第9話 朔見屋敷 7
甕を完全に掘り起こすと、ちょうど河静が戻ってきたので、念入りに結界を張り、続きは翌朝という流れになった。
連れ立って母屋に戻りながら、泰時は杏珠の方を見た。
「ご不満でしょうか? 杏珠さま」
「いいえ。ただ、気になりますので、気が気ではないというか」
不満を口にした覚えはないが、表情に表れていたのかもしれない。杏珠は慌てて首を振る。
疲れていては術の精度が落ちるのは当然であるし、呪いを扱うなら圧倒的に昼間の方が安全だ。そうはわかっていても、疑念が疑念のままの状態というのはどうにも気持ちが悪い。その思いを泰時に見抜かれてしまったようだ。
「もちろんそれは私の心の問題ですので、泰時どのの判断は正しいと思います」
人足達も疲れきっており、時折欠伸をかみ殺すようにしている。早く休みたいに違いない。杏珠自身も、精神は高ぶっていても、体力は限界に近いのだ。
「杏珠さま。このようなことを申し上げるのはどうかと思いますが、今日はあなたがたお二人にとって、初夜でありましょう?」
からかうような口調で、河静が指摘すると、泰時が咳きこんだ。
「おやおや、大丈夫ですか? 辰野さま」
にやにやと口元に笑みを浮かべながら、河静は泰時を気遣う。
「そういえば、私、嫁入りしたのでしたわね」
杏珠はポンと手を叩いた。
降嫁したその日の夜に、こうして狩衣姿で歩いているのも不思議な話だ。あまりにもいろいろありすぎで、いったいどうしてこうなったのかを忘れてしまっていたほどである。
「さすがに呪物があるような状態ですし、夜も遅い。杏珠さまもお疲れでしょう」
泰時は、顔を暗闇でもわかるほどに朱に染めた。
「その件は、後日また、あらためて吉日を選びということにいたしましょう。杏珠さまには安心して嫁いでいただきたいのです」
「……はい」
あまりに泰時が真面目に杏珠を見つめながら話してくるので、杏珠も恥ずかしくなる。
大事にしたいという想いが伝わってきて、杏珠の鼓動も早くなっていく。
「こうやってみると、杏珠さまも年頃の姫君だったのですねえ」
杏珠の表情の中に何を見たのか、くすくすと河静が笑った。
「ちょっと、河静兄さま!」
「いやあ、大きくなられたと思っただけですよ。これならば、案ずるまでもなく、すぐに子宝に恵まれそうですね」
「河静どの、この状況でそのような話は勘弁していただきたい」
泰時は思わず苦笑する。
初夜が延期になったという話をしているところで、どうしてそういう話になるのか、と泰時は言いたいのだろう。とはいえ、新婚をからかう定型句のようなものだ。その言葉に深い意味はない。
「冗談はさておき、私も疲れました。寺の方でもいろいろ聞いてまいりましたが、それは明日にいたしましょう」
「すまぬ。今日はうちでゆっくり休んでくれ」
花山は都の中心から少し離れているため、山科の家と陰陽寮、どちらに戻るにしろかなり遠い。
「河静兄さま、お務めとはいえご苦労様です」
杏珠は、職務で泊まりになってしまった従兄をねぎらった。
「お心遣い、ありがとうございます」
河静は謝意を伝える。この時間に帰れと言われ、屋敷を追い出されるようなこともよくあるらしい。陰陽師というのは、かなり大変な仕事のようだ。
「やあ、夜空が綺麗だ」
泰時に言われて、杏珠も空を見上げる。
月のない夜のせいか、星が降るように美しかった。
翌朝、杏珠は、再び狩衣に着替えた。
動きやすいからというのが一番の理由だが、不思議な話、男装をしていると素顔をさらしていても平気だが、袿姿の時は、顔を隠さなければいけない気がしてしまう。もちろん、杏珠とて、宮廷内でいつも顔を隠していたわけではないのだが。
「杏珠さまはこちらへ」
案内されたのは、昨日の小屋のすぐそばだった。小屋の外に幾重にも張られた結界にほど近い場所に緋毛氈がしかれている。
泰時と河静は立っているが、杏珠はそこに座れということのようだ。
杏珠としては少々不満ではあるが、これは河静の仕事である。そう考えると泰時も杏珠とともに座るべきであるが、七星剣の使い手として河静を補助するということなのだろう。
「はじめます」
河静はパンと柏手を一つ打った。
臨兵闘者 皆陣列在前
九字を唱えた河静は、甕のふたを外した。
すると陰気の塊が甕から拭きあげる。
河静は懐から小さな霊玉を取り出した。陰気は鏡に吸い込まれていく。
何が見えているのか。河静の眉間にしわが寄る。
「皆様にお見せいたしましょう。たらいをこちらへ」
河静がしようとしているのは、呪いの正体そのものを映し出す術である。
杏珠自身はまだ使うことのできないものだ。
河静はたらいに霊玉を置くと、その上からなみなみと酒を注ぎはじめた。
「……どうして」
女が泣いている。血の涙を流しながら、泣いていた。
女の手には、赤子がいた。が、赤子は既にこと切れているようだ。
「愛していると
女の声はかすれる。
「なぜ、
女はただ、ただ、泣き続けた。
どれくらい泣き続けたのだろう。
『男が憎くないか』
声が聞こえる。
「憎い」
いつの間にか女の頬はげっそりとやせ細っていた。
『ならば力を授けよう』
その言葉に耳を傾けているうちに、女の顔に笑みが浮かんだ。
女は闇の中、手で穴を掘り続ける。
「もっと深く。もっと深く」
やせ細った指は真っ黒だ。女は道具を使うということすら忘れてしまったようで、ただひたすらに、自分の手で土塊をかきだしている。
何日も眠らず、何も口にせず、ただひたすらに穴を掘り続け、『声』の言う通りに甕に、誰にも盗られぬように『大切なもの』をしまう。
もはや女は一人だった。
少し前まで、女を気遣う者もいたはずなのに、もう『声』の他は、誰も女を気にする者はいない。
土塊を埋め戻し終えると女は、『声』に導かれるまま、首をくくった。
再び、パンと、河静が柏手を打つ。
ひふみよ いむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑに さりへて のます あせえほれけ
河静の静かな声とともに唱えられたひふみの祓詞とともに、重苦しかった辺りの空気が作り替えられていき、柔らかな風が吹き始めた。
「今のは……」
「この屋敷のもともと住んでいた、
河静は甕の中を見ながらため息をつき、泰時に答える。
「呪いの相手は、藍川の家に婿養子に入った
「……ということは、まだ、生きているのですね」
杏珠は呟く。
呪いの対象がいなくなれば、呪詛は消えるはずだ。それが維持されるということは、どこかでその男は生きている。
「緑安寺で聞いた話によれば、この屋敷は半月から数年単位で何度か家主が変わっております。なんでも家運が傾ぐとか。いつのころからか、この屋敷は
河静は大きく息を吐いた。
「直接呪詛が働くわけではありませんが、これだけ大きな呪いがあれば当然と思われます。ここをあえて辰野さまにおすすめした参議の森野さまが、どこまでご存じかはわかりませんが──」
「ようするに、嫌がらせくらいには思っていたとみて間違いないだろうな」
泰時は驚いた様子もなく、そっと肩をすくめた。
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