ハピエンなんて書けない!

梁瀬 叶夢

ハピエンなんて書けない!

「あーハピエンが書けないよぉ」

私、隅田 奏(すみだ かなで)はそうだらしない声で叫んだ。

というのも、小説家を志している私はその第一歩として、とある小説投稿サイトで開かれる高校生小説コンテストに応募する作品を書こうとしている。一応、そう思い立ったのは二ヶ月以上前のはずなのだが、いかんせんアイデアが全く思いつかず、そうこうしているうちにとうとう応募締切一週間前まで来てしまった。

というわけで、小説創作の先輩である柳川 美那(やながわ みな)に相談するため、こうして彼女の家に無断でお邪魔している。

「んなこと言ってないでさっさと書きな。締切、わかってる?」

先輩は強めの口調でそう言い放つ。その言葉一つ一つがとても重く、さらに鋭いので私の心にグサグサと刺さっていった。それに、こうなったのも自分のせいだとしっかり自覚しているのでなおさらダメージが大きい。

「あと一週間で全て終わらせるなんて無茶ですよぉ」

私は机に突っ伏してそう呟く。

「じゃあ何のために家来たんだよ…」

「ネタ持ってないかなぁって」

そう、私はそもそも物語の展開がわからなくなったとか設定がごちゃごちゃになったとかそういう段階ではなく、そもそもの物語の基盤となるネタすら持ち合わせていないのだ。

呆れた表情をあからさまに見せて先輩はため息混じりに言い放った。

「あんたさぁ、他人から貰ったネタでいいのなんか書けるわけないでしょ。それにコンテストに出すんだから、余計によ」

「いいじゃないですかぁ、ケチ」

「゛あん?」

「ヒィ」

先輩は低くドスの効いた声で、かつめちゃくちゃに怖い目で私を睨みながら言ったので思わず私は怯んだ。その姿はヤクザにも勝るとも劣らない。

「ケチとかじゃなくて、あんたがよりいいものを書くために言ってるのよ。大体、こうなったのは一体どこの誰のせいかしら?」

そう諭すような声で言われたら余計に反論できない。というか、元々私に反論なんかできるはずもないのだが。

先輩との口喧嘩ではまず私に勝ち目はない。なぜなら先輩は火の玉ストレートで正論をズバッと投げ込み、さらにこちらの反論をいとも簡単に場外ホームランにするように返すからだ。

しかし、一つだけ先輩に付け入る隙があるとすれば、そういう性格のせいで友達は少ないし、彼氏なんかできたこともないことだろうか。

まぁそんなこと言ったら余計に火に油を注ぐようなことになるので言わないけど。

「はい…」

仕方ないので私は肯定する。待ってろよ、いつか必ず悪夢のような現実を見せつけてやる。

そう私はかつて横浜、村田修一が打ったあのホームランを脳裏に浮かべながら心の中で不敵に笑った。

「素直でよろしい」

先輩はそんな私に気づかない様子で優雅にお茶を啜りながらそんなことを言った。そして何かを思い出したように手を叩いてこちらを向き、口を開く。

「そういえばさ、前々から気になってたけど、なんでハピエンにこだわるの?バドエンでもメリバでもいいのに」

「だって、学生が書くんですよ?そんな暗い話書いたら私が暗い学生みたいに思われるじゃないですか。クラスのみんなにまでそう思われたら死活問題ですよ?」

先輩は口に含みかけていたお茶を噴き出した。

「ちょ、先輩汚い」

「あんたバカァ?」

そう先輩はどこかのアニメキャラのようなセリフを叫んだ。

「何ですか?」

確かに先輩より頭が優れているとは思わない。でも、バカと馬鹿正直に言われるのはいささか心外だ。私は頬をぷくーっとフグのように膨らませて怒ってますよアピールをする。

しかし、先輩はそんなことを気にしていないように淡々と話した。

「正直、読者は著者のことなんか、よっぽどの本依存症か著者が誰でも知ってるような有名人でもない限り気にしないわよ。だからねぇ、そんなこと気にしないで自分の書きたいこと書けばいいのよ」

まぁ、そうでしょうね。でもね、私の場合は違うのよ。

「その書きたいことがハピエンなんですけど」

そう、私はハピエンを書きたい。ただそれだけなのだ。

「そうかぁ…」

私が正直にそういうと先輩はため息を吐きながら文字通り頭を抱えた。

「ネタが思いつかなかったら詰みなんだよなぁ。ある程度、プロット段階まで来てるなら何とかならないこともないけど」

少しの間、先輩は何かを考えるように黙り込んだ。そして何か決心したような表情をした後、先輩は私の方を見て言った。

「ねぇ、演劇とか興味あったりしちゃう?」

「演劇、ですか?」

少し思わぬ方向に話が飛んだので、私は一瞬戸惑った。

「いやね、なんだったかは忘れたけど、なんかのときにもらった演劇のチケットがあるのよ。確か喜劇だった気がするから、ハピエンで悩んでるあんたにピッタリじゃない?」

演劇、かぁ。確かに喜劇ならハピエンで悩む私にピッタリな気もするけど、演劇と小説とじゃ話の作り方も違うだろうし、参考になるかなぁ?

「行くか行かないかは任せるけど、どうせこのままなんの案も出せずに期限を迎えるくらいなら演劇でも見て刺激入れたほうがいいんじゃない?と、私は思うよ」


翌日、私はチケットに指定されている劇場へと向かった。劇場に着くと先輩はすでに到着していたらしく、待ちくたびれたよ。とでもいうような表情でこちらを睨んできた。

「先輩、早いですね」

「いや、あんたが遅すぎんのよ。今開演何分前だと思ってるの?」

「5分前ですけど」

私が正直にそう言うと先輩は既視感のある表情でため息を吐いた。

「なんかもう、なんでとか聞いても、5分前行動しただけですけど。とか返される未来しか見えないからいいや。とにかく急ぐよ。開演に遅れたらまずいから」

先輩はそう吐き捨てるとくるりとこちらに背を向けてホールへと駆け出した。私も慌てて先輩の背中を追う。

大ホールに駆け込んで席に着いた頃にはもう、先輩共々息が上がってしまっていた。先輩はそれ以上特に愚痴をこぼすわけでもなく、むしろ、今回観劇するヴェニスの商人についての話を私にしてくれた。

舞台は16世紀イタリアのヴェニス。そこに住む青年と富豪の娘の恋と、ユダヤ人への迫害、友との熱い友情が描かれている。先輩の見どころはユダヤ人との裁判の場面で、なんかもう、理不尽なんだよね。と先輩は語っていた。

間もなく開演のブザーがなり、大ホールの照明は落とされ、舞台の幕が上がった。

演劇というものは不思議だ。演技、のはずなのに、まるでその世界が目の前にあるかのように感じられる。段々と私の意識は世界へとのめり込んでいき、まるでひとときの夢を見ているような、とても不思議な感覚に包まれた。

正これほどのものとは全く思っていなかった。一つ一つの仕草、表情、言動に心が奪われていく。とても言葉には表せないほどにすごい。

やがて劇はピークを迎える。ユダヤ人のシャイロックと友人アントーニオの裁判が始まった。

裁判が進んでいくにつれ、私の心にはモヤモヤとした感情が積もっていった。裁判官はシャイロックに慈悲を求めるばかりで、アントーニオを擁護している。でも、おかしくない?

約束を結んだのに破ったのはアントーニオで、確かにシャイロックも肉1ポンドという変な要求をするなとは思ったけど、罪は罪だ。今の裁判なら公正に裁かれる。でもこの時代は、ユダヤ人への差別や偏見が強かったらしい。

理不尽だな、と思う。資産を奪われたのに、なんの報いもないなんて。

そんな状況が続いたまま、ついに裁判は終わる。証文に血一滴を求めるとは書いていないので、血を流すことなく肉を切れと言われてしまいシャイロックが折れた形だった。

主人公たちから見れば、確かにハッピーエンドだった。でも、誰かが幸せになっているとき、その分の不幸は必ず誰かにその皺寄せが来る。

夢はあっという間に終わってしまった。およそ二時間の劇だったが、とてもそうには感じられない。役者さんの挨拶が終わり、大ホールの照明が再び灯った。

「どうだった?随分と集中してたけど」

「すごく、楽しかったです」

正直、演劇というものを舐めていた。どうせ小学校とか幼稚園でやるようなものかな、とも思っていたけど、全然違う。五間全てが刺激されて、全身で世界を感じる。映画でも感いたことはない、とても不思議な浮遊感に襲われている。

「満足そうでなにより」

先輩はにっこり笑って言った。今だけは先輩が女神様であるかのように崇める。迷い迷える私を救ってくださりどうもありがとうございました。

「で、どう?書けそう?」

おかげさまでまだはっきりとはつかみきれていないけど、輪郭は捉えることができたと思う。自分が書きたいことみたいなものが。

「なんとかなりそうです」

「私にできるのはこのくらい。あとは頑張りな」

先輩はそう言って私の背中を強く叩いた。じんわりと痛みが体の中に広がっていくけど、どこか温もりも感じる。

私は先輩に別れを告げて早足で家に帰った。この気持ちを忘れないうちに形にするために。

空が青く澄み渡っている。強く吹き荒れる春一番が、私の背中を強く押した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハピエンなんて書けない! 梁瀬 叶夢 @yanase_kanon

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ