第10話グレン、フレア


それから数日考えた。


ゼノが言うように、離婚届にサインしない限りフレアは俺と会わないだろう。

けれど子どもの学園の費用の件もあるし、彼女の生活費も渡さなくてはならない。話し合いはしなければならない。


あれから調べてみたが、家の金をフレアが持ち出した形跡はなかった。

いくら働いてるとはいえ、手持ちの金がなくなればフレアも長くは生活できない。

もしかしたら書かせるだけで届けは出さないかもしれない。

それに、離婚したとしてもまた再婚し直せばいいのではないか?

とにかく俺を責めて、浮気の反省を促すのが目的だという可能性もある。


甘い考えかもしれないが、俺はそれに懸けた。

15年間夫婦としてやってきた絆は俺達にあるはずだ。


離婚届にサインをし、俺はフレアの働いている宝飾工房へと向かった。


門衛に用紙を渡すと、しばらくしてフレアからだというメモを従業員が持って来た。


『確かに離婚届を受け取りました。明日の夜、仕事が終わったら家へ戻ります』


やった!と、俺はその場でガッツポーズをした。



今まで夫として、俺は妻に暴力をふるう訳でもないし、怒鳴りつけることもなかった。

ありがとうと、感謝の言葉は常に言っていた。

生活に苦労させてはいなかった。

生活費は十分渡していた。


フレアが作る飯は残さず食べていたし、掃除や洗濯、家事に文句を言ったことはない。

近所の人やフレアの友人にも態度よく接していた。

自分で言うのもなんだが、見目が良く背も高いし、婦女子に人気がある。


なによりこの歳で騎士団の副団長だ。

出世頭だと言っても過言ではない。

彼女にとって俺は、自慢の夫だと思う。


話し合いさえすれば、きっと考え直してくれるはずだ。

俺が全て悪かったのは事実だ。妻としてのフレアには全く落ち度はないのは分かっている。

そこはちゃんと彼女に言って誉めてやろう。



***



部屋が荒れ放題なのは良くない。フレアが帰ってきたとき、汚い部屋だと嫌気がさすかもしれない。

そう思い、俺は休みを取って部屋を片付けた。


洗濯は溜まっていたし部屋はゴミだらけだった。

食器を洗う時に3つも皿を割ってしまったが、新しい物を買えばいいだろう。


意外と家事は難しかった。アイロンは一枚シャツを仕上げるのに1時間もかかった。

仕方がないので、手で伸ばしてそのままハンガーにかける。

箒で室内を掃いて、ゴミは纏めて焼却した。


夕方までかかったが、なんとか部屋は綺麗になった。


もしかしてフレアは腹が減っているかもしれない。

帰ってきたら夕飯を作ってくれるかもしれないが、俺が用意しておいた方が喜ばれるだろう。

急いでレストランへ行き、持ち帰り用に出来合いの物を詰めてもらった。


酒屋でワインも買った。

二人で酒を飲むのはいつぶりだろう……そんなことを考えていると、もう辺りは暗闇になっていた。


もしかして彼女は家にもう着いているかもしれない。

俺は家までの道を走って帰った。


しかし、今か今かとフレアを待つが一向に帰ってくる気配がない。

仕方なく先に風呂に入った。


明日は休日だから残業なのかもしれない。彼女も明日はきっと休みを取っているだろう。久しぶりにゆっくりと話ができる。

そう思いながら冷めた夕食を前にして、彼女の帰りを待った。


***


いつの間にか夜が明けて窓の外が白みかけてきた。


俺は寝ずにフレアを待っていた。

何か事件に巻き込まれたかも、事故に遭って怪我をしているかも……

心配で何度も家の外へ出て周囲を確認しに行った。


彼女は帰ってこなかった。


朝日が昇る。

とうとう一睡もできず、ダイニングの椅子に座り朝を迎えてしまった。


その時、玄関のドアがガチャンと開いた。


「フ、フレア……」


「あら、グレン。起きていたのね?先に寝ていてもよかったのに」


そう言って、何事もなかったかのように普通に家に入ってくる。


1週間ぶりの妻の顔だ。


とにかく無事でホッとした。


「心配した……」


そう言って彼女を抱きしめようと腕を伸ばす。

フレアはその腕をよけて、まっすぐダイニングに向かうと椅子に座った。


「食事を用意していたのね。ありがとう。でも、お腹はすいていないわ」


人がせっかく準備して、食わずにずっと待っていたというのに、なんだその言葉は。

さすがに腹が立ち、口を開いた。


「遅くなるなら連絡が欲しかった。寝ずに待っていたんだ。夕食も無駄になった」


「グレン、あなたがいつもしていたことでしょう?怒らないでちょうだい」


くそっ、思い返すと確かにそうだった。

彼女の言う通り、俺は帰ると言って帰らないことがしばしばあった。

そういえば最後の日も、彼女は待っていたんだ。

彼女がいつも俺の食事を作って待っていたのかと思うと、今まで普通にして来たことがどれだけ迷惑だったか分かった。

相手の気持ちを考えない悪行だ。


「……」


俺は両手で自分の頬を叩く。


「座りましょう。食事はあなたが食べればいいわ」


「ああそうする。温めたらいつでも食べられるから」


何とか顔に出ないように怒りを鎮める。

俺はここ何日も食欲がなく、体重も減った。フレアは前と変わりがないようだ。皮肉なもので、久しぶりに見る妻は、以前より綺麗になったかもしれないとさえ感じる。

俺がいなくても普段通りの生活ができていたのかと思うと悔しい。


「離婚届、ちゃんと受け取ったわ。昨日提出したから、もう貴方と私は夫婦ではないわ」


……っ、もう届け出たのか……くそっ。


「そうか。わかった」


内心の焦りを気取られないよう、冷静に返事をした。


「今後のことを話し合わなければならないと思って、ここに来たの」


「そうだな。子どもたちのこともある」


そうねとゆっくり彼女は頷いた。



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