば、騎士仲間や、近所の人、友人たちにも心象が悪くなる。

彼の社会的な立場もなくなってしまうだろう。


それを避けるには、ちゃんと親として養育費は出しているという事実が必要だろう。



彼には父親としてのプライドがある。


そして子どもたちまで失いたくはないだろう。


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