迷宮(二)
隧道が繋がっていたのは、桔梗たちがいた西側の棟とは反対の東側の棟————撫子たち紅玉領の姫たちが使っている棟の内部だった。それも、撫子が使っている部屋の裏側にあった。大きな掛け軸があり、その後ろに隠し扉があったのである。妙な声が聞こえるような気がして、女房の
「あの日のことですか? それでしたら……その、私の勘違いだったかもしれないのですが……」
ここに隧道が繋がっていたということもあり、念のため撫子にも帝が殺された日の話を聞いた。まさか東側の棟にも通じていたなんて誰も思わないし、希彦も事情聴取を撫子たちにはしていない。
「実は、妙な声を聞いたような気がしました。私はこの掛け軸に一番近い場所におりましたから、他の者たちには聞こえていないようで……」
「妙な声?」
「ええ、おそらく、男の声だったと思います。『間違えた』と。私の耳にはそう聞こえました」
正確な時刻はわからないが、それは撫子が夕食を食べ終わった頃だという。突然、掛け軸の方から男のそんな声が聞こえたような気がしたが、椿ともう一人の女房は膳を下げているところだったため、撫子の近くにはいなかった。撫子は椿に、今何か聞こえなかったと訊ねたが、まるで聞こえていなかった。
「私にしか聞こえていないようでしたので、その時は気のせいだと……けれど、今あなたたちがその掛け軸の裏側から出て来たのですから、聞き間違えではなかったのかもしれませんね」
撫子は希彦とは一切目を合わせず、桔梗の方を訝しげな目で見ていた。なぜそんな目で見られているのか、桔梗はさっぱりわからない。東宮の正室の座を争う相手として、敵意を向けられているのかとも思った。ところが、話を聞き終えて、再び地下に戻ろうとした去り際、撫子は桔梗にだけ聞こえるよう、小さな声で言ったのだ。
「……あなたが、物の怪?」
「え……? いったい、何の話————」
驚いて聞き返した桔梗の反応を見て、すぐに撫子は首を横に振る。
「なんでもないわ。早く、犯人を見つけてくださいね」
撫子はにっこりと微笑んでいたが、やはりその笑顔はどこか引きつっているように見えて、桔梗は少し不安になる。撫子は一体、何を恐れているのだろうか————と。
* * *
桔梗たちは再び隧道に降りて、同じような階段と出口をいくつか見つけた。どうやら宮中のいたるところにそれは繋がっており、似たような小部屋につながっている場合は、天井や壁に古い文字で場所を示す言葉が書かれている。そして、予想通り帝の寝所がある清流殿にも通じていた。帝の寝所に置かれていた屏風の後ろの壁に掛け軸がかけられ、そこに小部屋へ通じる扉が隠されていたのだ。
「やはり、繋がっていたか。それなら、主上はここから密かに抜け出し、蘭子殿に会いに行ったのだろう」
「そういえば、蘭子さんの女房の話では、酒瓶を持っていたと言っていましたね。それなら、自らお持ちになった酒瓶に毒が?」
「いや、それは違う。残っていた酒を調べはしたが、あの酒に毒は入っていなかった」
清流殿の小部屋には、酒瓶がずらりと並んでいる棚があった。帝の酒好きは有名な話で、他国から献上されたであろう、珍しい酒が多く並んでいた。その中でも、桔梗の目を引いたのが琥珀色に光る酒である。明るいところではあまり目立たないが、暗闇では自ら発光してキラキラと光るその酒は、儀式に使われる御神酒。それも、皇室にしか呑むことを許されていない、この国で一番高い山・
「光る酒の入った酒瓶を提灯代わりにして、あの瑠璃が散りばめられた隧道を通り、蘭子殿を訪ねたのだろうな」
まだ隧道の全ての出入り口を確認したわけではないが、あの様子だと宮中の外側にも繋がっているのではないかと、希彦は予想する。そうなると、隧道のことを知っていた外部の人間による犯行の説も出て来てしまう。
「それで、桔梗殿は次は何を調べたら良いと思う?」
「……そうですね」
これで帝が誰にも姿を見られずに蘭子の部屋にいたからくりはわかった。撫子が聞いた『間違えた』という声が帝のものなのであれば、間違えたのは出口に対してだろうと思った。
「気になるのは、蘭子さんにわざわざ帝が会いに行った理由ですね。一体何のために、お忍びで……?」
何も用があるなら堂々と正面から尋ねたらいいのに、とその理由に検討がつかず桔梗は小首をかしげる。希彦はそんな桔梗を見て、吹き出すように笑ってから言った。
「ははっ! まさか、そこが本気でわかからないのか? 桔梗殿は、見た目に反して純情なのだな」
「……? どういう意味です?」
その笑い方が、小馬鹿にされているように思えて、桔梗は希彦を睨みつけてしまった。
「まぁ、確か桔梗殿は東宮の妃候補の中では一番年が若いのだったな。容姿だけなら、他の姫たちとよりむしろ上に見えるのに」
「……それは、私が老けていると言いたいのですか?」
「いいや、大人びて見えるというだけだ。中身はまだまだ子供のようだが」
けらけらと笑った後、希彦はそれなら教えてやろうと、桔梗の耳元にぐっと顔を寄せて言った。
「朝彦は、昔から女が好きなのだよ。相手が自分の血縁であろうと、自分の息子の妃候補であろうと、物の怪でも関係ない。気に入った女には、手を出さずにはいられない。あれはそういう男だ」
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