第32話
[あなた、明日は何をしているのですか。]
家で明日の準備をしているときに、ぼくのスマホがメッセージの到来を告げる。
少し前だったら、メッセージが来るのは陽田だけだったのだが、最近は、複数の人からメッセージをもらっている。嬉しいことだよ。
スマホを持ち上げて誰から来たのか確認すると、園山さんだった。
園山さんは、メッセージをやり取りするのがいたく気に入ったらしく、時々なんてことないメッセージをくれたりする。
最近のもので、ちょっと変わってるなこの人と思ったメッセージはこれだ。
[お鍋にくずきりを入れると美味しいって知ってました?]
知ってるよ!鍋の具としては定番だろ!!むしろくずきりの枠に何をチョイスしていたのかぼくは知りたい。
まあ、しらたきとか、春雨とか枠としては選択肢が多いのはわかる。
そんなことは今はどうでもいいのだ。明日の予定ね。
[明日からしばらくアルバイトに行くよ]
[……どちらに行かれるのですか?]
え、それ知りたい?ぼくのアルバイトなんか割とどうでもいいと思うんだけど。
しかし、まあ、聞かれたからには答えないといけない気もする。隠しても仕方ないしな。
[親戚がやっている山間の宿泊施設の手伝いにいくんだ。次の部活前までだから、4泊くらいかな。]
こうやって泊まり込みでアルバイトできるのはすごく助かる。1日で10時間分くらい働けるからね。
まあ、その分、けっこう体力的にはきついんだけど。
[わかりました。いつ出発するのですか。]
[朝一番の電車で出るよ。]
[わかりました。じゃあ、朝4時集合でいいですね?]
いいですね?いいですねとは?なにがいいことで何が悪いことなのか、ぼくたちはまだ良くわからないってこと?
ある人の正義は、ある人から見れば悪かもしれないです。そう誰かが言っていた。
深淵な問いだ……。
でも、これは園山さんに聞いてみないと答えはでなさそうだ。
[いいですねとは?]
[アルバイト]
[単語で答えないで]
[私も行きます。]
[え?園山さんもアルバイトするってこと?]
ちょっと待って、ぼくの今までの人生であんまり起こったことないイベント起きてる。
友人って、突然アルバイトに参加するわって言って一緒にアルバイトに行ったりするもの?
え?そんなことあるの?
[そうです。]
そうですじゃねえんだよなあ。
この場合、そうですじゃない気がするんです。どうなんです?
え、どうするのが正しいのこっから?あまりにも初めての出来事すぎてぼくの思考もギクシャクしている。
い、いや、じゃあ、アルバイトできるように聞いてみないと。
[一緒にアルバイトできるか確認してみる]
prrr...
「あ、おばさん?明日からのアルバイトで電話したんだけど。」
「どうしたの?珍しいわね。いつもどおりで大丈夫よ。」
「いや、ちょっと相談なんだけど、ぼくの友達が一緒にアルバイトしたいって言ってて。」
「え、ますます珍しいわね!大歓迎よ!分かってると思うけど、人手はいくらでも欲しい状態なの。」
「ありがとうございます。あの、園山さんって言うんだ。じゃあ、明日、一緒に行くから。」
「うんー、じゃあ明日、駅に迎えに行くからねー。ばいばーい。」
なんか、いいことになったぞ……。
本当にそんなことあっていいのか?ゆるすぎないか?労働に関しての……その色々が……。
[大丈夫になった……。]
[よかったです。]
[じゃあ、4泊くらいする準備をして来て]
[はい。]
[電車は……ICカードにある程度お金を入れておけば大丈夫だから。]
[わかりました。]
[アルバイトの内容は、コテージに着いてから教えてもらえるから。]
[まかせてください。]
[あと、親御さんに承諾書を書いてもらって。アルバイトを許可するって書いてあって、署名かハンコがあればいいから。]
[はい、用意します。]
[園山さんが働いてるって想像つかないんだけど……]
[本当に大丈夫かな。]
あ、これは、脳内で言うことでメッセージで送る内容じゃなかったな。
スマホのメッセージってやりとりしてると脳内のことがだだ漏れになっちゃうよね。
[大丈夫です。楽しみです]
うん、ぼくも楽しみになってきたけど……その……。
なんか、すごい落ち着かない気持ちになりながら、ぼくは明日からのアルバイトの準備をした。
△△△△△△△△△△△△△
「おはようございます。」
「……ごめん、待たせたかな。」
「そうですね……10分くらい待ったようです。」
「それはもう、自己責任ってことで。」
おはようございます。早朝3時50分です。
流石にこの時間にはいつものナンパ野郎さんも駅前広場にはいません。
それよりも、このすごい時間に平然と集合してる園山さんの鉄人ぶりみたいなものを感じて戦慄せざるを得ない。
「おはようございます。じゃあ、電車のホームに行こうか。」
「はい。楽しみですね。」
「そうだね。」
早朝だったので、実はテンションも上がりきってないし、かと言って雑に扱いたくもないしという葛藤がぼくの中にはあった。
でも、一生懸命、スーツケースを引いて歩いてくる園山さんを見て、できる限り親切にしなきゃという気持ちもだんだん湧いてきたのも本当なのである。
「電車で大体2時間くらい行くよ。」
「結構、時間がかかるのね。」
「まあ、
「……実は、私、アルバイト自体が初めてなの。」
「まあ、すごい経験豊富な方だとは思ってなかったから大丈夫。」
「それはそれで失礼。」
不満を口にしてむくれる園山さんを見て、ぼくはフフフと軽く笑ってしまった。
慣れないことをしていた緊張が、園山さんとのやりとりで溶けていく。
ホームに朝一番で滑り込んでくる列車に乗り込んでぼくと園山さんはボックス席に座る。
向かい合わせで座って、窓の外の風景を眺めながら、心の中に浮かんだよしなしごとを二人で話す。
国道ぞいに立っているチェーン店のレストランについて、最近できたコンテナを改造した宿泊施設のこと、今まで読んで面白かった本の話。そして、この前やった勉強会の話。
「テスト勉強を一緒にしたのは良かったね。一人だとどうしてもサボってしまいがちになるからな。」
「そこまで頼まれたらまたやらないといけませんね。」
「ぼくの他に参加してる人いなかったけどね。」
「あなたが、どうしても、どうしてもっておっしゃるので……。」
「記憶の改ざんがひどくない!?突然、テスト勉強会やろうって言い出したからだと思うんだけど。」
「……あなた、あのとき私の勉強を止めたりして、邪魔してきたじゃない、そういうことするからじゃないのかしら。」
「あのとき北欧神話の勉強始めちゃいそうだった園山さんを止めたのはぼくだし、ぼくが居なかったらきっと園山さんはノルウェーの高校生がやる試験範囲はコンプリートみたいなことになってたからね?」
「ノルウェーは、サーモンが美味しいらしいですよ……。」
「サーモンはこの際、一切関係ないだろ!!」
いつものだんまりが来た。こういうときは僕が園山さんの顔をじっと見る。どこか、照れくさそうな雰囲気がある。
視線は、ぼくの顔から、窓の外へと向けられた。緑が多くなってきた。街を離れる。人の領域を離れて自然の支配する領域へ。
乗車客が増えてきて、向かい合わせで話すのが難しくなったとき、ぼくは園山さんの横に座り直して、小声で話す。
そんなことをしていたら、もう降りる駅になっていた。
「あ、次の駅で降りるよ。」
「はい、わかりました。」
ぼくは自分の荷物と、園山さんのスーツケースを持って降りた。
園山さんは少し困ったような雰囲気を出している。
あ、女性の荷物を勝手に持ったりしてはいけなかったか。軽く謝って、荷物を渡した。園山さんが、スーツケースの持ち手を伸ばして、ゴロゴロ転がす。
そして、改札を二人で出る。
「よく来たねー!!あ、あらあらあら、友達っていうから!男の子かと思ったら!彼女さんじゃないの!」
「か、彼女じゃないよ!おばさん、おはようございます。」
「お世話になります。」
「しかも礼儀正しいじゃないの……。れーちゃん、こういうちゃんとした子は珍しいんだから、逃しちゃダメよ。」
「だから、彼女じゃないんだって……。」
おばさんは勘違いしっぱなしだ。
「あの、こちら、ぼくの叔母さんの、
おばさんって呼んでるけど、美智夏さんは大学を卒業したばかりで、25歳くらいだ。
まだ全然若いし、普通だったら大企業で働いていてもおかしくないくらい優秀な人だ。でも、経営学を学んだからと言って、実家のコテージを継いで、アレコレとやっているらしい。
ちなみに、本当にぼくの親戚か怪しいほど美人で、ありとあらゆることがミステリアスだ。まあ、ネタばらしをすると、美智夏さんのお母さんが元女優で、その遺伝だろうとのこと。
「園山風香と申します。どうか、よろしくおねがいします。」
「あら、ご丁寧にどうも。こんな可愛い子にアルバイトに来てもらえるなんて、鼻が高いわ。」
「……お手柔らかにお願いしますわ。」
珍しく園山さんが緊張しているみたいだ。いつもの無表情だけど、緊張している雰囲気が出ている。
なんか、視線もぎこちない動きをしている。
「じゃあ、早速で悪いけど、コテージに行きましょうか。仕事の説明もそこでするからね。」
「オッケー。じゃあ、ぼくは荷物を積むね。」
「あ、ありがとうございます。」
園山さんのスーツケースとぼくの荷物を、コテージの送迎車に積み込む。
宿泊客用の送迎があるので、大きなバンだ。
「じゃあ、乗って、シートベルト締めてね、いくわよ!」
ブロロロ....
こうして、ぼくのアルバイトは幕を開けた。
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