擬傷(四)

「しかし、それにしても芦乃殿は随分と宮中のことに詳しいではないか。一体、何故だ?」

「わたくしが読み書きを教えた子供達の中には、大きくなって宮仕えをしている者もいるのです。そういう話は、耳にする機会が多いのですよ」

 大伯母様の教え子の多くは、身寄りのない子供達だが、茜のように父親のいない母と娘だけという場合もある。他領の男に捨てられて……なんてこともあるらしい。

「まぁ、他領で酷い目にあって、こちらへ逃げてきた娘もおりましたから」

「……なるほど。そういうことか」

 希彦はどこか遠い目をした大伯母様の表情を見て、大きくため息を吐いてから、話を切り替えた。

「まだ完全に瑠璃領の者によると断言できるわけではないが……念のため、例の紅玉を持っていそうな人物を教えてくれ」

「紅玉をですか?」

「ああ、芦乃殿の話では、人形は二体なければいけないのだろう? 念のためだ。もし、この人形にはめられているのが不思議な力を持つ本物の紅玉であれば、誰かがもう一体を隠し持っている持っている可能性がまたくないわけでもない」

「そうですねぇ……紅玉は基本的に、母親か他家へ嫁ぐ際、娘に持たされるものですから」


 大伯母様はいくつかの本家の娘が嫁いだ先を上げて、私と希彦はその家を訪ねて回った。どの家も、確かに以前、紅玉があったことを記憶して履いたが、もう何十年も前の話で、それが何に使われ、いつからなくなったのかまでは把握しきれていなかった。

 ただ、奇妙なことに希彦はかつて紅玉が置かれていた場所だけは、次々と言い当てていく。神棚の上や、仏壇の側、箪笥の中、台所の棚、鏡の前と、どこも場所は様々で、もちろん一度も入ったことのない他人の屋敷だ。何かの気配を追っているかのように、住人に案内される前に勝手にずかずかと中に入って、「ここにあっただろう」と指をさす。

 私は希彦に何が見えているのかさっぱりわからなかったが、希彦には本当に普通の人間には見えていない何かが、見えているのかもしれないと思った。


 * * *


「————それでは、茜が中宮様に呪詛をかけたという疑いは晴れたのですか?」

 屋敷に戻ると、桶の水を取り替えに井戸水を汲んでいた梓と鉢合わせた。屋敷を出て行くときは、一緒だった希彦が帰ってきたらいなかった為、不思議に思ったのだろう。

「いいえ、完全に疑いが晴れたわけではないわ。瑠璃領の者による可能性もあるからと、一旦、宮中に戻ったの。確認することがあるそうよ」

「そうですか」

「私も茜が呪詛に関わっていたなんて思えないし……梓だって、そう思うでしょう? 帝がその背後に母がいるかもと疑っていたらしいけれど、そもそも、母上はずっとあの調子で、何もできないわ。初めから、関係のないことだったのよ」

 今の帝には、何人も側室がいると聞いている。それに、私は屋敷に帰る前に、大伯母様と少し話したが、中宮様は正室ではあるものの、噂によると夫婦仲は冷え切っているのではないかと、いう話だった。東宮様が生まれてからというもの帝との間に御子は生まれていないし、呪詛の件は、帝に再び振り向いてもらうために、誰かが画策したことかもしれない。

「大伯母様から聞いたのだけど、母が追い出された先の妃選びでも、呪詛だと騒ぎ立てたのは瑠璃領の女房らしいのよ。中宮様の体調が悪くなって……それで、調べたら見つかったのだとか」

 母は主張している通り、本当に濡れ衣を着せられたのかもしれないと思えてきた。今まで母の言葉を信じられなかったことが、急に罪悪感に変わる。頭のおかしい女だとさえ思っていた。そう考えると、母はなんて可哀想な人生だろう。

 やってもいない罪を着せられて、今も病で寝たきりで、医者からも長くは持たないと言われている。父と大伯母様は母の無実を信じていたけれど、親戚も娘の私も、まったく信じていなかった。

「やっぱり、そうだったんですね」

「……え?」

 梓は井戸の縁に桶を置いて、袖をまくり左腕をあらわにした。梓の腕にはいつも包帯が巻かれていることは知っていたが、なぜ年中つけているのか気にしたことはなかった。ところが、梓はそれを私の目の前で急に解いて見せたのだ。

 するりと解け、あらわになった梓の左腕は肘の下手首のあたりまで、奇妙な色をしていた。火傷のような部分もあれば、痘痕のようにぼこぼこと凹んでいる部分も、刃物で切ったような傷もある。とにかく、お世辞にもそれは綺麗だとはいえるようなものではない。

「姫様に、わたしが瑠璃領の出である話は、したことがありましたでしょうか?」

「梓が、瑠璃領の出? いえ、聞いたことはなかったと思うけれど」

「わたしの腕がこうなったのは、あの女のせいなのです」

 その腕は人間のものというより、何か全く別の生き物を見ているようだった。まったく色の違う右手で腕をさすりながら、梓は続ける。


「わたしも、あの女に酷い目に遭わされた一人なのですよ」


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