第7話 朔見屋敷 5

 寺から使者が来たので、を河静が付き添って寺へ護送することになった。

 緑安寺はそれほどここから遠くないとはいえ、河静がここに戻ってくるとしたら深夜のため、掘り出し作業は先行して行うと決め、準備を始める。

 人足たちにまずは食事をとらせている間に、杏珠は窮屈な壺装束から狩衣に着替え、身体守りの符を人数分用意した。もちろん、これは『河静』が置いていったということにして渡すことになっている。

「殿下」

「将軍?」

 声に驚いて振り返ると、膳を手にした泰時が部屋の入口に立っていた。

 泰時は杏珠の姿をまじまじと見つめている。着替えると伝えてはあったが、男装をするとは言っていなかったことに杏珠は気づいた。

「ごめんなさい。この格好の方が仕事がはかどるので」

「いえ。凛々しいお姿に見とれてしまいました」

 こほんと泰時は咳払いをする。照れているのだろうか。少し顔が赤い。

「遅くなってしまいましたが、お食事をお持ちしました」

「まあ、将軍自らお持ちくださるなんて」

「殿下に何かあっては困りますので」

 真面目な顔で泰時は答える。

「これ以上、嫌われたくはありません」

 どうやら本気でそう思っているようだ。

 屋敷が呪物があったことも、が杏珠を呪ったことも、泰時のせいではない。だが、降嫁したその日にケチがついたのは事実だ。

 が、杏珠としては、皇族という肩書以外の自分の価値を示せたというちょっとした満足感がある。むろん、深窓の姫君を期待して迎え入れられたのであれば、杏珠の行動は真逆で、むしろ嫌われるのは杏珠の方だろう。とはいえ、杏珠は『ただ愛される』という生き方を知らない。

「入ってください。ちょうど符は書き終えたところでしたから」

 杏珠は文机を脇に寄せた。

 泰時の持ってきた膳には、焼き魚に強飯こわいいに漬物が添えられている。

「本来は祝い膳の予定だったのですが」

 泰時は頭を掻く。

「いろいろございまして、ごく普通のものになりました」

「いえ。美味しそうです」

 今日は主人である泰時が褒賞を賜った日だ。いろいろと準備はしてあったに違いない。が、それどころではなくなってしまった。いまさら金色の椀によそおったものが出てきても、めでたいという気分にはなれないという配慮だろう。

「食べ物に湯気が立っているだけで、ごちそうですわ」

 杏珠は微笑する。

 宮廷での食事は、すべてが冷めていることが当たり前だ。数々の毒見が中に入ること、皇族の中ではもっとも末席であるから、運ばれてくるのが最後であるせいだ。杏珠が温かい食事を食べたのは、それこそ山科の家を訪れた時くらいのものでしかない。それが皇族の食事だといえば、そのとおりだが。

「将軍、お食事は?」

「私は失礼ながら先に食べ終えました。ご心配なく。あの」

 そう言ってから、泰時は何か言いたげに杏珠を見つめた。どちらかといえば体格のいい泰時なのに、まるで小動物のようだ。

「何か?」

「その……将軍と呼ぶのはやめていただけませんか? まだ慣れておりませんし、殿下には泰時とお呼びいただきたいのです」

「あ」

 なるほどと、杏珠は得心する。

 辰野泰時が将軍の職を賜ったのは、今日だ。まだ呼ばれ慣れていないのは当然だろう。それに妻になるべき杏珠に役職で呼ばれ続けるのもおかしい。

「わかりました。泰時どの。では私のことも杏珠とお呼びください。もう皇女ではありませんので」

「はい。ありがとうございます。嬉しいです」

 泰時は顔を赤らめた。

「泰時どの?」

「殿下、いえ、杏珠さまの名をお呼びできる日が来るとは、思ってはおりませんでした」

 泰時は微笑する。

「ずっと遠い方でしたので。感慨もひとしおです」

 泰時の言葉に嘘はなさそうで、事実その通りではある。

「でも……私では立身出世にはお役に立てそうもありません」

 せっかく皇族出身の妻を娶ったのに、政治的には何の意味もない。あえていうなら、『政治的な興味はない』という意思表示にはもってこいではあったともいえるけれど。

「杏珠さまに不自由をさせるつもりはありませんが、私は戦うこと以外には何もできない男で、野心はありません」

 泰時は首を振る。

「とはいえ、その戦うことでさえ、今回は何一つお役に立てませんでしたが……」

「魔と一言で申し上げましても、泰時どのが戦ってきた魔は、妖魔。ある程度、この世の生き物と同じような実体を持っているものです。対して都の陰陽師が対している魔は、まだ実体を持つ前のもの。逆に言えば、先程の生成が鬼になってしまえば、陰陽師ではまず太刀打ちが出来ません」

 芽が出るか出ないかの段階で対応する陰陽師と、育ち切ってから刈り取る破魔の能力は求められる能力からして違う。

「一番違うのは『霊視る』ことでしょう。七星剣は発動した呪いには反応しましたが、発動していない場合は反応しないようですし」

「まあ、この国で指折りと評判の山科河静どのと、その従妹で山科左門どのの愛弟子である杏珠さまには勝てるとは思いませんが、力仕事ではお役に立ちますので、ご期待ください」

 泰時は腕まくりをして、その太い筋肉を見せつける。

「まさか、泰時どの自ら穴を掘ると?」

「私が率先すれば、皆が怖がることはありません。呪いはみんな怖いでしょうしね。特に、あんなことがあった後ならなおさらに」

 怯えや恐怖は、さらなる陰気を呼ぶ可能性がある。

 それがわかっているからこそ、自らが先頭に立つという泰時は、さすが征魔大将軍に選ばれるだけのことがあるのだなと、杏珠には頼もしく感じた。



 


 

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